第24話 出来ること、変わること 7

「……ひと雨来そうだな」


 昼食が済んだあと、二郎は後片付けを手伝いながら空を見上げていた。

 若干厚めの暗い雲が上空に流れてきている。

 里穂が「うえー……」とイヤそうな顔を浮かべていた。


「天気予報だとこっち方面ずーっと晴れだったのに……天気予報ってテキトー過ぎない? あたし雨具持ってきてないんだけど」

「私も天気予報を信じ切ってしまったわね……どうしましょうか二式くん? 急いで降りる?」

「その方がいい、だろうな」


 二郎は上空を睨みながら頷いた。

 本来ならもう少しゆったりと山頂で過ごすつもりだったが、天気予報の裏切りによってそうも言っていられなくなった。消化不良にはなってしまうが、早々と切り上げるのが正解に思える。


(仮にこのまま雨が降ったとしたら、あまり良くない事象がひとつ発生するのが怖いところだ……)


 それは清歌に関する事象だ。

 濡れるのが、マズいのである――変装に用いているのがウィッグではなく、日持ちすれば上等なタイプのヘアカラースプレーであるがゆえにだ。


(……雨で色落ちして本来の髪色があらわになれば、帰りに混乱を招いてしまうだろうな。白川清歌としての注目からは逃れられるはずもない……)


 そしてそんな事態は避けなければならない。

 今日は清歌を人目から遠ざけて癒やすための1日なのだ。ただでさえハイキングが消化不良になりかけている今、重ねてそんなことになってしまっては台無しである。


「白川さん、一応これを着てくれるか?」


 二郎は自分の荷物から透明の雨合羽を取り出した。

 念のために持ってきておいたのだ。


「すごっ、用意良いじゃん二式!」

「でもこの1着しかないから、もし降ったら僕と富山さんは濡れるしかない」

「いいって別に! あたしは濡れても問題ないしっ」

「じゃあ白川さん、これを」


 そう言って二郎は合羽を差し出した。

 

「……悪いわよ。私だけ合羽を着るだなんて」

「いいから、早く。これだってもしかしたら気休めにしかならないかもしれないんだ」


 有無を言わさず突き付ける。

 すると、清歌は迷う素振りを見せつつも、合羽を受け取ってくれた。


「ありがとう……じゃあ借りるわね」


 こうして清歌が合羽を羽織ったのち、二郎たちは下山を開始した。

 その途中、案の定雨が降り始めてしまう。


「うわ、降ってきたしっ。しかも土砂降りで風もヤバっ」


 里穂の言葉通り、雨は土砂降り、かつ強風が吹き荒れるという最悪のコンボが発生していた。

 二郎と里穂の衣服が瞬く間に濡れていくのはもちろん、清歌の合羽は強風でフードが脱がされてほとんど機能していない状態だった。


(くそ……気休めにもならなかったか)


「てか白川さんヤバくない!? 髪の毛の色落ち始めてるじゃん!!」

「この天候じゃどうしようもないわね……」


 清歌が顔をしかめている。

 二郎の予想通り、猛烈な雨の影響で清歌の黒髪が色落ちし始めていた。

 熱中症対策でウィッグを使わなかった清歌の選択が完全に裏目っている。

 清歌はサファリハットを被っているが、それもびしょ濡れでまったく防御に役立っていない。


(このまま下山したとして……電車等に乗れば間違いなく騒がれてしまうな)

 

 清歌をそういった人目から解放して癒やしを与えるために用意したのが、先ほども考えた通り、今日のハイキングである。だというのに、雨に降られて消化不良、挙げ句そんな状態になってしまえば、二郎としてはやはりやるせない。


「白川さん、せめてハットの中に髪の毛をしまえるか? 少しでも気付かれにくくして、ふもとのドラッグストアかどこかでスプレーを買って染め直してから帰ろう」


 二郎はそんな提案を行った。

 清歌は頷き、サファリハットの中に髪の毛をしまい始める。

 髪の毛を完全に収納した姿は、サングラスを掛けていることもあってパッと見では清歌に見えない。

 しかし近くで見れば清歌のオーラが出ているため、この状態で電車等に乗れば気付かれるのは間違いない。


 止む気配のない雨中の山を、3人は気を付けて足早に降りていく。

 全身ずぶ濡れの状態で2時間ほどかけてふもとに到着。


「うぅ……着替えたい……」


 里穂がうめくように呟いた。

 靴どころか下着の中までびしょ濡れ。

 夏場なので寒気などはないが、水を吸った衣類の気持ち悪さはどうにも慣れるモノではない。

 二郎も学校のジャージが濡れて変色しており、前髪は顔面に張り付いていた。まるで水死体のような有り様。まさかこれが一式の素だとは思われまい。


「少し歩けばモールがあるな……そこでスプレーと一緒に着替えも買おう」


 二郎のそんな提案は拒否されず、3人はしばらく道路沿いを歩いた。

 やがてショッピングモールの入り口付近の屋根下にたどり着く。

 ようやく雨を免れてひと息ついた3人。

 一方で、二郎は新たな提案を行う。


「……こんなずぶ濡れの奴らが3人揃って中に入るのはなんかアレだから、誰か1人が中に入って3人分の着替えと、ヘアスプレーを買ってくるべきだと思うんだが……」

「確かにね。まぁ行くとすればあたしか二式じゃない? 白川さんに行かせたら、もし気付かれたときが面倒だしね」

「そうだな……じゃあ僕が行くよ」


 二郎は言い出しっぺとして引き受けた。


「ならお金は私が出すわ。お金なんて腐るほどあるし、遠慮せず使っていいからお願いね二式くん」


 そう言って清歌にスマホを差し出される。電子マネーのアプリが立ち上がっていた。二郎はスマホを受け取ったが、実際の支払いは自分のお金で済ませようと思った。


「あー、でも……そういえば下着も欲しいんだけど、二式買ってこれる?」

「ランジェリーショップに行けって言うんだったらキツいぞ……ユニ○ロとかで買ってくる分には構わないが」

「あたしはユ○クロで充分。白川さんも別に安物で良いっしょ?」

「ええ、構わないわ。緊急時だものね」

「……分かった。じゃあそんな感じで見繕ってくる」


 かくして、二郎はショッピングモールに入り込んだ。

 早速ユ○クロのテナントを見つけたので、そこでまずは3人分のジャージと下着、タオルを購入。

 その後、二郎はトイレで自分の着替えを一旦済ませ、ヘアカラースプレーを買いに向かった。そして黒染めのスプレーを難なく購入してモールの入り口付近に戻ったとき、問題が発生していることに気付いた。


 ――アレ白川清歌じゃね?

 ――うそ、マジ?

 ――いや分からんけどそんな感じするくね?


 入り口付近の屋根下で雨宿り中の清歌と里穂に注目が集まっていたのだ。

 サファリハットだけでは隠しきれない白銀の髪とスタイルの良さが目を引いてしまっているらしい。

 今はまだ遠巻きに確信のないままに見られている段階だろうか。

 だからこそ、このままだと良くないことになりそうな気がした。


 仮に「アレは白川清歌だ」という完全な確信を周囲が得れば、まず間違いなく騒ぎになるだろう。そして超有名芸能人を目の前にした大衆は急激にIQを下げ、統率を失って清歌を取り囲み、自由を奪うのも間違いない。

 

(そういう状況に疲れているのが今の白川さんだ……ここで注目させるわけにはいかない)


 せっかくの休日。

 癒やしの時間を授けるつもりで誘った今日という1日を、イヤな思い出で終わらせるわけにはいかない。

 だからこそ――


(かくなる上は……)

 

 二郎は腹をくくってとある行動を起こすことを決めた。

 急いで一旦ショッピングモールの中に引き返す。

 そして買ったモノをコインロッカーに押し込む。

 それから改めてユニ○ロに入り込み、きちんとしたカジュアルな衣服を購入して着替えた。最後にヘアスプレーを買ったドラッグストアでヘアワックスを購入し、トイレに駆け込むと鏡の前で髪型をキメた。

 

 そしてメガネを外し――一式モード。


 二郎がやろうとしていることは単純明快である。

 ――今から一式として行動する。

 理由としては、自分に注目を惹き付けるためだ。


(僕が囮になって、白川さんが白川さんだとバレる前に逃がす)


 従来の二郎であれば、こんな面倒な真似は間違いなくやらなかった。二郎と一式が同じ空間に居るとあらば、清歌たちに正体がバレるリスクも孕んでいる。しかしそんなリスクよりも、清歌の精神を守ることの方が大切だと思った。


(二式二郎を気に掛けてもらっているお礼は、こんなことでしか返せない)


 だから――やるのだ。

 こうして二郎はトイレから出て、一式一人をモール内に顕現させた。

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