第四話 毎週金曜日の勉強会 ー2032年11月ー

 毎週金曜日の決まった時間に『勉強会』を催しているのには、理由がある。


 少し前まで、上原さんはアルバイトや友人と遊びに行く予定がない日は大抵私のところに「勉強教えて♡」と言いながらやってくる生徒だった。


 そう言われてしまったら教師として断る理由はないし、私の方にやましい気持ちなどないのだけれど、赤点後の補習でもないのにひとりの生徒にマンツーマンで勉強を教えている状況を贔屓だと思う生徒や、私たちの関係を訝しがる教師も出てきてしまうのではと上原さんは懸念しはじめた。


 だから彼女はあらぬ疑いで私の教師としての立場が危うくならないようにするために、『毎週金曜日に西校舎の第二選択教室で、かけい先生が国語の勉強会をやる』という宣伝及び周知を学校中に広めたのだ。


 ただ、そういう企画を試みたところで、参加する生徒がいるかどうかは別の問題で。


「今日も勉強会に参加する生徒は、上原さんだけですか」


 理論上は先着三十二人が参加できるはずの勉強会なのだが、教室には教壇の一番近くの席を陣取っている上原さん以外の生徒の姿は見られなかった。


 各々が自分たちで持参した問題集を解いて、わからないところを聞かれれば教えるスタンスの勉強会だ。学年も文理クラスも関係なく参加できるのが魅力的(上原さん談)のはずなのだが、勉強会を開始してから一ヶ月、四回目の開催になっても盛況する気配は微塵も見られなかった。


「ちゃんと宣伝はしてるんだけどねー。ほら、皆強制参加の補習があったり学習塾に通ってたりするから、自主参加型の勉強会は避けちゃうのかも」


 彩川南高等学校は偏差値的には六十前後の普通高校である。一流大学への進学率を外部に自慢できるほどの進学校とは言えないものの、学校側としては現役進学率を上げたいらしく、近年は様々な取り組みを試みている。


 だが、そこまでレベルの高い大学を狙わずに安全圏だけ受験するとか、総合型選抜で行きたい大学よりも入れそうな学校を選ぶとか、生徒たちの意識としてはまだ甘さが残っているように思う。


 とはいえ、上原さんのような人気のある人物が声をかけたら、やる気がなくても一度くらいは勉強会に参加しようと考える生徒がいてもおかしくはない。


 それなのに集まらないということは、偏に私に魅力がないからだろう。


 生徒たちから陰で『地味で真面目で融通が利かないつまらない教師』と呼ばれていることを私は知っている。


 他の先生が勉強会を開いたのであれば、たくさんの生徒が来るのかもしれない。


「一年生はともかく、二、三年生には来てほしいのですが……」


 大人になると、人に教わって勉強するという行為自体にお金を払わないといけなくなる。生徒たちには学力向上のために私を利用してほしいのだが、上原さんの努力に応えられていないことを申し訳なく思う。


「いや、しゅんとしないでよ先生。あたししか生徒が集まんなくても、これがフツーだから!」


 人の気持ちを察することが苦手な私でさえ、上原さんの普段よりワントーン明るい声音に、彼女は私へのフォローをしようとしているらしいと気づいた。


「別に私は人気がなくても気にしていませんよ。マンツーマンのほうが、上原さんへの指導がしやすくなりますし」


「大丈夫、先生はあたしにはモテモテだからね♡」


「いや、ですから落ち込んでないですって」


「でも、ごめん。一個白状させて。先生、なんであたしが勉強会の曜日は金曜日がいいって我儘言ったと思う?」


「……上原さんが空いている曜日だからですか?」


「先生は考えが浅いねえ。そんなんで名探偵になれるのかね?」


 上原さんはありもしない顎髭をなぞる仕草をしている。何が言いたいのだろうか?


「意味がわかりませんが……理由はなんだったのですか?」


「理由は単純で、金曜日って予定がある子が多いからだよ」


「……なるほど、上原さんは、勉強会に来る生徒を減らしたかったのですね?」


「正解♡ 学校側には先生のやっていることをアピールしたくて一応周知はしたけど、できればふたりっきりがいいもん」


 この子の頭の良さや熱意を、もっと勉強の方に向けられないだろうか。


「それに、勉強会のあと先生とごはんとか行けないかなって期待もしてる」


「なるほど、計算高いですね」


「賢いって言ってほしいな」


「少しズルい気もしますが」


「したたかな生徒って嫌いじゃないでしょ?」


 確かに、そうなのだけど。上原さんの挑発にも見える微笑を見ると、私はどうしても心の中の“それ”を刺激されるため、下手なことは言わないように口を噤むしかなくなる。


「……では、勉強会をはじめましょうか」


「はーい」


 上原さんが鞄からタブレットを取り出した、そのとき。


「メイサいたー! やっぱりここだった!」


 ふたりきりの静かな教室に差し込まれた、甲高い声。


 驚いて声のした扉の方を振り向くと、上原さんの友人の佐々木ささき涼香すずかさんが立っていた。


「涼香? え、なに? 急用?」


 ニコッと笑って私に一礼した佐々木さんは、教室に入ってきた。


「筧先生とのふたりっきりの時間を邪魔しちゃってごめんメイサ! これ、さっきの選択授業のとき借りた電子辞書。今日中に返さないとメイサが困ると思って」


「あー、忘れてたわ。ありがと」


 佐々木さんのことは上原さんの口からよく話を聞くから、私は一方的に彼女をよく知っている。


 不破ふわ颯真そうまくんという教師からの覚えもいい優秀な男子生徒と長く交際を続けていて、友人とは広く浅くのスタンスを取る上原さんが唯一、心から信頼してすべてを話すことができる親友とのことだ。


 上原さんと同じようにこの学校内では派手な容姿で目立つグループにいる佐々木さんだが、どうやら性格は上原さんとは似ていないらしい。


 明るくて思ったことをすぐに口に出すタイプのムードメーカーであるが、時にはトラブルを持ち込んでくると上原さんは言っている。


 いつだって好奇心旺盛な印象を与える佐々木さんの瞳に、じっと見つめられた。

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