スピード・ビート・ディソシエーション

砦上暁

第1話

 ある朝、ミュージックコンポーザー浅羽喜流の元に、6000bpmの曲を作って欲しいという依頼が届く。グッドモーニング世界。6000bpmだと!?気が狂っているのか?はたしてそれは曲と言えるのか?気は狂っているが礼節正しいそのメールの末尾にあった電話番号にコールする。「音楽だ、音楽でなければならない。少なくとも」そう答える男は、自分を対魔精神科医だと名乗った。「悪魔に取り憑かれた魂があり、分離する必要がある。魂の分離には速度がいる。肉体は新幹線でなんとかするとして、心の方は音楽を頼みたい」対魔?精神科医?速度?何が何だか分からない。だが俺はプロだからこう答えるしかない。「つまり、必要なんすねビートが」「そうだ、必要だ。ビートが」

 電話が切れる。


 ホタルの光が70bpm、俺の鼓動はちょっと早めの90bpm。bpmってのはつまり音楽における脈拍みたいなもんだ。ドックンドックンがドスドスだったりタッタラタッタだったりしてるわけ。ついでに言えば俺のiPhoneに入っているアプリケーションのメトロノームの上限bpmは950だ。そしてネズミの心拍数だってせいぜい1200bpmが最高だ!

 つまり6000bpmなんてのは、生命の流れとして狂っているのだ。でも対魔って言ってたよな?悪魔に対抗するには、そういう狂気とか生命を超えたパワー、じゃねえスピードが必要なのかもしれない。俺だってかつては湯船の中で、自分の中の特別な何かが巨悪を倒し世界を救うようなご都合主義のファンタジーを夢想したものだ。だがしかし本当にあるとはな!とんでもないビートのミュージックが必要な世界、それは俺が主人公の世界に違いならない。俺はミュージックコンポーザーのアサバ・キリュウだ!


 俺の曲作りはいつもイメージの世界から始まる。だから速いものを求めて古今東西を巡る。最上川も見に行くし、科学館で恐ろしい風速も体験する。ダイナミックプラネットもシーズン2まで見た。土埃を上げて草原を駆け抜ける馬、サバンナを疾走するチーター、広い海を泳ぎ続けるマグロ。イメージが俺の中を駆け巡る。そうして俺は曲作りに入る。曲を作る時には他のイメージに引き摺られないように、水道水しか飲まない。香りや味のある飲料は論外だし、ミネラルウォーターというアイテムは、もはやそれだけでリリカルな存在になってしまった。俺にとって水道水は文化的な平坦にあるものなんだ。これもまたイメージの世界において成り立つ俺の儀式だ。

 期限は充分にもらっていたが、2週間で曲を仕上げた。悪魔払いに6000bpmが必要だってことは、今現在どこかの誰かが悪魔に取り憑かれているってことだ、たぶん。イメージを大事にする俺はチーターとマグロの合間にも、『エクソシスト』と『コンスタンティン』を観ていた。あんなになってしまっている誰かやその周りの人はさぞかし辛かろう。俺の音楽が誰かを確実にハッピーにするってんならそれは一秒だって早い方がいい!


 完成の連絡をすると真っ白なディスクが送られてきた。最近はめっきり使わなくなったドーナツ型の薄いディスクだ。懐かしいディスクの回転音に耳を澄ませながら俺は音楽を記録する。対魔精神科医とは品川駅ルーテル前で待ち合わせだ。


 約束の7月14日の14時10分ちょうどピッタリに、身なりのよい長身の男が現れて俺に微笑む。グレイのスーツに薄桃色のシャツを着こなし、長髪をセクシーに纏めた彼は久世宗一郎と名乗った。名刺にはきちんと対魔精神科医と書かれている。

「魔断の宗一郎とも呼ばれている。」

 と、冗談なのか本気なのか分からない二つ名まで名乗った。初対面で自ら二つ名を名乗るのがカッコいい人物が現実に存在することに、俺は驚愕している。どういう気品と精神があればそんなことになるんだ?

 一方、彼の後ろでは、少し虚ろな目をした、見るからに体調の悪そうな女がスーツケースにもたれていた。なによりも、髪のコシが死んでいる。俺の経験上、髪のコシが死んでいる人間はとても恐ろしい速度で闇に絡みとられていく。俺は早く曲を仕上げて良かったと思った。宗一郎氏が右手のリングデバイスを操作し、報酬の送金処理済のウインドウを見せてくれた。

「……実際に聞いて確認しなくて良いんですか?」

「要らんよ、分かる」

 宗一郎氏は俺の目を見て、答えた。二つ名を持つほどの対魔精神科医にはオーラで分かるものなのか?心眼だとか霊的な何かで確信を得られているのか?とりあえず即金はありがたいので、俺も手元のバンクルで確認する。これで完了だ。依頼に礼節があり要件が明瞭で金に誠実なクライアントは最高だ。しかし立ち去ろうとする俺の目を再度しっかり見つめて氏は言う。

「良ければ立ち会ってみるかね?」

 どちらにしろ席はとってあるらしい。俺は二つ返事で参加することを伝える。

 俺は俺の曲が悪魔を祓うところをめちゃくちゃ見たいと思っていたんだ。


 品川駅31番ホームを14時47分に出発するリニア鉄道新幹線あこがれは新大阪駅に15時56分に到着する。

「時速500キロだ」

改札を通り抜け、宗一郎氏は言う。

「かつて音を超え光を超えた新幹線は、今、希望をも超えた。速く移動できることだけが恩恵ではないのだ。そこに至る技術、そこに至る営み……数多の困難を人類の手で、暴力を伴わずに解決したという叡智の結晶としてのリニア鉄道新幹線。悪魔はね、人間が何かを乗り越えるその力をとても畏れる。そういう意味ではこれほど悪魔祓いに向いている乗り物もない。」

「神の力とか聖なるパワーで退治するんじゃないんすか?」

「信仰が生きている場所では効くこともあるが、それも何にでも効く万能な力というわけでもない。人間の叡智の方がヴァリエーションが多い上に使い易いんだ。どんな病も治す聖水は存在しないが、叡智はどんな病も治してきた。そういうことだよ」

「なるほど」

手元のバンクルが僅かに震え、続いてリニア新幹線到着のアナウンスが流れる。軽やかなメロディと共に風を纏いながら流線型がホームに滑り込んできた。

 七号車に入り、車両の真ん中ほどまで進んだところで「この辺りにしよう」と宗一郎氏が言って、俺と氏が通路を挟んで座ることになった。ぐったりした女は宗一郎の奥だ。相変わらず目は虚ろだが、ホームに着いたあたりから、ときおり喃語のような呻き声をあげている。少し怖い。悪魔が言葉を覚えようとしているのだろうか。今も、宗一郎氏が女の体をシートベルトで固定すると、デュ…デァウ、のような声が漏れた。

 発車のアナウンスがあったが、周囲は空席のままだった。周囲どころか、この車両には俺たち以外、誰もいない。どうやら一車両分全ての席を宗一郎は買い占めているようだった。

 とりあえず俺はリュックを自分の隣の席に置き、座席に座る。宗一郎氏はというと座席には座らずにガチャガチャとスーツケースからノートパソコンやら四角い機器やらピラミッドのような三角錐のプラスチックやら重厚なヘッドフォンやらを出して通路に並べていた。吸着ロックのバチンという大きな音がして、機器が床に固定される。三角錐のプラスチックを機器の横に耳のように刺し、更にスーツケースから蛇のように絡まった太いケーブルの塊を出すと、慣れた手つきでほどいて機器同士を繋げていく。そうしてメデューサみたいになったコンピュータをテーブルに置き、自身が席に座ったところで最後に重厚なヘッドフォンを3つ取り出した。3つ?

「一つは君の分だ」

 そう言って氏はヘッドフォンを一つ渡してきた。めちゃくちゃ高価いやつ、俺が持っているものの最新上位モデル。

「俺、何したら良いんすか?」

「音楽を楽しんでくれたまえ」

 音楽を楽しむ?俺は確かに考える限り最高の悪魔退治を曲を作ったつもりだが、いざそれを「楽しめ」と言われるとそれは楽しむものなのかという戸惑いがある。この曲はビートにノって高揚するためのものでも、せせらぎのようなチルアウトを狙ったものでも無いのだ。俺の困惑が顔に出ていたのか、宗一郎氏は難しく考える必要はないよ、と言った。

「芸術は鑑賞によって成り立つ。つまり鑑賞されていないものは芸術ではない。そして悪魔祓いにおける信仰や芸術といった魂に作用する道具は、帰納的に定義されるという性質を持つ。もちろん、芸術そのものの価値はそんなもので決まらんがね」

「……つまり、この曲が悪魔祓いに使われるもので最高の音楽だってことを一番知ってる俺がいた方が、俺が一緒に聞いてる方が、悪魔に対してのパワーが上がるってことっすか」

「そういうことだ。ご同行に感謝するよ」

ウインク。ウインクをこんなふうに日常使いする人間がいるのか。

「もうすぐ最高速度に達するよ。次のトンネルを抜けたら施術を始める」

そう言って地図を指差した。


 車両入口上部の電光掲示板に現在最高速度で運転しております、の表示が流れた。宗一郎氏はコンピュータから伸びたケーブルの一つをなぞり、枝分かれした先端の洗濯バサミのようなクリップを女の両手首につけた。あれだ、健康診断で心電図を撮る時にああいうのつけたな……施術中の何かを測るってことなんだろうか。悪魔ってデジタルで観測できるんだな、と今更のようなことを考える。氏は更にぐい、と女の両肩を押さえてから蠱惑的な低音で語りかけた。

「今から君に音楽を聴かせる。素晴らしいミュージックだ。これは有名なミュージックコンポーザーが君のために創った音楽だ。その音は耳から入り、脳へ伝わり、心を埋め尽くし、精神を満たすだろう。そして、魂を揺さぶる。そんな、ミュージックだ……」

びく、と僅かに震えた女だったが、それ以上は無反応で、ヘッドフォンを装着されるがままになっていた。あれが言霊というやつだろうか?氏の言葉が不思議と心に残り、自分が作ったはずの音楽が、何か凄く特別な力を持ったものに繰り上がったような気がする。でももうそういう魔術的な仕草に何も驚かなくなってきた。この人ならそういう事もできるだろう……。宗一郎氏がベッドフォンを装着し始めたのを見て、慌てて俺もヘッドフォンを装着する。そして俺の方を向いて、手のひらを広げた。待てということか?と思っていたら、長い指が一本、二本と折り曲げられ、カウントダウン、と気付いた瞬間、俺の耳に轟音が響いた。俺の曲の始まりだ。何もかもを薙ぎ倒す嵐が降臨する。

 そしてその嵐の中を6000匹の馬達が北上する。


 暗闇の中で、女は、自分にまとわりついていた黒い塊がブルブルと震えているのを感じていた。

 あの日、足元に粘つく影がある、と思っていたら、その影はいつのまにか質量を持ち、日に日に女を飲み込み始め、まるで泥人形を作るように女の稜線を迫り上がってきた。重たく、苦い。喋ることも動くことも億劫なのに、食欲だけは全く減衰しない。病ではなく己の怠惰によるものだと断定されているようで、それもまた心に重かった。怖かった。いくつか病院を回っているうちに精神科に辿り着き、紹介状の果てにリニア鉄道新幹線に乗ることになった。大阪まで行く必要があるらしい。重たく鈍い体をなんとか引き摺って、ようやっと座席に体を押し込んだ。もう言葉を発する気力さえないのに、口からは動物の鳴き声のような音が出る。黒い塊が自分の代わりに声を出し始めたのだ。ようやく気付いた。この黒い塊は、自分の怠惰や心の闇のイメージでもなんでもなくて、自分の、魂を乗っ取ろうとしている何かだったのだ……。

 でもその何かは今、リニア鉄道新幹線が走り出してからずっと震えている。そして震えながら黒い塊がズルズルと後方に滑っていゆくのを感じる。まるで目に見えない強い風に吹き飛ばされているみたいに。

 更に嵐のようなビートの音楽が鳴り始めたあたりから、真横をものすごい数の動物か何かが走っているような気がしている。ダカダカダカダカと大地が揺れる音で身体から黒い塊は足元からも剥がれ落ちてゆく。目を凝らす。そうだ、もう目を覆っていた黒い塊は吹き飛ばされていった。見える。灰色だ。灰色の、馬の群れだ。どこか遠くを目指している。

 置いていかないで欲しい、と女は思った。自分も一緒に走っていきたい、と。


 馬達が嵐の草原を駆け抜け、砂塵の荒野で岩を砕き始めた頃、女の身体が激しく痙攣し始める。

 映画で観たやつだ!真実を目の当たりにした興奮と、未知への恐怖で俺も手が震えている。宗一郎氏は無言でノートパソコンをカチャカチャやっているが、四角い機器も唸りっぱなしだし、謎の三角形もビカビカ光っている。俺の曲では今、6000匹の馬達が風圧をものともせず砂嵐の中を走っている。悪魔を退治する音楽なら強く抗い続けなければいけないと思ったのだ。今、俺はその自分のクリエイティビティが正しかったことを感じ取っていた。人類が築きあげた科学技術の結晶リニア鉄道新幹線と俺が作った最高のビートによって、女の肉体から魂から、悪魔が剥がれ落ちようとしている。何も見えないが分かった。しがみつく以外に手立てを失った悪魔の哀れな窮地が、伝わってくる。そうだ!行け!俺の曲とリニア鉄道新幹線!!

 大地を蹴って6000匹の馬達は暴風を超えて天空へと至る。祝祭が待つその高みへ。その光に触れてーー静寂が訪れると同時にドッと女が倒れ込み、宗一郎氏がすかさず支えた。女は微動だにしない。コンピュータをチラ、と見た宗一郎氏が安心したように大きく息を吐き、上手くいったことが分かった。終わったのだ。


 宗一郎氏は女を席に戻した。髪は頬に首に張り付き、全身は汗だくのようだが、意識はあるようで、何事かを小さく呟いた。宗一郎が頷いてスポーツドリンクを手渡すと、自分でキャップを開けて飲んだ。目を閉じて、ふう、と小さく息を吐き、目を開いて俺を見た。

「気付いたらものすごい速度で走る灰色の馬の群れの中にいて……」

 クォーターホース。世界で最も速い種の馬だ。いいね、俺は俺のクリエイティビティとインスピレーションの一致に嬉しくなった。

「ああなりたいって私も走っているうちに、なんか眩しくなって、目が、覚めて」

 気持ち良かった、と呟いて力を抜いた。それ以上喋る気力もないようで、声にはならなかったが、口元がありがとう、と動くのを見た。俺の曲は確かに悪魔を祓ったのだ。

「憧れはなによりも強い力になるからね」

 宗一郎氏はニッコリと笑って俺の手からヘッドフォンを受け取った。

「良い仕事をしてくれた」

「俺もイイ仕事をしたなって嬉しいっすよ」

 三人で笑う。

 柔らかい機械音声が、まもなく新大阪駅に到着することを告げていた。

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