……許せないけど、どうすればいいんだろう
ティーカップに紅茶を注ぎ、へズちゃんの手元に置く。そんな動作にさえ細心の注意を払ってしまうほどに、わたしの手は震えていた。
もし、今、わたしの正体がバレたら。
「――この街には、数年前まで魔女が居ました。漁港近くの灯台に住んでいると噂されていましたが、正確な居住地はわかっていません。あの魔女は神出鬼没でしたから」
わたしの不安なんて知る由もなく、へズちゃんが唇を紅茶で湿らせる。忌々しい記憶を辿るのは苦しいみたいで、表情がすこしだけ歪んでいた。
「……む、無理しないでいいよ?」
「いえ、大丈夫ですよ。ロアさんには知っていただきたいので」
へズちゃんはふうと息を吐いてから、ふたたび言葉を紡ぎはじめた。歩み寄るために話してくれている。そうわかっているけれど、わたしの呼吸はだんだんと覚束なくなる。
「……その魔女は、ずっと魔法を研究していたようでした。魔導書片手に街を練り歩く姿が、あちこちで目撃されていましたから。そして、よくない噂もまとわりついていました」
「……よ、よくない噂?」
「はい。己の魔法を極めるために、人体実験を繰り返しているという噂です」
わたしは息を呑む。魔女が普通の人とは少し異なるとはいえ、罪を犯せば等しく裁かれる。人体実験を繰り返せば間違いなく極刑だし、噂が広がる前に憲兵さんに捕まってしまうだろう。
でも、その噂を否定しきれなかった。お婆ちゃんならやりかねない。そして、あの人は追手から逃れる術を熟知している。
「……私の視界を奪ったのも、実験の一環だったのかもしれません。ふと思いついた可能性を試すように、すれ違いざまに私の瞳を光で貫いたのですから」
悔しそうな声に、わたしは何も返せなかった。励ましの言葉を伝えるのは簡単だ。けれど魔女――そのうえへズちゃんの瞳を奪ったであろう人物の孫――が優しく包み込むのは、あまりにも残酷だと思う。
「すみません。暗いお話をしてしまって」
「……う、ううん。大丈夫だよ?」
わたしは逃げるようにして、すこしぬるくなった紅茶を口に含む。またしても味がわからなかった。
あまり長居をするべきじゃない。というか、これ以上はへズちゃんと関わるべきじゃない。理性はそう告げていたけれど、なぜかわたしの足は動かなかった。
そのまま仮面を被り続けて、わたしはへズちゃんの友達を演じる。だんだんと、心の奥底が冷えてくるような感覚に陥った。
やがてお開きになり、家を出る際、へズちゃんは嬉しそうに「遠慮せず、またいらしてくださいね」と念押ししてくれた。わたしは曖昧に笑い、へズちゃんの姿が見えなくなるまで歩いてから箒に跨った。
罪悪感のぶん、行き道よりも身体が重たい。橙が伸びた空も、夕日が反射する海も、今はなんだか綺麗に見えない。風がびゅっと吹いて煽られるたびに、このまま堕ちてしまおうかなんて思ってしまう。
「……許せないけど、どうすればいいんだろう」
まだ犯人が確定したわけじゃない。それに、問題はそこじゃない。誰がどんな事情を抱えていたにせよ、視力を奪うほど強い魔法を放つなんてありえない。しかも、十歳前後の子どもに向けてだ。
考えただけで、吐き気を覚えてしまう。メリバルのシンボルである時計台が、どこまでも遠く感じた。
ようやく『リブレ・ヴォン』の事務所に戻ると、アンナさんとシャルちゃんが駆け寄ってきた。サボりを咎められると思ったけれど、優しく肩を掴まれた。そればかりか、心配そうに覗き込んでくれる。
「新人ちゃん、顔色悪いね? ちょっと時間もかかってたし……お客さんに何か言われたのかい?」
「大丈夫? 嫌なことでもあった?」
「え、あ、その、大丈夫。何も無かったです! すこし疲れちゃって……」
わたしが手をぱたぱたさせながら取り繕うと、アンナさんは安心したように息を吐いた。
「そうかい、何もないなら良かったよ。慣れない仕事で疲れちゃったんだろうね。アンタのお姉ちゃんも上がりの時間だから、今日は一緒に帰んな!」
「……あ、えっと」
「ん、どうしたんだい妹ちゃん」
「あ、いえ、なんでもないです」
わたしが頷くと、シャルちゃんは気まずそうに笑みをこぼした。いつものことだけど、だからこそ悲しくなる。
アンナさん、お姉ちゃんはわたしです。
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