第三話 自業自得だから ー2032年10月ー

「恋は人を変えるんだよ、先生」


「三文小説に出てくるような台詞ですね。私は信じたくないです」


 だけど実際に人が変わったその瞬間に立ち会ってしまった私は、全部を否定することはできないとも思っている。


「先生、今週末デートしようよ。家に行ってもいい?」


 恋をした女子高生の行動力と賢さ・・には、驚かされるばかりだ。


「ダメです。プライベートで生徒に会うことは禁止されています」


「そんなのバレなきゃいいのに。真面目だなあ。……だったら」


 上原さんはニヤリと笑って、上目遣いをしてみせた。


「先生、勉強教えて♡」


「……学校の中でだったら、いいですよ。いつもの勉強会とは別にですか?」


 私が教師である以上「勉強を教えてほしい」と言われてしまっては断れないことを、上原さんは知っている。いつもは「生徒だから」と断られる理由すら利用するのだから、感心してしまう。


 火曜日の放課後に勉強をみる約束をしてから、上原さんは不満そうに息を吐いた。


「先生との接点が少ないから、会うための口実ばっかり探しちゃう」


「言語文化の授業を担当しているのですから、十分なのでは?」


「そんなの、五十分×週三でしょ? 足りないよ。担任になってほしー」


 教師になって二年目の私は、まだクラス担任を経験したことがない。


 責任感だったりリーダーシップだったり私に足りていないものは多すぎると思うけれど、担任になってほしいと言われたことはうれしかった。


「ありがとうございます。でも上原さんは来年は三年生ですし、若輩者である私が担任になることはなさそうですね」


「えー、そうなの? あーあ、せめて私があと一、二年若かったらなあ……あ、ごめん。やっぱ今のなし!」


 歳の差を憂いた上原さんは、慌てて自身の言葉を取り消した。


「前まではあたしと先生の歳の差を気にしたこともあったんだけど、今は差があってもなくても気にしないって決めたんだった。先生が前に言ってくれたこと、うれしかったし」


「え? 私が何を言いましたっけ?」


「覚えてない? あのね……」


 上原さんは心の中にある大切な宝箱を取り出すかのように、そっと噛みしめるように言葉にした。


「同級生だったらよかったのにって言ったあたしにね、『私は上原さんとは今の関係でよかったと思ってるんです』って。『教師だからこそ、上原さんのことをたくさん知ることができましたから』って」


 ……思い出した。確かに私は、以前に上原さんに対してそんなことを話した気がする。


 上原さんと私の歳の差は、七つ。


 触れてきた文化も価値観も異なる大きい隔たりだと思っているが、たとえば同い年で出会ったとしても私は彼女とここまで親しくはならなかっただろうし、彼女もまた、私に心を開いてはくれなかったと思う。


 だけど私の中では日常会話の一つでしかないそれが、彼女にとっては心に残しておきたいくらいの言葉になっていたなんて思ってもみなかった。


「そうでしたね。上原さんが歳の差を気にしていたことに驚いたものです」


 上原さんは歳の差も性別も立場もまるで無視をして、いつだってストレートに私に好意を告げてくるから。


「先生、あたしのことなんだと思ってるの? そりゃ、初めての恋なんだしいろいろ悩むでしょ。意外と繊細なところもあるんだからね」


「すみません、失礼な発言でしたね」


 頬を膨らませる上原さんに、素直に謝罪する。


 十七歳の少年少女は誰もが繊細であるという前提で接しなさいとは、“緋沙子ひさこ先生”にもよく言われてきたことだ。教師というのは、やりがいはあるけれど本当に難しい仕事であると実感させられる。


「知ってる? あたしはいつだって先生の言葉に振り回されてるんだからね?」


「……そうですか」


「だからね、先生。こうやってあたしに迫られて苦労しているのも、自業自得だから♡」


 そう言ってニヤリと笑った彼女の顔は、年相応に子どもっぽいものだった。


「……自業自得という表現だと、私が悪いことをしたみたいですね」


「え? じゃあ、先生はいいことだって思ってるんだ?」


「違います。ただ、上原さんの好意を悪いことだとは思いたくないんです」


「なんか、同じ言葉なのにニュアンスが全然違ってくるね」


「日本語……いえ、国語は面白いですよ。上原さんにももっと興味を抱いてもらえたら、うれしいですね」


 国語教師としては、生徒たちが日本語や古文、漢文等の分野に興味関心を持って勉強したいと思ってくれるなら、それが一番の望みである。


 私の返答があまりお気に召すものではなかったのか、上原さんは頬杖をついて小さな溜息を吐いた。

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