第18話 出来ること、変わること 1

(……白川さん、タフだな)


 持久走があったその日の昼休み。

 いつもの非常階段でパンを咀嚼中の二郎は、清歌が中庭でサイン会を開いている様子を見てそう思った。

 さっきまで軽度の熱中症だった人物とは思えない行動力である。


(自己顕示欲が強いっていうよりは、単純にサービス精神が旺盛なタイプなんだよな)


 清歌はとにかく自分を慕ってくれるファンを大事にしている。

 求めてくれる人が居るなら可能な限り応じたい。

 そうした思いがあればこそ、変装もせずに堂々とプライベートを過ごしているのだと思われる。


(でもやっぱり……頑張り過ぎな気がするぞ白川さん)


 サービス精神が旺盛過ぎて、精神がすり減ったりするのが怖い。

 なんでもかんでも丁寧に受け入れていると、ファンもどきをつけ上がらせることにも繋がる。

 そう思っていると、やがてサイン会が終わった。

 その場を離れていく清歌だったが、チャラい上級生に呼び止められていた。会話の内容までは聞こえないが、なんらかの誘いを掛けられているように見える。

 清歌はごめんなさいと断っているようだが、上級生はしつこく言い寄っていた。


(……ほらな)


 イヤな予感が当たった二郎は、このまま見て見ぬ振りも出来たが、そうはしなかった。

 飲みさしのペットボトルのキャップに食事中のパンを詰めて重さを増した状態で握り締めると、風向きや距離を計算したのち、この非常階段から上級生の頭を狙ってそのキャップを投擲した。

 援護射撃。

 少なくとも30メートルは離れていたが、直後には難なくスナイプに成功し「あへっ!?」と上級生が悲鳴を上げることになった。

 だ、誰の仕業だオラぁ!! と上級生が怒号を張り上げたのを嘲笑しながら、二郎は手すりの陰にサッと屈み、スナイパーの正体がバレないように対処。


(さて……この隙に白川さんは逃げてくれたはずだ)


 ちらりと顔を出して確認してみると、上級生が周囲をぐるぐると警戒している一方で、清歌の姿は無事に消えていた。二郎はホッとする。


「ねえ――今のって二式くんの仕業?」


 そして1分ほどが経った頃、清歌が非常階段を訪れたことに気付く。


「はて、なんのことだろう?」


 二郎は清歌に恩を売るつもりはないので、とぼけた。


「私に言い寄っていた上級生がペットボトルのキャップで攻撃されたみたいなのよね。私が見ていた限り、飛来はこの辺りからだった気がするのだけど」

「……気のせいじゃないか? ここから中庭は結構遠いし、当てられるヤツが居たらそいつは人間じゃない」

「確かにね」


 納得した様子の清歌は、近くの段差に腰掛けて「ふぅ」とひと息つき始めた。


「ここはいつも……静かでいいわね」

「僕に言わせれば、周りがうるさ過ぎるんだよ。そしてその環境に飛び込んでサービスを振る舞う白川さんが、僕は少し心配だ」

「平気よ……心配には及ばないわ」


 そう呟く表情は、少し疲れて見える。

 でも本人が心配には及ばないと言っているなら、これ以上そこをつつくのはお節介なのかもしれない。

 そう考えた二郎は、引き続きマイペースにパンを食べ続けた。


   ※


「最近どうよ二郎くん。学校は楽しい?」


 その夜。

 自宅マンションの一室には中華の香りが広がっていた。

 今宵の夕飯は、同居中の黒髪美人マネージャー・眞理が作ってくれた麻婆豆腐がメインディッシュである。

 それをご飯のお供にしながら、二郎は淡々と応じる。


「まぁ悪くないですよ。落ち着いて学校に通うのは長年の夢でしたから」

「正体に気付かれそうな気配はまったくない?」

「今のところは大丈夫です」

「まぁ、一式一人と二式二郎はビジュアルが別物だもんね。背丈だけは誤魔化しようがないけど、雰囲気がまったく違うからバレようはないかな」


 当然ながら、二郎は自宅でも陰キャの容姿で過ごしている。

 猫背はやめているが、すだれじみた髪の毛で目元を覆い隠し、地味な丸眼鏡をかけて、一式一人の欠けらもない姿を維持している。


「陰キャのスタンスを作り上げて生活するのって疲れない?」

「全然。僕の素は圧倒的にこっちですし」

「ま、無理だけはしないようにね?」

「分かってます」


 保護者代わりの眞理は常に二郎を心配してくれている。

 そんな彼女に余計な気苦労をかけないように、というのが二郎の信条であった。

 そういう意味では、二郎は逆にこんな心配をしている。


「ところで眞理さん、婚活頑張ってます? 僕にかまけてばかりいるんじゃなくて、自分のこともしっかりと省みてください、っていうのが僕からのお願いです」

「婚活ねえ……前にも言ったと思うけど、私はもう仕事に生きてるから別にいいかなって思ってるんだけど」

「……いいんですかそれで?」

「いいかどうかは置いといて、私は真鈴ますずさんに恩義があるからね」


 真鈴というのは、今は亡き大女優。

 そして二郎の母であった女性だ。


「恐れ多くも、新人の頃にマネージャーを担当させていただいて、色々と叩き込んでもらったわけで……その恩返しをね、したいわけよ。君を見守ることでね」

「……母亡き今、その恩義とやらを引きずる必要は、正直ないと思いますけどね」

「かもね。でも真鈴さんが居なくなった途端に恩を忘れるような薄情者ではないからね、私は。それにさ、君が万が一真鈴さんのあとに続くようなことがあったらイヤだから、しっかり見守っとかないと」

「ご心配なく。僕はクソつよメンタルなので」

「そうだね、知ってる」


 そう言って小さく笑い、眞理はワンカップを一口すすった。


「だけど、少なくとも二郎くんがきちんと大人になるまでは見守っとく。まぁ、邪魔だって言うなら出て行くけどね」

「邪魔ではないです。助かってるのは間違いないので」

「なら、今はまだ大人しく見守られておくことね。婚活とかそういう余計な心配はしなくていいの。分かった?」

「分かりました」

「うむ、よろしい」

 

 眞理はそれから、ふと思い出したように呟く。


「あ、そうだ――今週末の夜、映画の大ヒット御礼を記念しての祝賀パーティーが都内のホテルで開かれるんだって。二郎くん、もちろん行くよね?」

「まぁ、行かないと何言われるか分かりませんからね」


 芸能界は、義の世界だ。別に芸能界に限らずそういった面を残す世界は多かろうが、芸能界は特にである。

 

 大した事情もないのにそういったお祝い事に顔を出さなかったりすると、お偉方の機嫌を損ねることがある。そうなると、いかに人気者であろうとも次作以降のキャスティングに名を連ねるのが難しくなり、俗に言う「干された」状態になってしまうわけだ。


 その作品との関係性が悪化するだけならまだしも、実際には監督やその周囲の人脈からこちらの付き合いの悪さが悪名として広げられ、幅広く腫れ物として扱われるようになるのが恐ろしいところである。


「ま、面倒だよね。特に二郎くんは主演だし」


 愛人などに主演の役者を会わせて立場自慢を行うお偉方も居るため、主演が欠席となればそういった権力者たちの怒りを煽ることもある。

 そういう意味では、主演の役者はこの手のパーティーにおいて接待の道具なのだ。


(でも逆に言えば、接待をしっかりやって上の連中と懇意になっておくだけで、ある程度の立場は確保し続けられる)


 媚びるのではなくて、利用する。

 そんな考えで、二郎は週末の祝賀パーティーへと臨むことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る