第6話 ダメ絶対音感
「そういえば二郎くん、ダメ絶対音感の人は周りに居ない? 大丈夫?」
「……ダメ絶対音感、ですか?」
ある平日夜の夕食中。
同居中のマネージャー・
「ダメ絶対音感って……アニメとかゲームのCVをすぐに言い当てられるオタクのこと、でしたっけ?」
「そう、それね」
「それがどうかしたんですか?」
「周囲にその手の人が居たら、二郎くんは正体を隠すのに苦労するんじゃないか、ってふと思ったんだけど、大丈夫? 居ない? 声でバレたりしてない?」
「まぁ……今のところ大丈夫ですね。そもそも僕の声ってそんなに特徴的でもないと思いますし」
それこそ、清歌と普通に話していても気付かれないほど声に特徴がないのである。
それに一応、二郎として話すときは意図的に低い声を出して掠れさせてもいる。
一式一人の声とは違うはずである。
「でもその手の聞き分け力を持ってるファンって絶対居るはずだからね。一応注意した方がいいと思うよ」
「まぁ確かに」
と頷きはするが、出来うる対策はもうしているわけで。
(……ダメ絶対音感のファンが周囲に居ないことを祈っておくか)
これ以上二郎に出来ることと言えば、それくらいだった。
※
翌日の放課後。
二郎はこの時間、学校に居残っていた。理由としては、委員会の雑用に駆り出されたからである。
(……仕事で不登校だった時期に、美化委員会へと勝手に加入させられていたらしい……)
そんなわけで。
同じく美化委員会に入っている同級生の女子と一緒に、校庭の端にある花壇の手入れをやっているところだった。
「――いやあ、二式くんが一緒で助かるよっ。これまで2年の仕事はボク1人でやっていたから大変だったんだよね~」
そう言って二郎の隣で花壇に水やりをしているのは、黒髪ショートカットの爽やかなボーイッシュ少女である。
――
二郎とは別クラスの2年A組に所属している快活な女子生徒だ。
すらりとスレンダーで健康的な見た目。
スカートの下にスパッツを穿いているのだが、それはアリかナシか、意見が分かれそうなところである。
ともあれ、クラスが違うことから分かる通り、今がはじめましての状況だった。
「これからは委員会の仕事、普通に来れる感じ? 今までは不登校だったんだっけ?」
「その通り。不登校で迷惑かけたよ。これからは普通に手伝えると思う」
「うんっ、ありがたいよ。でもなんでこれまでは不登校だったの?」
「まぁ……学校行くのめんどい病に罹患してた」
本当は仕事のせいで不登校だったわけだが、当然ながら美奈にも正体を明かすことは出来ないので真実は告げない。
「あーそうなんだ。でも学校来れるようになって良かったねっ。来れるなら来た方がいいのは間違いないもんねっ」
「だな」
「うんうん、二式くん偉いよっ。ちょー偉いっ」
二郎のウソ経歴にこれといって嫌悪感を示すこともなく、笑顔で水を撒いている美奈。
どうやら彼女は友好的な性格であるらしい。
「ところで、さっきからアレってなんなんだろ?」
そう言って美奈が視線を向けた先には――
じーーーーーーーーーーー。
そんな効果音が似合いそうな体勢で校舎の陰から顔を半分だけ出し、ジッとこちらを眺めている白銀髪の美少女の姿があった。
そう、つまり「アレ」というのは……こんな放課後にも二郎を気に掛けてくれている清歌のことを指している。
「アレって、白川さんだよね?」
「ああ……」
「二式くんのこと……見てるっぽい?」
「……だと思う」
「同じクラスなんだっけ?」
「そう……なんか僕のことを気に掛けてくれてて」
二郎が美化委員会の仕事を上手くやれているのかどうか、世話焼き精神を働かせて観察しているモノと思われる。
(……平日は基本暇になったんだろうけど、だからって白川さん、せっかくの放課後をこんな風に過ごしてていいのか……?)
そんな疑問もさることながら、陰から見守るだけにとどまり、こちらに歩み寄ってこないのが少し不気味だった。
「白川さんに興味を持たれているなんて、二式くんも隅に置けないね~?」
「別にロマンス要素はないけどな……」
「そっか。ちなみにボク、白川さんのことそんなに好きくない」
「……なんで?」
「なんでって、そりゃ――」
美奈は悔しげに拳を握り締め、声を震わせながらこう言った。
「……映画で、一式くんとちゅーしたんだよ……?」
「え」
「ボクね――めっちゃ一式くん推しなのっ……!」
「あー…………」
「だから一式くんとちゅー出来た白川さんが羨ましくて妬ましいのっ……!」
一式ファンはどこにでも居る。
二郎はそれを痛感した。
(マズいな……一式推しと親しくなるわけにはいかない……)
何が原因で正体がバレるか分からないのだ。
一式推しとの距離はなるべく縮めないのがキモに違いない。
とはいえ、この場を無責任に離脱するわけにもいかない。
どうにかしてやり過ごすしか道は無かった。
「ねえ二式くんっ、今から白川さんに迫ってちゅーしてきたら一式くんとちゅーしたことになるかなっ?」
「……絶対ならない」
いきなりとんでもないことを聞かれたので首を横に振っておく。
「なるわけないよねえ……そうだよねえ……ところでさあ」
美奈の瞳がぎょろっと二郎を捉えてくる。
「二式くんってさ」
「……な、なんだ?」
「声、一式くんに似てないっ?」
「!?」
(なん……だと……)
「ボクねっ、一式くんのあらゆる要素の中でも声が特に好きでさっ、ボイスの切り抜きとか作ってよく聞いたりしてるんだけどっ」
「…………」
「似てる気がするんだよねっ、二式くんの声って一式くんにっ!」
そう言って美奈がジッと二郎を見つめてくる。
二郎は冷静な態度を示しつつも、若干動悸を激しくしていた。
(だ、ダメ絶対音感の持ち主なのか……?)
もしそうなら、美奈はかなり厄介なファンである。
おぞましい存在と知り合ってしまったな、と二郎は思う。
一方で美奈は、二郎の身体を舐めるように眺め始めていた。
「思えば……二式くんって結構長身でスタイル良いよね? 猫背だけど、きっちり伸ばしたら一式くんくらいはありそう」
「……何が言いたい?」
二郎は最近の中では一番の危機を迎えているような気がした。
だからといって逃げるような真似はせず、むしろ踏み込んで回避を図ることにした。
「まさか……僕が一式一人なんじゃないか? とかあり得ないことでも言い出すつもりか?」
自らがその疑惑を切り出すことで、そうではないのだと思わせる心理的な駆け引き――たとえるなら、事件の犯人が街頭インタビューを受けるのと似たような手法である。
(あえて目立ち、光と化すことで、焦点をぼかす……さあ、上手く行ってくれ……)
疑惑逸らしの一手を打った二郎は、そう願う。
ワカメのようなすだれ前髪の隙間から美奈の瞳を捉え、様子を窺う。
彼女もまた、二郎の瞳をジッと見据えていた。
数秒ほどただ見つめ合う時間が続く。
そしてやがて――美奈が小さく笑った。
「それはないないw 言い出さないw」
そう言われ、二郎は自分が賭けに勝ったことを悟った。
「声も背格好も似てるけど、似てるだけw 似てるねってことを指摘したかっただけだからねw」
「……だよな」
「そうだよ。二式くんが本物の一式くんなわけないじゃんw」
そんな風に笑ってもらえて安心した。
二郎は心の中でほくそ笑みながら、この話題に終止符を打つことにした。
「なら……とりあえず妙な話題は切り上げて、委員会の仕事を終わらせよう。水やりだけじゃないんだろ?」
「うんっ。あとは雑草を間引くのと、お花の一部をプランターに移して校門付近の彩りを増やしとけって言われてる」
そんなわけで、二郎は美奈と共にその作業をこなしていく。
そのあいだも清歌がずっと付いてきていたが、さして気にせず二郎はやるべきことに取り組んだ。
「――終わったーっ」
やがて作業が終了し、美奈がぐーっと伸びをした。
「やっぱり男手があると違うなあって感じっ」
「これまで不登校で迷惑かけた分、今後は任せてくれ」
「うん、頼りにしてるねっ。――あ、そだ。ねえ二式くん、よかったらボクと友達にならない?」
「……友達?」
「うん、LINE交換しよ? それでさ、一式くんに似てるその声で夜な夜な『美奈、好きだよ……』って囁いてくれたらボクとしては嬉しいんだけどw」
「断る」
「えー!」
「えー、じゃないんだよ」
「むぅ、じゃあそういう無茶ぶりはしないから、普通の友達になるのは?」
「それはまぁ……別に構わないが」
下手に拒絶しても怪しまれるだけだ。
連絡先の交換くらいはしておこう、と考えた二郎である。
「うんっ、じゃあ普通の友達になろっ」
そう言って美奈がスマホを取り出した。
LINEを交換したいようなので応じることにする。
二郎はプライベート用スマホとビジネス用スマホの2台持ちであり、今取り出すのはもちろんプライベート用の、二式二郎としてのスマホである。
こうして美奈とのLINE交換を始めた一方で――
※
(え、何アレ!? 連絡先を交換しているの!?)
二郎が委員会の仕事をこなせるかどうかが心配でずっと見守っていた清歌が、わなわなと震え上がっていた。
二郎は知るよしもないことだが、彼女がわなわなしている理由はこうである。
(わ、私まだ二式くんの連絡先知らないのに……!)
1年生のときから二郎のことを気に掛けている清歌。
この学校では誰よりも二郎のことを気に掛けているつもりの清歌。
だというのに交流は必要最低限で連絡先なんて知らない。
二郎が過度な干渉を望んでいなさそうなので色々遠慮していたが、視線の先では遠慮なく連絡先を求めた美奈がLINEの交換に成功している。
(あ、あんなポッと出の子に先を越されるなんて……!)
そうは言いつつ、すでに一式一人の連絡先は所有済みの清歌である。
とはいえ、その正体が二郎だとは知らず、二郎のプライベートLINEに関しては現に未入手状態の彼女にしてみれば、目の前の光景は焦りに繋がっていた。
(か、かくなる上は……明日こっそりと聞き出してやるんだから……!)
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