第二話 極めて特殊で厄介な生徒 ー2032年10月ー

 普段は使われていない西校舎の第二選択教室は、毎週金曜日の放課後になると国語の勉強会を行うための特設スペースに変わる。


 設定していたタイマーが、問題を配信してから三十分が経過したことを知らせた。ピピピと鳴る電子音を止めると彼女は机の上に頬杖をついて、タブレットに表示されている最後の問題を指差した。


「先生、ここ難しかった」


「はい。解説していきますね」


 同じ問題を私のタブレットにも表示して教壇の上から解説しようとすると、一番近くの席に座る彼女は私を見上げるようにして、その大きな瞳で挑発的に見つめてくる。


 高校生にしては大人びた雰囲気、恵まれた容姿と、派手に着崩した制服。


 ここ彩川南さいかわみなみ高等学校がメイクや染髪、ピアスすら許された自由な校風とはいえ、上原さんは周囲に誤解を与えがちというか、生意気にも取られてしまうような風貌をしている。


 本当は真面目な子だということは、こうしてちゃんと話すような関係性を築くまでは私も知らなかった。


「えーっと……ここの敬語が話し手から上東門院にかかっていることを理解していなくてはいけません。おそらく上原さんは話し手ではなく、作者からの敬語だと誤認して解いていると思うのですが……」


 つらつらと解説を進めながら上原さんがついてきているか様子を窺う。どうやら問題なさそうだ。私は授業中は雑談には応じないというルールを定めていて、真面目な彼女はそれを従順に守って真剣に話を聞いていた。


 ……だが、あくまで“授業中”に限ってだ。


「それではこれで、今日の勉強会を終わります」


「ありがとうございました。……ね、先生。今日のあたしのネイル、可愛くない? 涼香すずかにやってもらったの。どう?」


 授業が終われば、上原さんは途端にお喋り好きな女子高生に切り替わる。


「いいと思います。ですが私はオシャレに疎いので、私の判断はあまり参考にしないほうがいいですよ」


「先生にだけいいって言ってもらえたらいいもん。だってあたし、先生のことが好きだから」


 ――それも、私みたいな地味でつまらない教師を好きだと口にする、極めて特殊で厄介な生徒として接してくるのだ。


 一体全体何がどうしてそうなったのか。不思議で仕方がないのだが、上原さんはなぜか私に好意を抱いているらしい。


「……そうですか」


 いつだって唐突にそして情熱的に告げられる好意に対して、未だに慣れることのない私は内心の動揺を顔に出さないように努めるのに精一杯だ。


 ただ幸いなことに、私は昔から自分の感情が表に出にくいタイプではある。


「えー、なにその冷たい反応。まあ、別にいいけど」


 私は教師である限り、生徒からの恋慕の入った好意は男女関係なく決して受け取らないと決めている。私の対応が上原さんはかなり不満らしく度々抗議してくるけれど、私の決意は揺らがない。


 本当に、どうして私なのだろうといつも疑問に思う。


 その綺麗な顔と抜群のスタイルから、上原さんは男子生徒からかなり人気があるという噂は教師たちの耳にも届いてくるほどだ。それなのに、


「今日も先生のこと、好きだよ」


「会話が成立していないように思います」


 彼女は今日も、私に恋をしている。


「成立しない原因は先生にあるんだからね? あたしが好きって言うと先生がいつもブツっと会話を終わらせるせいだから」


「唇を尖らせるのは子どもっぽいですよ」


 女子高生から開けっ広げに好意を伝えられても、普通の大人だったら受け入れることはない。ましてや同性同士なら、尚更である。


 ……いや、世の中には嬉々として未成年に手を出そうとする大人も少なからずいるのだろうけれど、私には考えられない思考だとつくづく思う。


「先生は一体いつになったら、あたしの気持ちを受け入れてくれるの?」


「何度も言っているはずです。私が教師で、あなたが生徒でいる限りは、受け入れることはありません」


「それは先生があたしのことを好きじゃないから言えるんだよ。本当に好きなら、理性とか常識とかなんて考えられなくなると思うんだけどな」


「それは恋ではなく、動物の生殖本能です。人間が人間として恋愛できるのは、理性という枷があるからなのですよ」


「先生、国語教師なのに理屈っぽくない?」


「偏見に溢れた発言ですね」


「でも、そういうところも好き」


「あたしを見て」と言わんばかりの強い目力で、真っ直ぐに私を見つめながら好意を伝えてくる上原さんの勢いに、思わずたじろいでしまう。


「……つい二ヶ月前は『人を好きになる気持ちがわからない』と言っていたのに。今となっては信じられないですね」


 異性に人気があっても、いくら告白されても、上原さんは誰かに心を動かされたことがなかったらしい。誰かと一緒にいたいという気持ちも、独占したいという欲も抱いたことがないと、夏の補習授業の後に私は彼女から相談を受けたのだ。


 私は恋をしたことはあっても、人の相談に乗ってあげられるような人間ではない。


 だから無責任なことは言わないように、下手に助言なんかもしないようにしていたのに……結果、彼女が恋をしたのは、なぜか私だった。恋を経験してみたいなら、彼女が望めば相手はいくらでもいそうなものなのに。


 捧げられる初恋と常識と世間体の間で挟まれる日々は、私にとって刺激的なものなんかじゃない。教師としていたって真面目に生きてきた私にとって、頭を抱える類の物語なのは間違いなかった。

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