第12話 友達の家 後編

 美奈の部屋での勉強会は、ひとまずつつがなく進んでいた。


(僕をイメチェンさせようとする動きもないし、ひとまず安心だ)


 二郎はホッとしながらこの状況を噛み締める。

 友達の家で過ごす放課後。

 勉強会。

 小学生時代から芸能活動に勤しんでいた二郎にとって、それらの経験は未知であった。


 だからこそ、この状況を好ましく思う。

 二郎が憧れていた穏やかな日常とはこれである。


「二式くんの教え方、とても分かりやすくて良いわね」


 そんな中、先生役を務めている二郎に対して清歌がそう言ってくれた。


「実際の先生たちより教え方が上手なんじゃないかしら?」

「確かにめっちゃスラスラ頭に入ってくる感じあるかもしんない」

「二式くんってば能ある鷹として爪を隠し過ぎてきたんじゃないの~?」


 里穂と美奈にも褒め言葉を掛けられるが、二郎としては普通のことをしているだけなので、褒められてもあまり感情が揺らぐことはなかった。


「てかさ、これ聞いちゃっていいのかどうか分かんないんだけど……二式ってこんだけ頭良くてコミュ力がないわけでもないのに、なんで不登校だったわけ?」


 里穂が不思議そうな表情で尋ねてきた。


「入学した直後からだよね? 来なくなったの。なんかあったん?」

「それは私も気になっていたわ」


 清歌もその話題に乗っかってくる。


「どうして不登校になっていたの? そして今になって普通に通えるようになったのはどうして? もちろん、事情を口外したくないならお口にチャックで大丈夫」


(……まぁ、その辺の事情は興味を持たれて当然か)


 なぜ不登校だったのか?

 なぜ普通に通い出したのか?


 答えはもちろん――芸能活動で忙しかったが、今は学業優先のスケジュールになったから、である。


 とはいえ、それをバカ正直に伝えることは出来ない。

 なので二郎は前もって用意していた《設定》を伝えることにした。


「まぁ……別に楽しい話じゃないさ。僕の親が去年の4月半ばに離婚してな、親権の取り合いになった。それで僕は、離れて暮らし始めた父さんと母さんのあいだを行ったり来たりして、振り回されていた形だ」


 大ウソだが、そこには真実も潜んでいる。


 実際、二郎の両親は離婚済みである。

 無論、時期は去年ではなく、二郎がもっと小さい頃の話ではあるが。


 そして有名女優だった母が親権を獲得し、女手ひとつで二郎を育ててくれた。

 そしてその母は去年、遺書も残さず自殺した。


 二郎の家庭はおおよそ普通ではない。

 二郎は事実として親に振り回されてきた。

 役者になったのも、女優だった母のエゴだ。

 気付けばこの道を歩まされていた。

 成功の道を歩んでいるとはいえ、平穏からは程遠い人生になった。


 だからせめてプライベートでは静かに在りたい。

 そんな思いを胸に、二郎はウソをつく。


「親に振り回されて、去年は学校どころじゃなかった。ただそれだけのことさ」

「それは……大変だったわね」

「親が離婚って、そっか……あんた結構苦労してんのね」

「子供は振り回されるしかないからつらいよねえ……」


 三者三様、ダミーの理由に釣られて悲しげな表情を浮かべている。

 騙していることを申し訳なく思いながらも、二郎は今後ともこの設定を貫いていくしかなかった。


   ※


 やがて美奈がおやつと飲み物を用意してくれたので、二郎たちは休憩を取ることになった。


「ねえ白川さん、そういえばボクからちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」


 おやつのドーナツを囓りつつ、美奈が問いかける。

 清歌は体型維持のためか、用意されたアイスティーだけを飲みながら応じた。


「ええ、何かしら?」

「白川さんから見て、一式くんと二式くんって似てると思う?」


(――来たな……)


 流れがイメチェンに行きかねない導入部が急にやってきた。

 二郎は心の中で反応したが、ひとまず静観。

 流れをきちんと見極めてから、阻害に動くことにした。


「んー、まぁ、そうね……」


 美奈の質問を受けて、清歌が碧い瞳でジッと二郎のことを見つめてくる。

 二郎はなんてことない態度でドーナツを囓った。


「確かに言われてみれば、体型というか、雰囲気というか……それらしい気配がないとは言えないわね」

「やっぱりっ? 本物を知ってる白川さんもそう思うっ?」

「ええ、前髪とメガネをどうにかすれば、結構似た感じになるかもしれないわ」


 清歌からそっくりさんのお墨付きが出てしまった。

 当然だが、二郎にとっては危惧すべき状況と言える。


(とはいえ、もちろん対策は考えてある)


 考えなしにお宅訪問しに来たわけではない。


(対処は冷静に。さて、一瞬でこの流れを終わらせる)


 二郎は陰キャとしての最強過ぎる一手を打つことにした。


「あ、あのさ……」


 おずおずとした演技で口を開いて、二郎はこう告げた。


「……芸能人に似てるって言われるのは光栄だが、僕は僕なわけでな……外見のことでとやかく言われるのは、色々良くない思い出もあって、昔から好きじゃないんだ……」


 ――外見いじりが嫌いだ、という雰囲気の醸し出し。

 イメチェンに踏み切られないための釘刺し行為として、これ以上に最強の一手はない。

 人の心があるならば、現状の話題を続けようと思う者は居ないはずである。


「あ……ごめんなさい二式くん」

 

 そして実際、効果は抜群だった。

 清歌がばつの悪そうな表情を浮かべ始める。


「……確かにこの話題は、二式くんのことを軽んじているわよね」

「だよね……だいぶデリカシーなかったよボク……」


 美奈も反省の表情を浮かべ、「ごめんねえ……」と涙。

 一方で里穂もどんよりとしていた。


「ごめん……この勉強会って実は、二式をイメチェンさせようって魂胆で仕組んだことでさ……あたしも美奈に乗っかったんだけど、今思えばないわこの作戦。あたしら酷すぎ……」


(き、効き過ぎてないか……?)

 

 最強の一手があまりにも最強過ぎて場の空気を破壊していることを察した二郎。

「すまんな」「ええんやで」的な軽やかな反省と許しのやり取りが出来れば二郎としては充分だったが、現状は泣くほど反省されていて逆につらくなってきた。


「ま、待ってくれ……分かってくれればそれでいいから泣くのはやめよう。な?」


 第三勢力の清歌は普通の反省度合いだが、結託していた里穂と美奈は「ごめん……」「ごめんね……」と反省しきり。

 逆に申し訳ない。

 外見いじりが嫌いなのはあくまで演技である。

 本当のところ、二郎は別に傷付いていないのだ。

 ゆえに反省の色が見られた時点で手打ちである。


「僕はもう気にしてないから、2人も気にしないでくれ。な?」

「うぅ……二式優しい……」

「……別に怒ってくれていいんだよ?」

「僕はそういうガラじゃないし、穏やかに過ごしたいだけだからな」


 私生活では事を荒立てずに過ごす。

 それが野望。

 ゆえに波風はなるべく立てたくないのである。


「それより、勉強を再開しよう」


 そう告げると、里穂と美奈はどこか和やかに頷いてくれた。

 二郎はホッとしつつ、


(まぁこれで……僕と一式が似てるって話題は出されにくくなっただろうな)


 問題解決の副産物として、そういった効果も生まれたはずである。

 平穏な私生活に向けて、一歩前進と言えるかもしれなかった。


   ※


「こうして男友達と2人きりで帰るのは初めてかもしれないわ」


 やがて勉強会が無事に終わると、二郎は帰路に就いていた。

 途中まで清歌と帰り道が被っているので、今は彼女と並んで歩いている。

 あいだに二郎のロードバイクを挟んでいるので、完全に隣り合っているわけではない。


「それにしても、二式くんは心が広いわね。イヤなことをされても、怒りすらしないなんて」

「まぁ……憤怒の感情はエネルギーの無駄だからな」

「私も、改めて謝らないとね。容姿をイジるような真似をして、ごめんなさい」

「や、気にしないでくれ。ホント」


 そんなやり取りをしていると、早くも別れ道がやってきてしまう。


「ええ、ありがとう。じゃあ私はあっちの住宅街だからね。また明日」

「ああ、またな」


 そう告げると、清歌は小さく手を振りながら歩き去って行った。

 その背を見送ってから、二郎はロードバイクに跨がり、数キロ先の自宅タワーマンションに向けてロードバイクを発進させた。


(またな……か)


 正体を隠し通す上で、関係をあまり持つべきではない相手へ、またな。


(どうなんだろうな……)


 悪いことのようで、悪いことではない気がする。

 そんな奇妙な感情に、二郎は包まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る