……そ、そんなに魔力を貯めて、なにしてるの?

やるべきことが増えたおかげで、翌日からぎちぎちのハードスケジュールを送ることになった。


 配達員の仕事を終えたあとは、人懐っこい野良猫を捕まえて魔法の実験をする。もちろんこれは、安全性に配慮しなきゃいけない。思いついた魔法を際限なく試していくのは、ジャンヌちゃんの瞳を奪った魔女と変わらないからだ。


「うにゃあ、にゃあ……にゃあ……」


 わたしは魔法で自分の言葉を猫語に変換して、道端に居た野良猫とのコミュニケーションを図る。この魔法を試す絶対条件として、猫には大人しくしてもらわなきゃいけないから。


 野良猫は尻尾をぴんと立てて、しゃがみ込むわたしの足元へと擦り寄ってくる。


「……にゃあ」

「にゃあ……にゃ……」

「うにー」


 なるほど、ご飯をくれたら好きにさせてやると言っている。なかなか現金な野良猫だけど、かえってわかりやすい。ビジネスライクな関係は、わたしみたいな陰の人間にはありがたかった。


 わたしは近くの露店でスマートに魚の串焼きを購入し、野良猫の前に置いてやる。これで心を許してくれるはずだ。


 けれど、野良猫はくんくんと焼き魚の匂いを嗅いでから、ぷいとそっぽを向いた。


「――にゃ、にゃんで!?」

「にゃあ」


 これは一番安い魚だ、ケチるな。

 とのこと。


「う、うぅ……野良猫にまで、馬鹿にされるなんて……悔しい……悔しいよぉ……!」


 わたしは鼻水を拭いながら、さきほどの露店であくまでもスマートに高級な焼き魚を買ってやる。とても痛い出費だ。働きはじめてから、金銭感覚が身についてきた気がする。


「……ほ、ほら。食べて」


 ふたたび焼き魚を転がしてやると、野良猫は満足そうに喉を鳴らして貪りはじめた。今がチャンス。わたしはあらかじめ考えていた魔法を編んで、野良猫の神経に入り込む。


 その瞬間、強烈な吐き気に襲われた。


「……うっ……うぇ……おぼろろろろろろ」


 わたしは堪らず魔法をとめて、その場に蹲る。野良猫が何事かと言わんばかりにこちらを見つめている。どうやら、まだまだ改良の余地があるみたいだった。


「……も、もういっかい!」


 けれど、時間はかけてられない。わたしは残り続ける吐き気と目眩を我慢しながら、ふたたび野良猫の神経を魔法で探り続ける。試行錯誤を重ねるにつれ、気持ち悪さもすこしずつマシになってきた。


 その後も悪戦苦闘して、練習を終えた帰り道。すっかり暗くなった裏通りを歩いていると、街の中心部から僅かな魔力を察知した。


「……な、なんで?」


 しかもこれは、シャルちゃんの魔力だ。わたしは疑問を抱きながら、こっそりと近づいてみる。どうやらシャルちゃんは時計台の上に居るらしい。わたしは箒に跨って、ぴゅんと飛んだ。


 街の明かりがすこし遠くなり、夜の風が心地よい。けれど、それ以上に不安な気持ちが強かった。うまく説明できない。嫌な予感がする。


「……ロアお姉ちゃん?」


 箒で上昇すると、シャルちゃんが時計台の鐘に背を預けるようにして立っていた。身長よりも大きな鐘は、正午になると街に透き通った音を響かせる。機能としては、それ以上でも以下でもない。


 でも。


「……そ、そんなに魔力を貯めて、なにしてるの?」


 目の前の鐘には、はちきれんばかりの魔力が注がれている。今までは、シャルちゃんが魔力阻害で隠していたのだろう。でも、それさえも突破して漏れ出すくらいの量だ。


 すこし触れてしまえば、街中に飛び散ってしまうくらいに。


「どこから説明しようかな。これはね、一ヶ月間で貯め続けた魔力なんだ」


 シャルちゃんは伏し目がちに呟いて、こちらに歩み寄る。


「……ロアお姉ちゃんはさ、魔女の掟をどう思ってる?」

「へ、掟……?」

「十六歳になったら旅をして、一ヶ月で違う場所に移る。その間、出会った人には親切にしなきゃいけない。ここだけ切り取れば、いかにも一期一会を大切にそれっぽい掟だよね」


 滔々と語るシャルちゃんの瞳は、悲しそうに揺れている。その視線は、わたしに向けられていた。


「ロアお姉ちゃんは人付き合いが苦手だし、最後の掟はあとで伝えればいいと思ってたけど……えっとね、この街を経つ日にね――――」


 唇が言葉を紡ぐたび、わたしの呼吸が奪われる。冗談を言った様子はない。シャルちゃんは、こんな悪趣味な冗談を言わない。


 思い返せば、この街に来てからのシャルちゃんはすこし変だった。


 人付き合いは最低限にして、へズちゃんとも会話を交わしていなかった。夜は毎日ランニングに出かけて、一人の時間を意図的に作っていた。きっとその間に、この時計台に来ていたんだ。


 すべてが繋がってしまう。

 だからこそ、否定してしまう。


「う、嘘だよシャルちゃん。そんなことしたら……だって……」


 縋る気持ちでシャルちゃんの両肩を掴む。シャルちゃんは首を横に振り、さっきの話が現実であることを後押しした。


「ロアお姉ちゃんの気持ちは、痛いほどわかるよ。もっと早く伝えられたら良かったけど、あんな楽しそうな顔を見ちゃったら、止められないよ……」


 まるで胸元に杭が刺さったように、シャルちゃんの表情は苦痛に歪んでいた。優しいから、きっとわたしのことを一番に考えてくれていた。


「……ごめんね、ロアお姉ちゃん。でも、私たちがやらなきゃいけないの」


 シャルちゃんは、そう言ってからわたしの頭をぽんと撫でた。わたしより背が高く、しっかりしていて、完璧な妹の手は、隠せないほどに震えている。


 シャルちゃんか語る魔女の掟には、わたしの知らない三つ目があった。


 それは、街を経つ最後の日に、住民の記憶から魔女の存在を消さなきゃいけないらしい。

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