ちょっと、見せたいものがあるの
配達員として働きはじめてから、二週間が経った。メリバルの街にもすこしだけ慣れて、わたしの中にある自立したデキる女としての自尊心はすくすくと育っていた。
今日はシャルちゃんに早めに起こしてもらい、砂糖たっぷりのコーヒーとスコーンを決め込んでいる。窓から見下ろす港は競りの活気で溢れていて、遠く聞こえる喧騒が優雅な朝食のアクセントになっていた。
「ふ、ふひひ、できる大人!」
「ロアお姉ちゃん、昨日の業務日報ってちゃんと書いた……? さっきアンナさんから電話が来てたけど」
「ぎぃぃぃぃぃ! わ、忘れてましたぁッ!」
「あーあ、やらかしたなー?」
今日もまた、朝一番で怒られちゃうのだろう。わたしは深いため息を吐いてから、コーヒーに口をつけた。なんだかさっきよりも苦い気がする。
「でも、ロアお姉ちゃんがしっかり働いてくれるのは予想外だったなぁ。なんだなんだ言って、どこかで逃げ出すと思ってたから」
シャルちゃんがからかうように言う。否定したかったけれど、自分でも続く訳がないと思っていたので言い返せなかった。
だって朝は早起きだし、何度も同じミスをすると怒られるし、シンプルにしんどい。それでも配達員を続けているのは、へズちゃんがほぼ毎日注文をしてくれるからだ。
へズちゃんの家は街の外れにあるので、箒で空を飛べるわたしとシャルちゃんが基本的に担当している。もちろん、アンナさんの気遣いもあるだろうけど。
結局わたしは、素性を隠しながら仲良くなってしまったのだ。
ただ、顔を合わせるたびに思ってしまう。へズちゃんの事情を知っているのに、わたしが正体を打ち明けないのは卑怯なんじゃないかと。
「……まあ、ロアお姉ちゃんが一緒に稼いでくれるなら、出発までにはいい感じに溜まってるかも!」
「う、うん。ほどほどにがんばるね?」
わたしたちはいつまでもメリバルに滞在するわけじゃない。ざっと見積もって、あと二週間ほどだろう。そう考えていると、いつの間にかシャルちゃんの顔が近くにあった。
「ねえ……次の休みの日さ、時間ある?」
「え、う、うん。大丈夫だけど……」
「ちょっと、見せたいものがあるの」
シャルちゃんの瞳には、迷いや戸惑いが含まれていた気がする。けれど、すぐに感情を拭いさるように笑って、いつのも表情に戻っていた。
◇
「この足音は、ロアさんですね」
「わ、わあ、よくわかったね」
もはや通い慣れた一軒家。その扉が開かれるなり、へズちゃんがいつものように黒猫を頭に乗せながら、満面の笑みでわたしを出迎えてくれた。耳がいいのか、わたしの足音がうるさいのか、扉を開けるよりも早く特定されてしまう。
「え、えへへ。今日もお邪魔します」
「はい、もちろん。そう仰ると思って、すこし多めに注文してますから」
「か、かたじけないですなぁ」
わたしが頭を搔くと、黒猫が喉を鳴らす。どうやらわたしを覚えてくれたみたいだ。へズちゃんが自慢げに「この子は人を覚えるんです」と言っていたが、あながち嘘じゃないのかも。
「じ、じゃ、中に行こっか」
へズちゃんと手を繋ぎながら、我が物顔でリビングへと向かう。導線に障害物は置いていないから安全だけれど、こうして手を引くのが習慣になっていた。
わたしたちは席につき、いつものように食事を摂る。
会話の内容は、へズちゃんの趣味とか、わたしの仕事とか。べつに大した話はしていない。でも、へズちゃんと話していること自体が重要なので、内容なんてどうでもよかった。
へズちゃんはよく笑う。
最初は口元に手を当てていたけれど、次第にお腹を抱えるようになった。それでも気品のようなものが溢れていて、美しい所作が骨の髄まで染み付いているんだなと思わされる。
そしてへズちゃんは、自身の視力を取り戻すために努力をしていた。魔石を用いた視力矯正器具を開発するため、耳で情報収集を繰り返しているらしい。
「私は、もう一度見たいんです。空の青さと雲の白さを。そして、夕暮れに染まる橙色の海を」
へズちゃんは、目が見えなくなった今もこの世界を愛している。そして、自然が織り成す美しさを再び視界に焼き付けられると信じている。
現実的に考えて、無から有を生み出すのはわたしたち魔女でも不可能だ。
でも、そもそも魔道具だって最初は不可能だと言われていた。魔石のエネルギーを維持したまま、元々あった道具や機械に埋め込む技術が無かったからだ。
だからわたしは、へズちゃんの目がもう一度この世界と繋がれるように祈っている。この子には、幸せになってほしい。
その感情と同じくらい、罪悪感が膨らんでいく。自身の正体どころか、二週間後にこの街を経つことさえ伝えていない。わたしはたぶん、失うのを恐れている。
「……あ、もうこんな時間ですね」
壁掛け時計の音が鳴り、へズちゃんは深い深いため息を吐く。仕事中である以上、わたしがあまり長居はできないとわかっているからだ。こうして惜しんでくれるのは嬉しいけれど、胸が張り裂けそうになる。
わたしが黙って俯いていると、暗い気配を察したのか、へズちゃんがぱんと手を叩いた。
「もし良かったら、今度はお休みの日にいらしてください」
「――お、お休みの日に、いいの?」
「ふふ、友人を誘うのは当然でしょう?」
へズちゃんが茶目っ気たっぷりに笑う。けれど、この場で答えを出せるような提案じゃなかった。次の休みの日はシャルちゃんとの予定があるし、わたしの気持ちだって整理できていない。
「あ、えと……シャルちゃんに聞いてからでいいかな?」
わたしはそう言って、様子を窺う。するとへズちゃんは首を傾げながら「どなたですか?」と口にした。
「え、あ……わたしの妹だよ? わたしが休みの日は、配達に来てるはずだけど……」
「ああ、そうでしたか。それはきっと、あの元気な方ですね。挨拶しか交わさなかったので、ロアさんの妹だとわかりませんでした」
その言葉に、すこしだけ違和感を抱く。人付き合い大好きなシャルちゃんが、へズちゃんと必要最低限の会話しかしないなんて。
まるで、わたしじゃん。
ここ最近はずっと一緒にいるし、部屋も同じだし、陰キャが伝染してしまったのかも。
「――それでは、次お会いしたときに予定を合わせましょう。玄関までお見送りしますね」
なんて考えていると、へズちゃんが立ち上がった。わたしは支えるように寄り添って、ゆっくりと玄関へ向かう。へズちゃんがこうして見送ってくれるのも、もはや日課となっている。
木目調の廊下を歩く。へズちゃんの髪から甘い香りが漂って、すこしだけ心地よくなる。
うだうだ考えず、街を出るまでこの関係を続けてしまえばいい。辛いことは後回しにして、目の前にある快楽を享受すればいい。わたしは今までそうやって生きてきたじゃん。
そんな悪魔の囁きに流されつつあったせいで、目の前で鍵が開く音が鳴ったことに気づけなかった。
「……あ」
扉が開く。太陽の日差しを背に受けるようにして、一人の女性が立っている。わたしのお母さんと同い年くらいだろうか。けれど、目の下や口元には蓄積された疲労が見て取れる。
「あら、配達員さん?」
「は、はい……」
きっと、へズちゃんのお母さんだろう。
わたしは帽子を脱ぎ、深々とお辞儀をする。そして顔を上げ、へズちゃんのお母さんと目が合ったタイミングで、自分の間抜けさに気がついた。
「その瞳……もしかして、魔女なの?」
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