……あ、あれ。お部屋、片付けた?

かつて戦争兵器だった魔女は、戦争を終わってからも監視の対象だった。ある者は囚われ、ある者は反逆し、ある者は逃亡の果てに余生を謳歌する。


 そして何百年もの時が経ち、魔女という存在は減少の一途を辿った。人と接し、歴史を知ることで、自らが技術革新を引き起こすと知ってしまった魔女が、表舞台から姿を消したからだ。


 技術革新の象徴でもある魔道具は、魔女の魔法を分解して再構築したものだ。昨今では生活必需品だけでなく、刀や銃など、命をたやすく奪う魔道具まで開発されている。


 だからわたしたち魔女は、様々な街に滞在し、人の記憶を消すための魔力を街のシンボルに蓄積して、記憶を消していく。


 それでも人は、魔女の存在をあちこちの痕跡から思い出す。御伽噺のように語り継がれる存在は、綺麗に消し去ることはできやしない。


 完璧な対処法はなく、繰り返すしかない。


 あてのない旅を。一ヶ月間の奉仕活動を。

 人間として生活し、記憶を消すための準備を。


 これ以上、魔道具が発展しないために。

 もう二度と、凄惨な戦争を起こさないために。


◇ 


 シャルちゃんから真相を告げられた翌日、重い気持ちを抱えたまま出勤したわたしを、アンナさんが呼び止めた。また何かやらかしたのかと肩を震わせてしまったけれど、雰囲気から察してそうではないらしい。


 アンナさんはどこか嬉しそうに、わたしへこう告げる。


「新人ちゃん、あの女の子から配達依頼が入ったよ」

「……あ、あの子?」


 反射的に問い返し、思う。


 アンナさんは、わたしやシャルちゃんの事を忘れてしまう。消された記憶がどう辻褄を合わせるのかはわからない。でも、こうして交わす会話のひとつひとつさえ、頭から抜け落ちちゃうんだ。


「――ちょっと、聞いてんのかい?」

「うぇっ、ああ、すみません……聞いてませんでした」

「まったく。しっかりしなよ? アンタが仲良しな、海岸沿いの家に住む女の子から配達依頼が来たって言ったんだよ」

「……へ、へ、へズちゃんから?」


 驚きを隠せなかった。魔女だとバレてからは一回も配達依頼がなかったし、このまま次の街に行くと思っていた。


「そ、アンタが行くだろ?」

「あ、その、えっと……はい」


 押し切られるようにして、わたしは担当になってしまう。


 へズちゃんは、もともと『リヴレ・ヴォン』を利用していた。わたしの存在で数日間遠ざけていたけれど、盲目の女の子が食事をするには、フードデリバリーが一番便利だ。


 生活と嫌悪感を天秤にかけただけ。

 きっと、わたしに会いたいからじゃない。


 へズちゃんの家へと向かう空は、雲ひとつない快晴だった。水平線の上では海鳥が揺れながら獲物を待ち構えている。その動きにつられるようにして、わたしも箒のバランスを何度も崩してしまう。


「……どうすればいいんだろう」


 準備が整えばこちらから訪問する予定だった。


 へズちゃんに謝って、許してもらって、新しく開発した魔法をかけてあげる。そんな絵空事を描いていただけに、意表を突かれた感覚がある。たくさんの可能性が頭によぎって心臓が鳴り止まない。


 また、お母さんがいたらどうしよう。


 気乗りしないまま進んでいると、やがて赤い屋根の家が見えてきた。このままとんぼ返りしたいけれど、仕事で来ている以上、それは叶わない。


 だいたい、逃げる勇気があればわたしはもっと上手く生きている。


 一週間ぶりに降り立ったへズちゃんの家の前は、あの日と同じだった。手入れされていない庭に、白い柵と朽ちかけた風車。あのお母さんも毎日来ているわけじゃないみたいで、家自体がゆっくりと老化しているみたいだった。


 一歩が重く、遠い。


 何度も深い呼吸を繰り返してから、扉のベルを二度鳴らした。ごっごっ、と重い音が潮風に乗り、沈むように消えていく。


「――はい、今出ます」


 そして、扉の向こうから柔らかい声が聞こえてきた。


「へ、へズ、ちゃん……」


 現れたへズちゃんは、口角を少し上げながやも、どこか緊張したような表情だった。間の抜けた表情をしているのは、いつものように頭に乗っている黒猫だけだ。


「……ロアさん、少しお久しぶりですね」

「え、あ、うん。い、一週間ぶり、かな」


 ひとまず配達物を手渡して、お礼を口にする。けれど、そこで会話は止まってしまう。あんなに会いたかったはずなのに、うまく言葉が出てこない。


 話題を探しつつ視線を巡らせていると、あることに気がついた。


「……あ、あれ。お部屋、片付けた?」


 もともと家具は少なかったけれど、今はなんだか空き家のような印象を受ける。漂っていた生活感が消え失せたせいか、へズちゃんとの距離さえも遠ざかった気がした。


「――はい、そうなんです。昨日のうちに、母と整理しました」

「え、えっと……模様替えとか?」

「いえ、その……」


 へズちゃんはどこか気まずそうに頬を掻き、やがて意を決したように息を吸う。


 嫌な予感が、じわり広がっていく。

 そして、残酷な答え合わせの時間が訪れた。


「……引越し、することになりました」


 わたしは相槌さえ打てなかった。それはきっと、衝撃や戸惑いよりも、罪悪感が強かったから。


 このタイミングで引越すのは、へズちゃんのお母さんがわたしを遠ざけたいからだろう。住み慣れた家、過ごしやすい街。それらを捨ててまで、魔女との関わりを断ちたかったに違いない。


「へ、へズちゃん……ごめんなさい……」


 気がつけば、わたしは涙を流していた。


 わたしは犯人じゃない。悪いのはへズちゃんの瞳を奪った魔女だ。けれど、そんな正論は慰めになりやしない。真実がどうであっても、わたしはすでにトラウマを呼び起こす存在になっているのだ。


「……わ、わたしが、この街に来たから……。引きこもりのまま……家に篭ってたら……こんなことには、ならなかったのに」


 わたしが調子に乗って、へズちゃんと関わらなければ。ただの配達員として、手短に仕事をこなしていれば。いくつもの後悔が渦を巻きながら押し寄せてくる。


 やっぱりわたしは、外に出るべき人間じゃなかった。へズちゃんは、そんなわたしと決別するためにこの場を設けたんだ。


「ご、ご利用……ありがとうございました」


 わたしはそう言い残して、涙を振り切るようにして玄関へと駆け出した。何も見えない。何も聞こえない。がむしゃらに走り続けて体力が限界を迎える。


 そのまま倒れるようにして芝生へ寝転ぶと、一気に感情が込み上げてきた。


「……うっ、うぅぁ……うわぁぁぁぁっ!」


 期待してしまった。もう一度笑い合えるかもと、思ってしまった。そんなこと、有り得るはずがない。


 わたしが、魔女だから。


 そもそも、魔女の掟がなければ、わたしは外に出なかった。誰かを助けたいと思うこともなく、そのまま自堕落に生命を終えることだってできた。


「魔女になんて……生まれなきゃ良かった」


 滲んだ視界に広がる空は、果てしなく青い。この色さえ見えなくなった相手に思いを馳せながら、わたしはもう一度大きく叫んだ。

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