第22話 出来ること、変わること 5

「んーっ、自然の中を歩くって気持ちが良いわね」


 電車で2時間弱の移動を挟み、二郎たちは奥多摩の地を踏み締めていた。

 ブナの木が生い茂る山の中のハイキングコース。

 7月も中旬に差し掛かっているので暑いが、風が吹いているのと木陰の多さに助けられ、体感的にはマシである。

 

「そういえば、日曜だけれど人があまり見当たらないわね」

「奥多摩は渓流の方が人気らしいんだ。こっちはガチめの山だから、そんなに人が来ないらしい。だからまぁ、人目を避けるならこっちかなと」

「素晴らしいチョイスね」


 前方を歩く清歌が黒髪をなびかせて振り返り、笑顔を向けてくる。

 どうやらお気に召してくれたようだ。

 清歌は足取りを弾ませながら楽しげにドンドン登っていく。

 一方の二郎はマイペースに歩を進め、その背中を眺めている。

 二郎の隣には同行中の里穂が一緒だ。


「二式、足元気を付けなね? 転んで怪我したら大変だし――あ、そういえば喉渇いてない? 大丈夫?」


 里穂は先ほどからやたらと甲斐甲斐しく二郎を気に掛けてくれていた。

 正体バレにだけ気を付けながら、ひとまず普通に応じている。


「喉は少し渇いてるかもな」

「飲み物は持ってきてる?」

「持ってきてるけど、先は長いし温存中だ」

「いやいや、温存して倒れたらどうするわけ! 残量が気になるならあたしの水筒飲んでいいから! ほら!」


 そう言って里穂がリュックから水筒を取り出してきた。

 可愛らしい水筒ではなくて、2リットルの容量を誇るゴツい水筒だった。

 日帰り登山が趣味というだけあって、ギャルでありながらデザイン性は考慮せず、合理的にそれを使っているらしい。


「飲んでいい、って言われても、それじか飲みタイプだろ……コップはあるか?」

「えっと、コップはないけど……二式なら別に、口付けてもらってもいいし……」


 照れた表情でそう言われ、二郎としても若干意識してしまう。

 しかしじか飲みはやはり申し訳ないので、飲み口を宙に浮かせた状態で水筒を傾けていく。

 中身は冷たい麦茶だった。


「ちょっ、なんでそんな気を遣った飲み方しちゃうわけ!」

「え……ダメなのか?」

「だ、ダメじゃないけど……あたしとしては、その……」


 要領を得ない態度でモジモジしている里穂。

 その一方で――


「――こら富山さん……っ!!」


 20メートルほど先でこちらを振り返っている清歌が、ムッと頬を膨らませていた。


「同行の条件は守りなさいな……!! なんで二式くんといちゃついているのかしら!!」

「い、いちゃついてなんかないし!!」

「メスの顔になってるじゃない!」

「な、なってないし! 今行くから!! 水筒返して二式!!」


 慌てて二郎から離れた里穂がズンズンと傾斜を登り始めていく。

 やれやれ……、と思いながら二郎もひとまず気を取り直し、彼女らのあとに続いた。


 そんな中――スマホにひとつの着信。

 確認してみると、里穂の腐れ縁ことボーイッシュ女子の美奈がどこぞのプールサイドでピースをしている写真がLINEに届いていたのだ。格好は競泳水着である。

 直後には『突破したよー♪』とのメッセージも届く。


(仁科さんは今日、水泳部の地区予選があるって話だったんだよな)


 だからそもそも誘うという選択肢がなかった。

 突破した、というのは時間帯的に恐らく初戦を無事に通過したのだろう。

 おめでとう、のメッセージを送ってみると、ありがとー! の返事がすぐに返ってきた。


 仮に美奈がこの場に居たらもっと騒がしいことになっていたのは間違いないので、彼女が部活に勤しんでいる事実は、二郎的にはありがたいことだった。


   ※


「はあ……結構キツくなってきたわ」


 ハイキング開始から2時間ほどが経過し、もうまもなく山頂に到着するかという現状において、二郎の隣では清歌が息を上げていた。


「あたしも疲れてきたかも……てか、二式はピンピンしてんね」


 里穂もお疲れ気味のようだが、彼女の言う通り二郎は元気そのものである。

 マラソンランナーの役を請け負った際、フルマラソンを走れるだけの体力を作った経験があるので、それが今も生きている感じだろうか。

 軽い疲労は当然あるものの、深い息を吐き出すほどではない。


「二式くんって、結構すごいわよね……頭が良くて、体力もあるだなんて……持久走では最後方だったけれど、実は手を抜いていたとか?」

「もしそうなら、二式って結構なハイスペだよね? なんで陰キャに甘んじてるわけ……?」


 清歌と里穂が不思議そうに二郎を見つめてくる。


(マズいな……スペックに目を向けられるのは良くない)


 期末で1位を取ったり。

 こうして登山を平然とこなす体力があったり。

 確かに陰キャにあるまじきスペックの高さである。


(……ここは少し疲れたフリをしておくか)


 スペックの高さからあらぬ疑いを掛けられたりしないように、二郎は疲弊した演技を開始する。


「いや……僕も割と疲れてるよ。支えが欲しいくらいだ……」


 疲労感をにじませた声でそう告げる。

 すると、里穂がそそくさと二郎に寄り添ってきて、なぜか手を握ってきた。

 いきなりの謎行動に二郎は困惑する。


「な、なんだこの手は……?」

「つ、疲れてるんでしょ? だったらこうすればお互い……軽い支えにはなるじゃん? コケそうになっても、すぐに引き上げられるしさ……」


 頬を赤らめながらの言葉だった。

 里穂のそんな言動を見て、清歌が威圧感たっぷりの暗黒微笑を浮かべ始めていた。

 

「とーやーまーさぁ~ん……?」

「な、何さっ。なんか文句でもあるわけっ?」

「あるに決まっているでしょう? 私と二式くんの邪魔はしないって約束を守って欲しいものね?」

「べ、別に邪魔してないじゃん! ――ね、二式っ?」


 僕に同意を求められても困るんだが……、と二郎は巻き添え御免の姿勢。

 しかしながら、清歌がそんな二郎の脇腹を小突いてくる。


「大体……二式くんはどうして富山さんの手を普通に受け入れているのかしら?」

「それはまぁ……振り払うのは失礼かと思って……」

「すけべ」

「す、すけべではないだろ」

「まあいいわ。……そういうことなら私とも手を繋いでもらうから」


 空いているもう片方の手を清歌に握られる。


「富山さんが良くて、私がダメとは言わないでしょうね?」


 ジトッとした眼差しには言い知れぬ圧力があった。

 二郎としては、2人の手を今すぐ離して一定の距離を取りたい気分だった。

 現状は正体をひた隠すという観点からすれば危険な状態でしかない。

 とはいえ、手を離せば2人の機嫌を悪くしてしまい、ハイキングの空気が悪化しかねない。


(そもそも白川さんの気分転換が目的なんだから、白川さんのやりたいことは尊重すべきなわけでな……)


 そう考えた二郎は仕方なく、この状態を甘んじて受け入れることにした。

 両手に花状態での登山。

 何やら錯綜する想いもある中で、3人はやがて山頂へとたどり着くことになる。

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