ふ、フォローがない!


 翌日以降、へズちゃんは『リヴレ・ヴォン』を使わなくなった。お昼前に決まって舞い込んでいた配達依頼が届かなくなり、わたしは体調不良で休んでいる。なんだか炭酸が抜けた水のような日々だった。


「ロアお姉ちゃん、行ってくるね!」

「う、うん……」


 今日も元気に出勤するシャルちゃんを、布団の上からゆるりと見送る。


 今までのわたしなら、引きこもって魔法の研究ができると喜んでいた。けれどシャルちゃんが働いている以上、なんだか罪悪感が募ってしまう。


 そしてなにより、俯いたへズちゃんの姿が頭から離れてくれない。このモヤモヤは、生まれて初めて味わうものだった。


「……はぁ、わたし、やっぱりダメダメだなあ」


 大きく息を吐いて、窓枠が切り取った青空を眺める。今日も憎らしいほどの快晴で、得体の知れない陽気で上から殴ってくるみたいだった。


 陰キャには辛い世界だ。


 そう考えていたところで、視界の端で何かがぬっと横切った。向かいの建物の屋根を歩く黒猫だった。高層階にも関わらず足取りは軽く、ご機嫌そうに尻尾を立てている。


「そういえば、へズちゃんのお家にも可愛い黒猫が居たっけ……」


 傷付きたくないのに、記憶が勝手に傷と結びつく。もう考えたって仕方ない。この街だって、あと少しでさよならだ。わたしとシャルちゃんは魔女であり旅人で、ここに永住するわけじゃない。


 それなのに、このまま街を去りたくない気持ちで胸が張り裂けそうになる。


「……どうせ、あと二週間も無いんだ」


 そう言い聞かせても、へズちゃんやアンナさんとこのまま離れてしまうのは不義理だ。なにより、ここで逃げるとわたしはナメクジのまま変われない。


 そうわかっている、のに。


「……身体が動かないよお!」


 もし面と向かって拒絶されたら、もう立ち直れないくらいダメージを受けるだろう。喧嘩の相手なんて今までシャルちゃんしか居なかったし、そもそもこれは、喧嘩のようなすれ違いじゃない。 


 わたしは壁に立て掛けていた箒をふわりと浮かせながら、ああでもない、こうでもないと思案する。そのまま箒を縦横無尽に動かしていると、さっきの黒猫が向かいの窓からこちらを凝視していた。どうやら、動き回る箒に反応しているらしい。


「き、気になっちゃう? ほれほれ」


 わたしは猫じゃらしの要領で、箒の穂の部分を猫に向けてふりふりと操作する。黒猫はその場で立ち上がり、もどかしそうに前足を動かしている。


 猫は視力が悪いらしいけど、意外と遠いところまで見えるんだなあ。

 そんなことを考えた瞬間、雷に打たれたような衝撃が全身を駆け巡った。


「……そ、そ、そっか!」


 とある可能性を手繰り寄せたわたしは、いても立ってもいられずにベッドから飛び起きる。そして寝巻きの上からローブを纏い、部屋の外へと駆け出す。


 古いアパートを出たところで、箒に乗る方が早かったことに気がつく。それほどまでに、わたしは強い衝動に動かされていた。


 まず行くべきは、この街の図書館だろう。



 夜になってもメリバルは賑やかさを失わない。大通りのバーからは陽気な歌が漏れてくるし、アパートの窓からも家族団欒の声が聞こえる。電灯やネオン看板の明かりは消えることなく、街を優しく包み込んで夜から守っているようだ。


 つまり、何もかもがわたしには合わない。


「ふ、ふへへ……こっちの道のほうが落ち着く」


 だから、夜は港通りを選ぶ。朝は競りや市場で賑わうけれど、この時間帯は波音が静かに届くくらいだ。昔ながらのガス灯の明かりが水面に揺れながら、漁船へ伸びる風景が好きだ。そしてなにより、潮風が適度に湿っているのでジメジメして落ち着くのだ。

 

 鼻歌まじりにアパートまで歩いていると、向こう側から見慣れた影がやってきた。


「あれ、ロアお姉ちゃん……? もう大丈夫なの?」


 それはシャルちゃんだった。仕事終わりだろうか。顔にはすこしだけ疲れが見て取れる。


「う、うん。心配かけてごめんね」

「それはいいけど……そんなに沢山、なんの本を借りてきたの?」


 わたしの傍らで浮かぶ麻袋を眺めながら、シャルちゃんは探るような目付きをした。


「……ね、猫の生態に関わる書籍」

「……なんで?」


 図書館から借りてきた大量の書籍を、シャルちゃんは訝しげに観察する。わたしが書籍に埋もれるのは、決まって魔法に没頭しているタイミングだ。きっとシャルちゃんは、わたしが引きこもりのぐうたら人間に戻ると思っているのだろう。

 

 でも、今回は違う。


「……あ、新しい魔法を開発して、へズちゃんの家に行くの。もう一度、この世界を見せてあげたいから」


 わたしが宣言すると、ガス灯に照らされたシャルちゃんの表情がすこしだけ歪んだ気がした。


「ど、どうしたのシャルちゃん?」

「え、えっとねロアお姉ちゃん。そのさ……」


 言葉を咀嚼するように、何かを躊躇っている。シャルちゃんはハッキリ口にするタイプなので、こういった姿はかなり珍しかった。


「……ロアお姉ちゃんは、やっぱり凄いね」

「へ、へ……? わたし、ダメダメだよ。仕事覚えらんないし、すぐ体調崩すし、ナメクジだし……」

「……まあ、それはそうなんだけどさ」

「ふ、フォローがない!」


 わたしが嘆くと、シャルちゃんは堪えきれないといった様子で吹き出した。


「冗談だってば。まあ、ロアお姉ちゃんはたしかに色々と残念だけど」

「……あ、あれ? 冗談だったんじゃ……」

「でも、誰かを助けるために、後先考えず身体が動くのは本当に凄いと思う」

「へ?」


 身に覚えがないので、間抜けな相槌を打つしかなかった。わたしはどちらかといえば腰が重い方だ。今日だって、布団の上でごろごろと転がっていたし。


「……メリバルに来た日にさ、建物から落ちそうな猫を助けたの覚えてる?」

「あー、そんなことあったね。でも、それがどうしたの?」


 わたしが首を傾げていると、シャルちゃんは「そういうところが凄いんだよ」と笑った。


「打算で動ける人はたくさんいるけど、ロアお姉ちゃんは無意識だもん。今日だってさ、思いついた勢いのまま、部屋を飛び出してきたでしょ?」

「な、なぜそれを!?」

「箒、持ってないもん。ロアお姉ちゃんのぐうたらな性格なら、間違いなく図書館まで飛んで行くじゃん」

「うぐっ……それは、そうだけど!」


 何もかも看破され、すこし恥ずかしくなる。わたしがうなだれていると、シャルちゃんは愉快そうに笑いながらタオルで額を拭う。


「……ちなみに、どんな魔法を考えているの?」

「え、えっと。簡単に説明しちゃうと、飼ってる黒猫の視界と脳をね――」


 わたしはぼそぼそと、完成案を打ち明ける。説明の序盤こそシャルちゃんの反応は薄かったけれど、終盤になるにつれて目の色が変わるようだった。


「そ、そんなことが可能なの? いや、たしかに……これは無から有を生み出すものじゃないけどさ」


 シャルちゃんが疑問を口にする理由はわかる。かなり大掛かりな魔法になるし、失敗したときのリスクもある。


 そもそも、へズちゃんがわたしを信じてくれるかもわからない。ここが一番の問題だった。わたしが不安を吐露すると、シャルちゃんも同調するように「そうだねえ」と言葉を濁した。


 怨嗟に満ちたへズちゃんのお母さんの瞳と、窓から差す西日。そして唇を噛み締めたまま俯くへズちゃん。もう何日も経っているのに、思い出すだけで呼吸が苦しくなる。


 きっとへズちゃんは、わたしに対して失望している。


「……でもさ、へズちゃんはそんなに怒ってない可能性だってあるよね」


 何度もそう結論づけたのに、シャルちゃんはぽんと手を叩きながら明るい観測を口にした。


「へ、へ? 一言も喋らなかったし……」

「お母さんが居たからじゃない? 色々と、家族関係が大変なのかもしれないし」

「……で、でも」

「でも禁止! ロアお姉ちゃんは悪い方向に考えすぎなんだよ」


 シャルちゃんが呆れながら、わたしの両頬をびよんと伸ばしてくる。見えてないけど、わたしの頬は捏ねまくったパン生地のように伸ばされている。


「い、いひゃいいひゃい……」

「ロアお姉ちゃん。なんでも自分で結論を出しちゃうのは勿体ないよ。駄目だったら慰めてあげるから、とりあえずぶつかってみなよ。人ってさ、言葉を交わさなきゃわかり合えないものなんだよ?」


 本当にそういうものなのかな。でも、対人関係はシャルちゃんのほうが優れている。


 わたしは唇を尖らせて「わかったよう」と呟いた。


 いざ踏み出すのは怖いけど、そもそも踏み出したくて図書館まで駆け出したのだ。へズちゃんの瞳にもう一度光が宿るなら、嫌われたってもいい。


「シャルちゃん、ごめんなさい。あ、明日も……休んでいい?」


 しっかりと瞳を見据え、そう告げる。


 魔法の開発は完成までの道のりが読めない。すぐに閃くときもあれば、霧の中にある迷路を進むように何もかもわからなくなるときもある。


 それに、今回はへズちゃんに直接魔法をかける必要がある。安全性を確保するために、何度もトライアンドエラーを繰り返さなきゃいけない。いまは、一分一秒さえ惜しかった。


 わたしの意思を汲み取ってくれたのか、シャルちゃんは白い歯をこぼしながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。


 そして力強く、わたしの肩に手が置かれた。


「いいわけないじゃん。ズル休みでシフトに穴を開けるのは、人としてやっちゃいけない行為だよ?」


 有無を言わさない響きだった。


 心臓を掴まれたような恐怖を覚えたわたしは「ぴぃ」と鳴いてから何度も頷くしかなかった。波がタイミングを見計らったように、防波堤にぶつかって弾けて消えた。





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