――届けぇぇぇッ!!!


 泣き腫らした目を誤魔化して事務所に戻り、配達をこなしていると、いつの間にか退勤時間になっていた。普段は永遠のように長いのに、今日だけはあっという間だ。


 日が暮れたメリバルの街は相変わらず煌びやかで、わたしには眩しすぎる。俯きがちに歩いていると、隣を歩くシャルちゃんが覗き込んできた。


「……ロアお姉ちゃん、大丈夫?」


 鋭いシャルちゃんのことだ。何も言っていないけれど、すぐにわかっちゃうのだろう。


「……だ、大丈夫とは言えないかな」


 どうせ、わたしの記憶なんて消える。


 そうすれば、へズちゃんが引っ越す理由も無くなる。計画は取りやめになって、この街に残るかもしれない。魔女に関する記憶が消える以上、視界を失ったのも事故扱いになって、魔女に対する憎しみだって消えちゃう可能性がある。


 へズちゃんの笑顔も、俯く姿も、わたしの記憶にしか残らない。一ヶ月間の感情は、ぜんぶ無かったことになる。


 だからもう、べつにいい。


「言うのが遅くなって、本当にごめんね。私、ロアお姉ちゃんが人と関わるのはプラスになると思って、それで……」

「も、もういいよシャルちゃん。シャルちゃんが、わたしのことを思って黙ってたのは伝わるから」

「う、うん……」


 シャルちゃんも、罪悪感でいっぱいだったはず。へズちゃんと仲良くなるわたしを見るたびに、たくさん悩んでくれたのだろう。


「……おなか、すいたね」


 わたしが力無く微笑むと、シャルちゃんは「じゃあ、気晴らしに屋台でも回らない?」と提案してきた。


「……や、屋台? あのお魚屋さん?」

「んーん。今日はメリバルのお祭りじゃん? だからいつもと違う屋台があちこちに並ぶんだよ」


 シャルちゃんの説明に、わたしはきょとんとしてしまう。


「……そうなの?」

「えっ、気づいてなかったの!? いつもと全然違うじゃん!」

「えっ……? どこが?」


 わたしは周りを見渡す。いつもと同じように人がごみごみしていて、あちこちから言葉が飛んでくる。それでも注意深く観察していると、たしかに普段よりも浮かれている人が多い気がした。


「ほら、あっちの方なんて綺麗だよ」


 シャルちゃんが指差したのは、大きな門がある商通り。何かの精霊を祀るためか、柱のあちこちにランタンがぶら下がっている。


 道行く人も同様にランタンを手にしており、橙色の金魚が気まぐれに泳いでいるようだった。


 でも、なんでだろう。

 あまり綺麗だと思えなかった。


「ほ、ホントだ。今日はちょっと違うね。い、いつもお祭りみたいな街だから気づかなかった……」


 だから、わたしは誤魔化すようにして笑うしかなかった。


「そ、そっか……ロアお姉ちゃんだもんね」


 シャルちゃんが何度も頷く。謎の納得をされちゃったけど、なぜか言い返せない。わたしだから、という理由のくせに、とんでもなく説得力があるせいだ。


「まあ、とにかく広場の方向に行こっか。美味しい食べ物も沢山あるよ!」


 そのままシャルちゃんに手を引かれ、わたしは促されるように歩き始める。


 この街に滞在するのも、あと二日。


 きっとシャルちゃんは、煌めく景色を噛み締めながら歩いているのだろう。満面の笑みは、空元気かもしれない。


 それでも俯かずに、力強く前を向いている。


 忘れ去られるわたしたちは、夢みたいな存在なのに。どれだけ覚えたって、意味なんてないのに。


 そう考えちゃうわたしとは、大違いだ。


「……眩しいなあ」


 ぽつりと漏れ出た言葉に、シャルちゃんは「そうだねえ」と微笑んだ。


 きっとシャルちゃんは、これからも割り切って旅ができる。魔女の掟に従って、いろんな街を巡って、最低限の交流をしながら記憶を消していける。


 コミュ力は仲良くなる力だけじゃない。

 適切な距離感を保つ力もまた、大事なんだ。


「……どうしたの?」


 いつの間にか、手を離していた。シャルちゃんが不思議そうにこちらを見て、首を傾げる。


「ご、ごめんシャルちゃん。わたし、やっぱり……」


 もう宿に帰る。そう口にしようとした瞬間、背後から大きな声が聞こえてきた。


「――新人ちゃん達! ちょっといい!?」


 アンナさんだった。大きな身体を揺らすように駆ける姿はとても目立っていて、わたしたちだけでなく、周囲の人の視線さえも集めていた。


「アンナさん、そんなに急いでどうしたんですか?」


 シャルちゃんが質問すると、アンナさんは息を切らしながら手短に要件を告げた。


「丘の家に住んでるお客さん、見なかったかい?」

「へズちゃんのことですか? 私は見てませんが……」

「そうかい。困ったねぇ……」


 会話の節々から、嫌な予感が漂っている。


「な、なにかあったんですか?」


 咄嗟に質問が飛び出す。

 もう関わらなくてもいい。


「ああ。さっきお母さんから電話がかかってきてね。一人でどこかに出かけたみたいなんだ。祭りの日だから、アンタらと一緒かと思ったけど……」


 もうへズちゃんには関わらない。


 そう決めたはずなのに、わたしは無意識に魔法を編み上げていた。


「【旋風の巨人】」


 周囲の風を集めて、巨人の手を作り出す。わたしはそこに飛び乗って、勢いよく浮上した。


「わ、わたしは空から探す!」


 箒の方が小回りが利くけれど、どうしても視野が狭くなる。とくに真下なんて死角に近い。その点、風魔法は無色透明なので上下左右を簡単に確認できる。


 けれど、あまりにも人が多い。


 とくに時計台付近は祭の影響あって、群衆が発生している。この中から小柄なへズちゃんを見つけ出すのはさすがに厳しかった。


「だったら……!」


 新しい魔法を考える。


 ここ数日間で、わたしはとある生き物を調べ尽くした。気まぐれで、自由で、いつもへズちゃんの頭の上に鎮座している可愛いあの子だ。


「――【軽やかな猫の足取り】」


 メリバルにいる黒猫が、マーキングされて蛍光色に輝く。塀の上、屋根の上、屋台の傍。どれもこれも違う。わたしは血眼になって、へズちゃんの頭の上に乗る猫を探し続ける。


 どうして、一人で外に出たんだろう。

 危険を犯してまで、何をするつもりなんだろう。


 いろんな疑問が脳内で膨らんでいく。そもそも、わたしを家に呼び出したのだって、引越しを告げるためだけだったのかな。わたしと関わりたくないのなら、直接伝えなくたっていい。黙って引越せば済むだけの話だ。


 魔法を展開するにつれ、スイッチが入ったように脳が冴え渡っていく。思考が明瞭になり、気づかなかったことに辿り着ける。


「……ああ、笑っちゃうな」


 結局、わたしはどこまでいっても魔女だ。こうして魔法を使わなきゃ、へズちゃんを捜索することはおろか、まともに考えることさえできやしない。


 へズちゃんは、魔女に助けられるのは嫌かな。それとも、わたしが助けに来たと笑ってくれるかな。


 そんな問いかけを自分自身に突きつけていると、やがてとある黒猫を補足する。場所は町外れの高台。女の子の頭の上に鎮座するその子は、何かを訴えるように鳴いていた。


 わたしは魔法を展開し、弾丸のように加速する。


 へズちゃんは両手を彷徨わせながら、一歩ずつ、どこかを目指して歩いている。おぼつかない足取りで、ゆるやかな坂道を上がっていく。


 その先は、街を見下ろせるほどに大きな崖だ。


「――危ないッ!」


 全速力で高台に移動し、急降下する。風を切り裂きながら絶叫するわたしの気配を察したのか、へズちゃんの義眼はわたしの姿を真っ直ぐ捉えた。


「……ロア、さん?」

「進んじゃ駄目ッ!」


 その瞬間、へズちゃんの足は大地を踏み外した。


 崖の高さは十メートルほど。自由落下時間はあっという間。以前助けた猫と違い、へズちゃんは人間だ。片手間の風魔法で浮かせられるほど軽くはない。


 考える時間なんてなかった。


 旋風の巨人から飛び降りて、へズちゃんを上回る速度で落下する。空気抵抗を殺しつつ、足元に追い風を発生させて、疾風のように。


 ――誰かを助けるために、後先考えず身体が動くのは本当に凄いと思う。


 シャルちゃんの声が脳内で蘇る。


 無意識に手を伸ばすのは、魔女の掟が遺伝子に組み込まれているからだろうか。

 かつて人間を傷つけた罪滅ぼしとして、誰かを助けるために生きているのか。


 いや、そんなのはどうだっていい。

 たとえ、この感情がなんだったとしても。

 誰の記憶にも残らないとしても。


「――届けぇぇぇッ!!!」


 きっとこうして、手を伸ばし続ける。


 愚直でも、不器用でも、格好悪くてもいい。

 うじうじ悩むのは、大好きな部屋に戻ってからだ。


 へズちゃんの身体が地面に激突する一歩手前で、わたしの手は細い腕を握る。

 触れてさえいれば、風魔法でへズちゃんと黒猫を浮かせるのは簡単だった。


「ぎ、ぎりぎりせーふ……」


 眼前には地面。雑草が鼻先に触れる。わたしの身体は、空中で反転したまま静止していた。


 安堵の息を漏らしながら、ゆっくりとへズちゃんを地面に下ろす。見えなくとも、自身が感じた落下と浮遊で、何が起きたのかを本能的に理解したのだろう。へズちゃんはそのまま腰を抜かすように座り込んだ。


「……よくわかりませんが、ロアさんが助けてくれたのですね」


 へズちゃんは手探りでわたしの身体を探りあて、ぎゅっと抱きしめてきた。


「……ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。そして、すみません。あなたには色々と、謝らなきゃいけないことがあります」


 そう言って、へズちゃんは右手をわたしの肌に添わせた。それは慈しむような手つきで、わたしの心に安心感をたっぷりと与えてくれる。


 けれど。


「えと、その。へズちゃん……」

「はい?」

「今撫でてるの……わ、わたしのおしりだよ……」

「えっ!? 頬じゃなかったのですか!」

 

 いまのわたしが上下さかさまになっているのは、やっぱり見えていないみたいで。

 わたしとへズちゃんは大きく笑いながら、夜の風を全身で浴びた。

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