へへ、ま、まかせて。家でも紅茶担当だったから
家の中は物が少なくて、生活感があまりない。でもそれは、目が見えなくても動きやすいように導線を確保しているのだと、なんとなくわかった。
「どうぞ、遠慮なくお掛けください」
目が見えない人と接するのは、初めてだった。
シャルちゃんならきっと上手くやるのだろうけど、わたしは対人関係が得意なほうじゃない。だから、余計な気を遣って萎縮させるより、自然体で接するほうがいいかもしれない。
「う、うへへ……ありがとうございます」
だから、言われた通り遠慮なく腰掛けた。女の子もゆっくりと椅子に着き、わたしたちはテーブルを挟んで向かい合う。
「ふふ、では早速ピザを食べましょうか」
「や、やったー! お腹すいてたんです、へへ」
「配達員さんはお忙しそうですもんね。でも私、いつ『リブレ・ヴォン』を利用していますが、あなたとお会いするのは初めてですね」
女の子が記憶を探るように首を傾げる。もしかして、素性を疑われているのかな。
「わ、わ、わたし今日から配達員をやることになったロアです。えと、本当です、嘘とかじゃなくて……」
「ふふ、そこは疑っていませんよ。レールは賢い子なので、もし貴女が不審者なら顔を引っ掻き回していますし」
「ひっ……」
絶妙に怖いことをいいながら、女の子は頭の上に乗る黒猫を撫でる。レールと呼ばれた黒猫は「夜道に気をつけろよ」と言わんばかりににゃあと鳴いた。
「私のことは、へズとお呼びください。敬語も必要ありませんよ」
へズちゃんはそう言って、黒猫を落とさないようにぺこりと頭を下げる。
その所作がとても流麗で、わたしは思わず見とれてしまった。着ている服だってなめらかな素材だし、辺境の地に住んでいるにしては気品に溢れている。
一体どうして、こんな不便なところに住んでいるのだろう。無言でピザを食べるのも気まずいので、わたしはそれとなく質問してみる。
「……へ、へズちゃんって、ここに一人で住んでるの?」
「いえ。母親とふたり暮らしですが、日中は仕事があるので……」
「そ、そっか……」
会話が続かない。わたしが人見知りなせいもあるけれど、へズちゃんは間違いなく複雑な事情を抱えている。会って間もない配達員が、どこまで踏み込んでいいのかがわからなかった。
気まずい。
せっかくお呼ばれしたのに、ピザの味が全然わからない。どこまでも伸びるもさもさのスポンジを口に放り込んでいるみたいだ。
「……ふふ、今日はとても良い日ですね。ロアさんが来てくれたおかげで、心が暖かくなりました。本当にありがとうございます」
「ふぇ?」
けれど、へズちゃんは上機嫌でピザを食べながら、わたしに感謝を述べた。
「え、えと……わたし、何もしてないよ? ピザを勝手に食べたり、お仕事サボったりしてるだけで……」
「それが心地よいのです。私に対してフランクに接してくださる方なんていませんから」
そう言って、へズちゃんはコーヒーカップに手を伸ばす。置く位置が決まっているのだろうか、白くて細い指は難なく取手に辿り着いた。
「……事故で光を失ってから、日々の楽しみなんて食事くらいです」
「そ、そっか。えと、ちょっとだけわかるかも。わたしも、日々のおやつが楽しみだから……」
「そうでしたか。じゃあ、私たちは仲間ですね」
「そうかも、へへ……」
魔女として生まれた私は、同年代の子どもと接する機会があまりなかった。
魔女の掟もあるし、いつ過激な『否定派』と出会うかもわからない。瞳の中に星が宿る以上、身分を隠すことも難しい。
そういった事情を気にしない人もたくさんいるけれど、憲兵さんに注意されたように、わたしたちのことが苦手で仕方ない人も少なからず存在する。
だから、わたし個人として真っ直ぐ受け入れられるのは、なんだか新鮮で嬉しかった。
「……ロアさんのこと、もっと知りたいです。声の雰囲気から察するに、ご年齢は近そうですが」
「あ、えと、十八歳になったとこだよ」
「では四つも年上なのですね、失礼しました……」
「き、気にしないで。わたしってちんちくりんで、いつも年下に見られるから、へへ……」
自虐気味に伝えると、へズちゃんは「きっと、可愛らしい方だからですよ」とフォローしてくれる。
うん、とてもいい子だ。気を良くしたわたしは、へらへら笑いながら頬を掻く。
「え、えへへ……妹のシャルちゃんにも可愛いって褒められるから、わたし可愛いのかも」
「あ、調子に乗りましたね?」
指摘され、わたしたちは同時に笑い声をあげた。
食べかけのピザを口に運ぶと、今度はしっかりトマトとチーズの芳醇な味わいが広がる。我ながら単純だと思う。
「そうだ。この前買った紅茶が戸棚にあるので、よろしければお出ししましょうか?」
「是非!」
わたしは勢いよく手を挙げてから、いや自分で淹れるべきだと結論づける。
「……えと、わたしがやるよ。へズちゃんは座ってて」
「でも、お客様の手を煩わせるなんて」
「……な、な、仲間だから気にしなくていいの」
勇気を振り絞ってそう告げる。するとへズちゃんは、どこか恥ずかしそうに俯いて「では、よろしくお願いします」と小さく言ってくれた。
「へへ、ま、まかせて。家でも紅茶とお菓子担当だったから」
わたしは魔法を使って台所の鍋を拝借し、お湯を沸かすことにした。物体を浮遊させれば、流れるような動作で紅茶だって淹れられちゃうのだ。
人前で迂闊に魔法を使っちゃいけない気はするけど、シャルちゃんは気にしなくていいって言ってたしね。
「沸くまでちょっと待っててね」
「ありがとうございます。ずいぶん手際が良いのですね」
「ひへへ……プロだから」
「ふふふ、また調子に乗ってますね」
それがおかしくて堪らない、といった様子でへズちゃんは口元を抑えて笑う。
「はぁ、こんなに楽しいのは久しぶりです。ロアさん、本当にありがとうございます。もしよければ、またこうして部屋に上がってください」
「え、いいの!? じゃ、じゃあ……これからも、たまにサボらせてもらうね」
「はい、喜んで。ただ……せっかくできた友人の顔すらわからないのは、辛いものですね」
へズちゃんはそう言って、口元を歪めながら俯く。わたしが声をかけるべきか迷っていると、へズちゃんは吐き出すようにして言葉を続けた。
「――魔女さえ居なければ、私の瞳は奪われなかったのですが」
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