……シャルちゃんだって、すぐ顔に出るじゃん

 わたしたちの旅の拠点となるホテルは、港の近くに建っている。古くなったアパートを旅人用に改装したからか、お財布にとっても優しい。


 でも部屋が七階なのにエレベーターが無いのは致命的だと思う。


「はぁぁ、つ、つかれた……」


 重労働を終えたあとの重労働。箒で窓から侵入するわけにもいかないので、他のお客さんと同じように階段を使ってようやく部屋に辿り着いた。


 面倒な手続きを、わたしが牢屋に入っている間にシャルちゃんが全部やってくれていたのは唯一の救いだった。


 ふらふらになりながらベッドに飛び込むと、後ろから「こら、まずはお風呂だよ!」と叱られる。


「うえぇ……今日はしんどい……」

「自立するためにも、まずは生活環境を整えなきゃだめ」

「……ひぃん」

「私は日課のランニングに行ってくるから、戻るまでにお風呂済ませといてね」

「……えっ、い、今から走るの?」


 わたしが驚きのあまり身体を起こすと、シャルちゃんは当然かのように頷いた。同じ仕事をしていたはずなのに、どうしてこんなに元気なんだろう。


「夜だから気をつけてね……な、ナンパとか」

「大丈夫だよロアお姉ちゃん。私が負けるわけないじゃんか」


 シャルちゃんは笑顔を残して部屋から去っていく。わたしが心配しているのは、どちらかといえばシャルちゃんにちょっかいを出してくる相手の方だ。


 新しい魔法を探究し続けるわたしと違い、シャルちゃんは既存の魔法をひたすら極めている。シンプルに、めちゃくちゃ強いのだ。


 そんなシャルちゃんでも、すれ違いざまに瞳を攻撃するのは難しいと思う。仮に風魔法で眼球を切り裂くとしても、繊細な魔力操作が必要だ。直接顔に触れた状態なら簡単だけど、それは流石に警戒されちゃうし。


「相当な手練だよね……やっぱり、お婆ちゃんなのかな……」


 ぐるぐると思考が回転する。

 それでも結論なんて、出やしなかった。


 だいたい、わたしが調べたところでどうしようもない事件だ。魔法は、無から有を生み出せない。


 なくなったものは、取り戻せないのだ。


「うう、さっさと身体を洗お……」


 早くしないとシャルちゃんが帰ってくる。重い腰をあげ、ローブとワンピースをベッドの上に脱ぎ捨てた。だるい、面倒くさい。腕を上げることさえ億劫だ。


「そうだ。し、シャワーのお湯と石鹸を混ぜて、自動で身体を洗ってくれる魔法でも作ろうかな……」


 モヤモヤした感情を振り払うには、魔法の開発に限る。シャワールームに入った私は、泡立てた石鹸を用意して簡単な魔法を展開させた。そしてシャワーのレバーを引けば、スタンバイ完了だ。


「……ふふふ、どうして今まで気づかなかったんだろう」  


 水流に泡を混ぜてしまえば、浴びるだけで綺麗になるじゃん。


「ひ、ひひ……天才……これでもう、お風呂も面倒じゃない!」


 わたしがそう叫んだ瞬間、見たこともない量の泡が発生する。


「へ、へ……なんで?」


 みるみるうちに、シャワールームが泡で埋もれていく。だんだんと視界が白く染まっていき、本能的な危機感を抱く。


「し、シャワーのスイッチ……見えない……」 


 え、わたし泡で溺れるの?


 半泣きになりながら手をばたばたさせて、どうにかシャワーのスイッチを押すことに成功した。けれど発生した泡はまだ消えない。


 そして、もこもこ侵食する泡が鼻の中まで入ってきた瞬間、シャワールームを支配していた泡が一気に減った。


「――ロアお姉ちゃん、何してるの……?」


 開け放たれた扉から、泡が逃げるように溢れ出していく。その先には、汗だくのシャルちゃんが鬼の形相で立っていた。 


「え、あ、その……お風呂掃除を」

「……どうせ、全自動で身体を洗う魔法でも考えてたんでしょ?」

「ひぎぃ! ど、どうしてわかったの……」

「ロアお姉ちゃんは、嘘をつく時に瞳がぎょろぎょろ動くから」

「……そ、そ、そうなんだ」


 衝撃の事実に、わたしは思わずシャルちゃんから目を背けてしまう。もし本当なら、今まで誤魔化してきたアレコレは全部お見通しってことらしい。


「……だからさ、事務所でのやり取りだって、ただ疲れただけじゃないってわかってるよ? ロアお姉ちゃん、配達先で何かあったの?」


 シャルちゃんが心配そうに覗き込んでくる。逃げきれないと悟ったわたしは、観念しながらへズちゃんとのやり取りを説明した。


 魔女に目を奪われた女の子に、わたしが近づくのは危ない気がする。もし何かの拍子でバレてしまったら、深く傷つけちゃう可能性が高い。


 そう付け加えると、シャルちゃんはうむむと唸って難しい表情を作った。


「その子の視力を奪ったのって、たぶん……おばあちゃんだよね」

「う、うん……だから、余計に申し訳なくて」


 わたしたちのお婆ちゃんは、戦争を終えてから行方不明になっている。会ったことがないので、どんな人なのかはわからない。けれど、お母さんとお父さんは縁を切っているし、お婆ちゃんの話は家でもタブーに近い扱いだった。


 それがきっと、答えなのだろう。


「……でもさ、それってロアお姉ちゃんが悪いわけじゃないじゃん。気にしなくていいと思うよ」

「そ、そうなのかな……」

「うん。だって、ロアお姉ちゃんはその子と仲良くしたいんだよね?」


 笑顔で問いかけるシャルちゃんは、もうわたしの気持ちなんてわかりきっている顔をしていた。


「……う、うん。はじめて、家族以外の人と仲良くなれそうだから」

「そっかそっか、それは最高じゃん。ロアお姉ちゃん、本ッ当に友達居なかったもんね」

「ち、違……わたしはただ、必要としていなかっただけで……!」

「はいはーい。それじゃお風呂入ってくるから、部屋の中に溢れた泡は綺麗にしておいてねっ」


 そう言って、シャルちゃんはシャワールームへ消えていく。泡とともに残されたわたしは、まだ不安を抱えながらも、さっきよりすこし気持ちが楽になっていた。


 だからこそ、気づいてしまう。


「……シャルちゃんだって、すぐ顔に出るじゃん」


 さっきの笑顔は、心の底から笑っていない。

 きっとわたしには、言えない何かを隠している。

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