――す、す、すみませんでじだぁぁぁぁぁッ!
『リヴレ・ヴォン』は首都メリバルに拠点を置く仲介企業だ。各飲食店に配達員を派遣し、商品を受け取って依頼主の自宅や職場まで配達させるのが業務内容で、国内シェアは八割を超えているらしい。
つまり、配達員はもれなく頭がおかしくなるくらい忙しかった。
「ほら新人ちゃん、へばってる暇なんてないよ! 次の配達先はここね!」
「は、はぁす……ひぃつ、もす……」
出勤初日。三件目の配達を終えてよれよれで帰還するわたしに、アンナさんから容赦なく次の指令が下される。
黒髪を後ろで括るアンナさんは、わたしとシャルちゃんが配属された地区をまとめるリーダーで、お母さんくらいの年齢だ。
事務所の狭い室内には無数の電話機が配置され、アンナさんはひっくりなしに鳴る受話器を高速で捌いていく。一人なのに声が幾つも聞こえる。魔法めいた身のこなしに、最初は魔女かと思ったけれど、どうやら一般的なスキルらしい。
――こんなの、ある程度働きゃ誰だってできるようになるよ。
そう笑いながら仕事を振るその姿からは、ボスの風格さえ漂っていた。
魔女とはいえ、クソザコナメクジのわたしに逆らうことなんてできるわけもなく、ただひたすら仕事をこなすしかなかった。
新人なのだから、せめて最初の一週間は見ているだけが良かった。
そんな愚痴は飲み込んで、事務所の窓から箒で飛び立つ。注文が入った飲食店へと向かうためだ。こうしていると「箒に乗ってるんだから楽じゃん」とか言われそうだけど、繊細な魔力操作が必要なので、実はそんなに楽じゃない。
そして何より、店員さんに要件を伝える瞬間がいちばん緊張する。
「あ、あの。ほ、本日は、お天気もよく……ふひひ、ひ、配達日和でございますが!」
「は、はぁ……?」
「えと、り、り、るるる『リヴレ・ヴォン』からやってきましたあ」
「ああ、配達員さんね。ちょっと待ってて」
飲食店に到着したわたしは、フランクで小粋な挨拶を前置きしてから店員さんに要件を伝える。しばらく待つと、丁寧に包装された食事を手渡してくれた。
「あ、あじゃごどうざいます」
どうやら今回の配達はピザらしい。袋の中から、トマトとチーズの香りが溢れ出している。そういえば、そろそろお昼ご飯の時間だ。
「あの、配達員さん……ものすごい量の涎が出てますけど?」
「――ひ、ひゃい! 大丈夫です! た、食べません!」
「あ、はい。それは当然なんですけど……」
店員さんが「大丈夫かコイツ」と言いたげな表情で見てくるので、わたしはできるだけキリッとした顔で飲食店を後にした。
「はぁ……ろ、労働は地獄だ……こんなのを続けなきゃ生活できないなんて、世の中おかしいよ……」
シャルちゃんと一ヶ月泊まることになった宿屋は、お世辞にも豪華とはいえない。それでも二人で働かなきゃ、半月で貯金が尽きてしまうだろう。
世知辛い。そとはこわい。
もっとこう、魔女らしい楽なお仕事はないのだろうか。ひとまず今日の仕事が終われば、なにか自分で探してみよう。スイーツを味見するお仕事とか。
たしかな決意を胸にしてメリバルの街を飛び、地図が指し示す場所へと向かう。魔法で目的地をマーキングして、自動的にナビゲーションしているので、広大な街でも迷うことがないのは唯一の救いだった。
それにしても、こうして箒で飛ぶのは少なからず目立つ。『否定派』がどこかに居るので、人前であまり魔法を使わない方がいいはずだ。けれどシャルちゃんは、そこは気にしなくていいよと言っていた。
――大丈夫だよロアお姉ちゃん。うん……大丈夫なんだ。
理由は言ってくれなかったのが引っかかるけど、まあシャルちゃんが大丈夫というならば大丈夫なのだろう。
「あそこにある、赤い屋根のお家……かな?」
やがて見えてきたのは、海沿いの斜面に建つ一軒家。周囲に他の建物がないせいか、草木で覆われた場所はなんだか世界から切り離されたみたいだった。
いったい、どんな人が住んでいるのだろう。
とっつきにくい人だったら嫌だな、怖いし。
わたしは少し緊張しながら、門の前に降り立つ。石造りの門にはツタが絡みついていて、あまり手入れはされていないようだ。
門を抜けた先にある小さな庭園も、雑草が伸び放題だった。花壇の近くに放置された小さな椅子が、物悲しそうに背を向けている。
「……な、なにこの家、廃墟……?」
さっさとピザを届けてしまおう。
そう決心して、ドアベルをごんごんと叩いた。
「あ、あの……『リヴレ・ヴォン』からやってきた配達員ですが……!」
しんと静寂が広がる。応答がない。
「あ、あ、あのー!」
さっきよりも大きな声で叫んでみたけれど、やっぱり無反応だった。
「も、もしかして……イタズラ?」
嘘の住所を教えて、どこからかわたしの反応を窺って楽しんでいるのかもしれない。そう考えると、なんだか胸の奥に墨を垂らされたような気分になった。
「は、は、働くって大変だ……。でも、イタズラってことは……このピザ……食べていい、よね?」
廃棄するくらいなら、わたしの胃袋に治まるほうがピザだって焼かれ甲斐があるというものだ。
そうと決まれば、冷めちゃう前に食べてしまわなきゃ。わたしはその場に座り込み、青空に鼻歌をのせながらピザの包装をべりべりと破く。
現れた箱を開けると、トマトとチーズで彩られたピザが姿を現した。すこしニンニクが効いているのもまた、わたしの胃袋へ強く訴える要素となる。
「ひひ、自分へのご褒美ってことで……」
一切れを摘み、口に運んだ瞬間。
目の前の扉が、ゆっくりと開かれた。
「遅くなってごめんなさい、配達員さん」
「……あ」
現れたのは、ターコイズブルーのボブヘアーが印象的な女の子だった。頭の上には黒猫がどんと鎮座していて、咎めるようにこちらを見つめている。
「……え、あ、えと、その、これは、違くて」
わたしの心臓が、どんどこどんと暴れ回る。「違くて」なんて言ったけれど、もはや言い逃れできる場面ではないと自分でもわかっていた。
「――す、す、すみませんでじだぁぁぁぁぁッ!」
わたしは額を地面にこすり付けて、大きな声で謝罪を口にする。
「えっと……配達員さん?」
「な、なかなか出なかったから、イタズラで誰も住んでいない家に呼ばれたのかなと思いまして、それでぇ、ぴ、ピザが可哀想になっちゃってぇぇ……つい……」
わたしが素直に白状すると、女の子はぷっと吹き出して愉快そうに笑った。
「あはは。もしかして、食べちゃったんですか?」
「うえ、えっと、その……はい、ごめんなさい」
「構いませんよ。どうせ、私ひとりじゃ食べきれなかったですから」
女の子はそう言いながら、目元に笑みを湛える。けれど、その仕草にどこか違和感を覚えてしまう。いったいなぜだろうと考えて、はたと気づく。
わたしの目を、見ていないからだ。
でもそれは決して不躾なものじゃない。女の子の表情は柔和で、こんな粗相を働いたわたしに対しても怒りの感情は一切伝わってこない。
「良かったら、ご一緒に食べませんか?」
そればかりか、渡りに船というべき提案をしてくれる。
「……い、いいんですか?」
「はい。貴女はどこか、普通の人と違う気がしますから」
「……えへへ、それは、まあ」
さすがのわたしも「人のモノを食べちゃうのは普通じゃないですよね、あはは」と笑えるほど豪胆ではない。
けれど、この誘いを受けない理由もなかった。いや、あんまりダラダラしちゃうとアンナさんに怒られるかもしれないけれど、少しなら大丈夫だろう。たぶん。
「じ、じゃ、お言葉に甘えて……」
わたしがそう答えると、女の子の表情はぱっと花が咲いたように明るくなる。黒猫もまた、同調するようににゃあと鳴いた。ただ、女の子の眼窩に収まるシャンパンゴールドの瞳だけが無機質で、どこか作り物めいて見える。
いや、というかこの瞳は。
「……あ、そっか。だから遅かったんだ」
違和感の正体に気がついて、自然と言葉が漏れてしまう。部屋から玄関までの道のりだって、きっとこの女の子には険しいものだ。
わたしはすぐに、身体を支えるために女の子へと近づいた。
「……配達員さん?」
「わ、わたしの腕、掴んでいいです、よ」
余計な気遣いかもしれないけれど、放っておけなかった。そんなわたしの様子を感じ取ったのか、女の子は柔らかく微笑む。
「……ふふ、ありがとうございます。もう気づかれたんですね」
「う、うん。その目……」
女の子は、まっしろな指先で自分の瞼にそっと触れる。
「はい……お察しのとおり、どちらも義眼です」
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