いやぁぁッ、ロアお姉ちゃんが泡を吹きながら倒れた⁉
魔女の掟その二。
旅路を終えた魔女は、人里離れた場所で暮らすこと。
魔法は自然との対話だ。大地に根を生やす草木や、海を渡り走り抜ける風を全身で感じるためには、文明から離れなければいけないらしい。
だから両親は、町外れの丘の上に家を建てた。基本的には自給自足で、用事がある時だけ最寄りの町へと赴く。訪ねてくる人は血縁者と配達員ばかりで、文字の読み書きもお母さんが教えてくれた。
わたしの性格には合っているし、今後不自由することもないと思う。でもシャルちゃんは人付き合いが大大大好きな子だし、この掟は息苦しいはず。
だから、せめてこの旅ではたくさんの人と関わってほしいなと、引きこもりの姉ながら願っている。
◇
「ロアお姉ちゃん、大丈夫ー?」
「んぁ……?」
憲兵さんと雑談して、いつの間にか眠っていたわたしは、シャルちゃんの声で夢の中から引きずり出された。どうやら朝になったみたいだ。うんと背筋を伸ばした瞬間、聞いたことがない音が鳴った。
「うう、こ、腰がいたい……」
はじめてベッド以外の場所で寝たせいか、全身がバキバキだった。背骨は軋むし、首筋には違和感がある。旅立ちの日に牢屋で一晩を明かす魔女なんて、きっとわたしが初めてだろう。
「うわ……ロアお姉ちゃん、なんか一晩で老けちゃったね」
「だ、だって、痛いし狭いし暗いもん。ううう、シャルちゃん……はやくここから出してえ」
「はいはい。ちょっと待っててね」
シャルちゃんはそう言いながら、隣に居る男性の憲兵さんに頭を下げる。昨日の憲兵さんは交代したみたいだ。男性は冷たい瞳のまま錠を外し、面倒くさそうに牢屋の扉を開いた。
ようやく解放されたわたしは、シャルちゃんの胸に飛び込んだ。
「うわぁぁぁ……も、もう出られないと思ったよお!」
「大袈裟だなあ。次からは気をつけてね?」
「う、うん……昨日、使っちゃダメな魔法は教えてもらったから、大丈夫……」
昨夜の憲兵さんが説明してくれた禁止魔法をざっくりまとめると、人に危害を加える魔法は全部だめみたい。
逆に使っても大丈夫な魔法は、箒での飛行だったり、風魔法の浮遊だったり、とにかく魔女として基本的なものばかり。
「で、でも……わたしが創作する魔法に関しては、適宜判断されるってさ」
「まあ、ロアお姉ちゃんの魔法って斬新だもんね。ルールが追い付かないというか」
シャルちゃんが眉を下げながら笑う。
たしかに、既存の魔法を使わないわたしをルールで縛るのは難しいと思う。前例がない以上、先手を打った規制ができない。だから憲兵さんは『人に危害を加えない』を強調してくれたのだろう。
「ま、まあとにかく。これで魔女としての生き方もばっちりだよ、へへ……。あ、そうだシャルちゃん」
「んー?」
「お婆ちゃんってさ、まだ生きてる……んだよね?」
わたしが問うと、シャルちゃんはすこしだけ首を傾げた。憲兵さんの話が確かなら、お婆ちゃんがこの街のどこかに居る。それはつまり、あの人の生存を意味している。
「え、どうなんだろう。何年も音沙汰がないってお母さんが言ってたからわからないや……。何かあったの?」
「う、うん。実は憲兵さんがね――」
わたしが噛み砕いて説明すると、シャルちゃんの表情が曇っていく。
「何年もここに住んでたってことは、掟を無視してるよね。っていうことは……本当にお婆ちゃんかも」
「だ、だよね」
「ちょっと気になるから、休みの日に聞き込みでもしてみよっか」
お婆ちゃんとは、もう何年も会っていない。というか、会う気もない。でも、野放しにしちゃいけないことは、なんとなくわかっていた。
そしてもうひとつ、先ほどの会話に聞き捨てならない言葉があった。
「――シャルちゃん。お、おやすみの日って言った……?」
おやすみの日。それはつまり、おやすみじゃない日が存在するから生まれる概念だ。背中を冷や汗がつたい、呼吸が荒くなる。いやまさか、そんなそんな。
「え? うん。だって、明日から働くし」
「――ぎっっっ!?」
働く、という身の毛もよだつワードに足を止めてしまう。しかも明日からって言った?
ううん、いやいや。ありえないよね。
こんなひどい環境に閉じ込められていたのだから、少なくとも一か月は休養がほしい。まずは安静にして、身体の痛みを和らげて、じっくりと英気を養うのが先決だし。うんうん。
そうやって自分を納得させていたら、シャルちゃんは満面の笑みで一枚の紙を手渡してきた。
おそるおそる受け取った瞬間、両腕に蕁麻疹が浮き出してきた。
雇用形態、勤務時間。
本能的に拒否したくなる単語が、ずらりと並べられている。
「ほらこれ、フード・デリバリーの採用通知。私たちは箒で飛べるから即採用だったよ! やったね!」
「――ひんぎぃぃぃぃぃいぃッ!」
「いやぁぁッ、ロアお姉ちゃんが泡を吹きながら倒れた⁉」
薄れゆく意識のなかで、わたしは想像する。
フード・デリバリーは、飲食店の料理を自宅や職場に運んでくれるサービスだ。
電気で遠隔地に声を伝える魔道具が発達して以来、気軽に注文できる利便性が注目され、爆発的な人気を博している。
実はわたしも毎週利用していた。
魔女の掟に背く気もするけど、フード・デリバリーなんて存在しなかった頃の掟だ。新しく生まれた抜け穴をくぐるのは、問題ないだろう。たぶん。
ともかく、ヘビーユーザーだったわたしは配達員さんの忙しさを知っている。汗水垂らす、という表現が生ぬるいほど汗をかいていたし、きっとハードなお仕事に違いない。
そしてなにより、わたしみたいな怠け者に食事を届けるために働くのは嫌だ。
「ろ、ロアお姉ちゃんしっかりして!」
両頬をべしべしと叩かれたわたしは、少しずつ現実に戻される。
「し、シャルちゃん。だめだよ。あんなサービスを使うのは、家から出たくないという腐った根性が骨身に染み付いた、無駄遣いする人や成金ばっかりなんだよ?」
「ロアお姉ちゃんも、頻繁に使ってなかった?」
「え、知ってたの?」
「う、うん……。今の反論は自己紹介でしかなかったよ」
「――だ、だからこそだよ! わたしはわたしが大好きだけど、わたしみたいなダメ人間は苦手なの!」
「自分で言ってて悲しくならない……?」
わたしはゆっくりと起き上がり、やんわりと否定の意を告げる。
「な、なので、フード・デリバリーのお仕事はわたしにはちょっと……」
すると、シャルちゃんは大きく息を吐いた。
「じゃあロアお姉ちゃんには、一人で魔物討伐でもして稼いでもらうしかないなあ」
「……ま、魔物討伐?」
「そ、手っ取り早いし高収入! もちろん危険はつきものだし、荒くれ者の冒険者たちとパーティを組んで、何日も街に戻ってこられないけど……天才魔女のロアお姉ちゃんなら問題ないよね?」
シャルちゃんがにっと口角を吊り上げる。
けれど、目が笑っていなかった。
言うまでもなく、超インドア派のわたしが冒険者と一緒に魔物討伐なんてできるわけがない。汗臭そうだし、野宿もムリだし、夜な夜な酒場で飲み明かす陽キャのノリだって受け付けない。
揺れ動く天秤は、どちらに傾いても地獄へと近づいてしまうみたいだった。
「……うっ、うぅっ……ひぐっ、シャルちゃんと一緒に、お仕事頑張ります……」
「うんうん、頑張ろうね?」
ぽんと肩を叩かれた瞬間に、涙がとめどなく溢れてしまう。明日からわたしは、一体どうなってしまうのだろう。
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