第21話 出来ること、変わること 4

「あれ? 今日は仕事もないのに早起きだね二郎くん」


 週末の日曜日を迎えている。

 仕事のない休日の午前は基本的に爆睡している二郎だが、この日は平日よりも早めに起床し、洗面所で身支度を整えていた。

 無論、頭部はいつものすだれワカメだが。


「どこかに行くの?」


 起床してきた眞理に問われて、二郎は素直に応じた。


「白川さんとハイキングに行ってきます」

「ん?」


 眞理は一瞬理解が及ばないような表情を浮かべた。

 そしてギョッとする。


「――し、白川さんとハイキング!?」

「はい」

「ちょっ、ええ!? ど、どういうこと! なに? デート!?」

「違います。気分転換に誘っただけです」

「あ、あんまり二郎くんの行動にお小言は言いたくないけど、それ大丈夫!? 白川さん誘って週刊誌に撮られるのだけは勘弁してよね!?」

「そのリスクを消すための自然環境への遠出ハイキングです。白川さんにも変装をお願いしてますし、問題ないと思います」


 むしろ、今日1日一緒に過ごす上で正体がバレないようにする方が大変なんじゃないかと思っている。


「まぁ……二郎くんのことだから心配はしてないけど、本当に気を付けなね? 怪我とかもさ」

「了解です」


 その後、準備を整えて眞理に送り出された二郎は、まだ早朝と言える時間帯の最寄り駅に向かった。

 そこで清歌と落ち合う予定になっている。

 早朝ゆえにほぼ無人な駅構内に入って視線を巡らせると、券売機付近の壁際に長い黒髪の美少女が佇んでいることに気付いた。


(もしかしてアレが……)


 あまりにもスタイルが良いその黒髪の美少女は頭部にサファリハット、目元にはサングラスをかけており、服装は夏のハイキングにふさわしい半袖ハーフパンツの下に、伸縮性と通気性の良さそうな長袖の黒いインナーを着込み、同色のレギンスも穿いている。背中には本格的なリュックも背負っていた。


 見覚えのないスポーティーな美少女だが、だからこそ二郎には理解出来た。


「いや……驚いたよ。随分と力の入った格好だな」


 二郎は黒髪の美少女に接近しながら口を開く。


「僕なんか学校のジャージだぞ?」

「ふふ、その格好は二式くんらしくて良いと思うわ」


 近付いて声を掛けると、黒髪サングラスの彼女はニヤリと笑った。

 ということでやはり――目の前のトレッキングウェアに身を包む彼女こそが、清歌だったわけである。

 一式のサイン会に訪れた際は地味子への変装だったが、今回はまた違った趣き。

 一瞬、清歌かどうかを疑ったくらい普段と違っている。

 そういう意味では、今回も完璧な変装と言えた。


「その黒い髪はウィッグか?」

「いいえ、地毛をスプレーで染めてきたの。夏場のハイキングでウィッグはね、蒸し地獄でしょうから」

「なるほど。……にしても、僕と2人きりの外出に本当に来てくれたんだな」

「あら、意外かしら?」

「まぁ、白川さんは男子の誘いや告白をよく断っているからな」


 当然ながら――清歌はモテる。

 噂によれば、高校入学から2年生7月現在までのあいだに、延べ100人以上から告白され、全員にノーを突き付けているらしい。

 遊びに誘われても断るのが当たり前。

 誰が呼んだか、男子のあいだでは「不沈艦」と呼ばれることもある。

 誰も落とせない無敵の戦艦扱いだ。


 そんな清歌が、二郎の誘いには応じてくれる。

 これを意外と言わずしてなんと言えばいいのか。


「先日も言ったけれど、私の中で二式くんは特別だもの。ずっと気に掛けていた君が私を元気付けようと誘いを掛けてくれたのは、本当に嬉しいことだから」

「……だから、応じてくれた?」

「そうよ」


 清歌はにこやかに笑う。

 光栄としか言えなかった。


(……誘いに応じてくれたことを、後悔させないようにしないとな)


 今日はとにかく良い1日にしなければならない。

 清歌を楽しませ、日頃の疲れを癒やす良い1日に。

 

「じゃあ行こうか」

「ええ、行きましょう」


 こうして2人は改札への移動を始めたのだが、――そのとき。


「――あれ? 二式じゃん。こんな朝早くから駅で何してんの?」


 背後から声を掛けられ、二郎はびくりとした。


(この声は……)

 

 背後からの声には聞き覚えがあった。

 直後に振り返った二郎は――案の定な人物を視界に捉えることになる。


「……と、富山さん」

「よっすー。マジで何してんの?」


 そう、背後に佇んでいたのはクラスメイトの白ギャル――里穂である。

 スポーティーなウェア姿でリュックを背負い、蜂蜜色の髪をポニーテールにまとめ、サンバイザーを被っている彼女は、キョトンとした表情で二郎と清歌を一瞥していた。


「てか二式……その隣の人誰? ま、まさか他校のカノジョとかじゃないでしょうね……?」


 何やら勝手に涙目になっている里穂。

 彼女がここに居る理由も含めてワケが分からないものの、二郎はひとまず訂正する。 


「いや……隣の人は他校のカノジョでもなんでもなくて、白川さんだよ」

「えっ」


 目を丸くして、里穂が清歌のことをジッと眺め始める。

 そして数秒後、目を大きく見開いた。


「――あっ、ガチで白川さんじゃんっ。こ、こいつと2人きりで何してるわけ!」


 どこかムッとした表情で責めるように呟く里穂。

 清歌は若干不遜げに応じる。


「私はこれから二式くんとハイキングに出かけるところよ。いいでしょう?」

「そ、そういう仲だったってこと!?」

「そうよ」

「……そうよじゃないだろ」


 二郎は冷静に訂正する。


「いいか富山さん……僕は白川さんをいたわって東京西部へのハイキングを企てただけだ。変な誤解はやめてもらえると助かる」

「ふぅん……なるほどね」


 里穂は納得したように呟きつつも、目元がまだジトッとしていた。

 そしてこんなことを言い出す。


「……そのハイキングってさ、あたしも今から混ぜてもらえたりする?」


(なんだと……)


 同行者が増えれば二郎の正体バレリスクも増えることを考慮し、里穂や美奈には声を掛けなかったわけだが、ちょっと良くない状況になってきたかもしれない。


「ま、待ってくれ富山さん……君はどこかに行く予定でこの早朝の駅を訪れたんじゃないのか?」

「あぁうん……実はあたし日帰り登山が趣味でさ、今日は高尾山に行こうとしてたんだよね」


 スポーティーな格好をしていると思ったら、どうやらそういうことだったようだ。読者モデルをやっていると言っていたし、その趣味にはスタイル維持の目的があるのかもしれない。


「二式たちはどこでハイキングしようとしてんの?」

「あぁえっと……僕らは奥多摩なんだが」

「いいじゃん奥多摩」


(ヤバい……乗り気だ)


「ねえ二式……あたしもダメ、かな……? 予定変更して一緒についていきたいんだけど……」

 

 なぜか猫撫で声で問われ、二郎は迷う。

 同業者とファンに囲まれての休日ハイキング。

 その状況が良いか悪いかで言えば悪いに決まっている。


(とはいえ……ここで富山さんを拒否するのは鬼畜の所業じゃないか……?)


 あまりにも感じが悪いのは間違いない。

 なので二郎はこう告げた。


「まぁ……白川さんがよければ僕は別に構わないが……」


 そう、二郎はちょっと責任をぶん投げる形で、里穂の処遇を清歌に委ねた。

 今日の目的は清歌を癒やすことだ。

 その清歌が許可を出すなら、甘んじて受け入れるしかあるまい、という考えである。


「まぁ、そうね……」


 委ねられた清歌は、少し考える素振りを見せたのち、


「なら、こうしましょう」


 ツンと澄ました表情でこう続けた。


「富山さんも別に同行しても構わないけれど、二式くん相手に女を出すのはやめなさい」

「ふぁ!? な、なによそれ! あたしは別にそんなヤツ趣味じゃないし!」

「じゃあさっきからモジモジしてるのはなんなのかしら?」

「こ、これは全身を揺すって血流を促進してるだけだし!」

「ふぅん……なら、大人しく後ろを付いてくるだけでも充分に満足出来るわよね? それでいいなら同行を許可してあげるけれど?」


(……な、なんでちょっと喧嘩っぽくなってるんだ……)


 肝心なところで鈍い二郎をよそに、里穂が張り合うように応じた。


「言ったねっ? じゃあ大人しくしとくから同行を許可してもらおうじゃん!」

「いいわよ。なら、大人しく背後霊になっておくことね?」


(……大丈夫なんだろうかこれ……) 


 かくして――前途多難な1日が幕を開けることになった。

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