第8話 サイン会 前編

「二郎くん、今日は腱鞘炎にならないように気を付けてね?」


 週末。

 マネージャーの眞理が運転する車の後部座席に二郎は座っていた。

 髪の毛を無造作に整え、メガネを外してコンタクト。

 身なりを整えた一式モード。

 仕事への移動中である。


「100組でしたっけ?」

「そう、抽選で当たった100組が来るよ」

「まぁ、腱鞘炎にならないように頑張ります」


 二郎が腱鞘炎の心配をしているのは、今日の仕事がサイン会だからである。

 本日は以前から準備されていた、一式の写真集が発売されるその当日だ。

 都内の某大きな書店にて、ファンとの交流を兼ねたサイン会が行われる。

 

 写真集の内容は、撮影現場でのひととき、といったオフショットが中心であり、一式の表には出回らない貴重な様子を窺い知ることが出来るファン垂涎の内容となっている。


 サイン会は事前抽選によってすでに参加可能なファンが決定済み。

 数万の応募の中から幸運な100組が選ばれている。

 

 やがて現場の書店に到着し、眞理が書店の裏手に車を停めた。

 二郎は裏口から書店の中に案内され、楽屋代わりの会議室じみた空間に通される。


「じゃあサイン会までここで待機しといて。私は現場の確認に行ってくるから」

「了解です」

 

 眞理が楽屋から居なくなり、二郎は1人になった。

 暇なのでスマホをいじっていると、――着信。

 今いじっているプライベート用スマホではなく、一式として使用中のビジネス用スマホにLINEが届いた様子である。

 確認してみると、世間一の美少女こと清歌からだった。


【私、白川さん。今、この大きな書店の目の前に居るの】


 茶目っ気のあるメリーさん風のメッセージ。

 それに続いて、現在二郎が居るこの書店の外観写真が何枚か貼られ始めていた。


(――え……)


 胸騒ぎがした。


「も、もしもし白川さん?」


 真相を聞き出すために、二郎は一式としてLINE通話をかけた。


【あら、どうしたの一式くん?】

「どうしたもこうしたもあるかよ……まさかサイン会の現場に居るのか?」

【ふふ、驚いた? 実は当選しちゃったのよね】

「…………」


 どうやら律儀に応募して来てくれたらしい。


「……なんで応募してるんだよ」

【それはもちろん――ライバルがどういう振る舞いでサイン会をこなすのか、敵情視察するためよ】


 敵情視察。

 でもそれが本心じゃないことを二郎は知っている。


(こないだ学校で言ってたもんな……私の方が明確に下で、ライバルだなんておこがましい、一式くんは憧れだ、って)


 聞かなかったことにしたつもりだが、ハッキリと覚えてしまっていた。

 

 清歌は恐らく、普通に一式の応援のつもりでサイン会に来たのだと思われる。

 しかし一式に対しては素直に応援だと言えないため、普段通りの少し高飛車なライバル感を演出して襲来したのだと推測される。


(ま……ライバル演出に乗ってやるのが良心か)


 そもそも乗るしかないのだ。

 それをイジるとなれば、一式=二郎であることがバレてしまうのだから。


「はん、敵情視察か。君も暇人だな。僕のライバルなら忙しくあって欲しいもんだが」


 清歌のセリフに乗っかって煽るように呟くと、彼女は楽しそうに声を弾ませる。


【ふふん、このあとお昼からバラエティの撮影が入っているわ。暇人じゃありませーん】

「なら良かったよ。……にしても、白川さんが書店に現れたとあらば、フロアは軽く騒ぎになってるんじゃないか?」

【平気よ。今日は変装してきたから】

「へえ。ちなみにどんな変装を?」

【それは言わないでおくわ。良かったら私を見破ってみて?】


 そんな挑戦を叩き付けられてしまった。

 いつも変装している側としては、なんだか奇妙な感覚である。


「まぁ……どういう変装か知らないが、目の前に来たら普通に分かるだろうな」

【だといいわね? じゃ、私に気付かないままサイン会を終えないように気を付けてちょうだい】


 そんなこんなで通話が終わる。

 二郎は不思議と気合いがみなぎる気分で、サイン会へと臨むことになった。


   ※


 かくして――サイン会の幕が上がった。


「――めっちゃファンです! 握手してもらっていいですか!」

「いいですよ」

「きゃあああー! ありがとうございますううううううううー!」


 二郎は順調にファンとの交流を開始していた。

 写真集へのサインは当然として、握手を求められれば応じるし、チェキも撮る。

 チェキに関しては、サイン会の一環として運営側が用意しているモノだ。


 ちなみに並んでいるファンの比率は女性100パーセントだった。

 若い子が多いものの、マダム世代も居ればおばあちゃん世代も確認出来る。

 年代は問わず、女性全体に好かれているのが、一式一人という役者である。


「次の方どうぞー」


 そう言って眞理が次のファンを呼び込む。

 金髪の若いギャルだ。

 そしてその子には――盛大に見覚えがあった。


(――富山さんじゃないかよ……!)


 そう、次に二郎のもとを訪れたファンは里穂であった。

 パンフレットをあげて以来、二郎にちょくちょく好意的な絡みを見せるようになった彼女も、どうやら一式推しの1人としてこのサイン会の抽選に当たっていたようだ。


「――さ、サインお願いします……っ」


 教室で見せるツンとした姿とは裏腹に、目の前の里穂は緊張した面持ちで声を上ずらせてプルプルと震えていた。黒を基調としたバンギャのような私服を着ているが、現状はそれに見合わない可愛らしさを放出中である。


(……万が一にも二式だと気付かれないように笑顔マシマシで振る舞っておくか)


 そう考えた二郎は、にっこりと会心の爽やかスマイルを形成して里穂に応じる。


「来てくれてありがとうございます。可愛いですね」

「か、可愛いだなんてそんな……でへ、でへへ」


 里穂は仲間内でも絶対見せないであろうデレデレの状態だった。

 そんな里穂に向けてのサインを、二郎は写真集に書き始める。

 一方で、里穂が自身のバッグを何やら漁っていた。


「あ、あのっ――もしご迷惑でなければ、このパンフレットにもサインをもらうことって出来ますかっ?」


 里穂がそう言って取り出したのは、二郎がプレゼントした試写会限定のパンフレットだった。

 すると眞理が慌てて「あっ、写真集以外へのサインは禁止ですので!」と注意を行う。しかし二郎はそんな眞理を手で制した。


「眞理さん、大丈夫です」

「え、でも……次の子たちからも色々と要求来ちゃうかもよ?」

「それならそれで構いません。せっかくの触れ合いの場ですからね」


 そう言って二郎は、差し出されたパンフレットにもさらりとサインを書き記した。


「あ、ありがとうございますっ!」

「どういたしまして」


 眞理の言う通り、次からの対応が面倒になってしまうが、里穂がそのパンフレットを大事に持ってくれていたのをありがたく思い、サービスしたのである。


 それでいて、二郎は里穂に少しだけ意地悪をしてみることにした。

 里穂には学校で散々からかわれていた。

 もうそういうイヤな間柄ではないし、根に持っているわけでもないが、鎌を掛けて里穂の人間性を確かめてみようと思った。


「君って、試写会にも来てくれたんですよね?」

「え」

「そのパンフレット、試写会限定のモノですから」

「あ、えっと……これは違うんです。……知人に、もらったヤツで」


(そっか……素直に言ってくれるんだな)


 意外な反応だったので驚く。

 てっきり見栄を張って自分でゲットしたことにするかと思ったが、どうやら里穂という人間を少し誤解していたようだ。


「コレくれたヤツ、陰キャの同級生なんですよね……一式くんと違って笑っちゃうくらい全然イケてない男子なんですけど……でも心はきっと、一式くんみたいにすごく良いヤツなんです。それで結構、あたしそいつのこと気になってる感じで――って、こ、こんなこと一式くんに言ってもしょうがないですよねっ。あはは……」


 と恥ずかしそうに笑う里穂を見て、二郎は反応に困った。


(き、気になってるって……それはどういう意味なんだ……なんにしても、距離を縮められるのはマズいな……)


 正体をひた隠したい二郎としては、二郎そのものに興味を向けられるのはあまりよろしくない。

 なのでこう告げておく。


「出来ればその同級生くんよりも、僕のことを一番に思っていて欲しいですね」

「は、はいっ、善処します!」


(善処なのかよ……)


 当然一式くんが一番です! と即答出来ない程度には、二郎への興味も強いらしい。

 その事実に絶望しながらチェキを撮り、里穂をお見送りする二郎なのであった。


(まぁ富山さんのことは一旦置いといて……先はまだまだ長いな)


 サイン会の列は依然として数十人ほど確認出来る。

 清歌も並んでいるのだろうが、パッと見でそれらしい姿は見当たらない。


(……ひとまず集中するか)


 そう考えて、次にやってきた新たなファンとの交流に意識を向け始めた。

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