こういうのは、無許可でやっちゃダメなんだよ
腹ごしらえを終えたわたしたちは、手頃な宿を探すことにした。滞在期間はちょうど一か月。シャルちゃんはひとつの部屋を拠点として使いたいらしい。きっと、わたしの生活を監視するためだ。
「――で、宿を使うってことは、お金が必要になるんだよね」
シャルちゃんは人差し指をぴんと立てて、社会の常識を先生みたいに説明をしてくれる。
「私たちが旅を続けるには、最低でも宿代と食費が絶対に必要なの。最悪、野宿って手もあるけど……」
「や、やだやだ。虫とか無理だもん」
「うん、わかってるよ。でもそうなると……今までみたいに引きこもりはできないよね?」
シャルちゃんの笑顔がぬっと近くなる。
いくらわたしでも、言いたいことはわかる。
「えへへ……ま、魔女として『肯定派』の人からお布施を貰ってくればいいんだよね?」
「いや、働けって言ってるんだけど」
「――そ、そんなひどいこと言わないでよお!」
わたしが「おに、あくま!」と抗議すると、シャルちゃんの眼光が鷹のように鋭くなった。
「え? ロアお姉ちゃんさ、もしかして……私に養ってもらおうとしてた?」
「そ、そ、そそそそんなことないよー?」
「動揺の教科書みたいな反応してるじゃん」
シャルちゃんは立ち止まり、わたしの肩をがしりと掴む。
「昨日までの生活はもう忘れて……私と同じところで働こうね? ロアお姉ちゃんにぴーったりの仕事、探してくるから」
「……ひ、ひぃん」
嫌だ。めっちゃ嫌だ。
でもさすがに、ここでもう一度「働きたくない」と言うほど馬鹿じゃない。怒ったシャルちゃんは容赦なく魔法で攻撃してくるからだ。
四年くらい前に、シャルちゃんのお菓子を勝手に食べたときなんて凄かった。
怒り狂ったシャルちゃんが自分の部屋で何やらぶつぶつ唱えていたので、こっそり聞き耳を立ててみたら、半日ほど詠唱しなきゃ発動できない宇宙魔法だった。
結果的に、落下する星屑をなんとか魔法で受け止めたけれど、これはわたしが天才だったから無事なだけで、普通の人なら即死すると思う。この旅路も油断できない。いつ怒られてもいいように防御魔法を編んでおかなきゃ。
なんて考えていると、後ろのほうから女性の悲鳴が聞こえてきた。
「――だ、誰か!」
わたしとシャルちゃんは同時に振り返り、状況を確認する。通行人が何事かと立ち止まり、建物の屋根あたりを見上げている。
「ね、猫が……落ちそうになってる」
最上階の一室。ベランダの柵に、真っ黒な猫が、挟まっていた。すでに身体は宙に浮いている状態で、頭が抜けてしまえば真っ逆さまだ。
「な、なんであんなところに猫が……」
「――【まじめな乱気流】」
「ロアお姉ちゃん⁉」
わたしは理由を考えるよりも早く、箒に跨って風魔法を発動していた。追い風と上昇気流を同時に発生させ、空中を高速移動する。これが黒猫への最短距離だ。
そう結論を下した瞬間、黒猫の頭がすぽりと柵から抜けてしまう。くるりと回転しながら落下する身体は、あまりにも無抵抗だ。
人々の悲鳴が途切れ、周囲の景色が止まる。青かった空は灰色に塗りつぶされて、わたしの鼓動だけが響き渡る。
思考が光のように加速する。このままでは間に合わないと、一瞬で理解した。
「だ、だったら……」
黒猫を浮かせてしまえばいい。距離は十メートル以上離れている。けれど、わたしならきっと届く。
「【旋風の巨人】」
基本的に、魔法を遠距離で発動するのは難しい。遠く離れた場所から、ものすごく長い箸で豆を掴むようなものだ。そんな作業を不安定な箒のうえで行うなんて、普通の魔女だったらできないと思う。
でも、わたしは。
意識が喧騒から切り離される。
イメージするのは、黒猫の身体を大きく包み込むような手のひら。
「……はぁぁぁッ!」
わたしの魔法は不可視の巨人となって、落下する黒猫の下に手を滑り込ませる。黒猫は地面に激突する数センチ前で、不自然に浮かび上がった。
にゃあ、という間抜けな声。
「や、やった……!」
わたしからも、間の抜けた声が漏れ出してしまう。そのまま脱力しながら地面へと降り立って、黒猫のもとに歩み寄る。
「け、怪我してない……?」
わたしの問いかけに、黒猫はもういちど鳴いてみせた。
「――ロアお姉ちゃん! 大丈夫⁉」
「あ、シャルちゃん……。えへへ、わたしも黒猫も無事だよ……?」
「良かったぁ……!」
そう言ってシャルちゃんは、わたしの胸に飛び込んでくる。わたしのほうが小さいので、思わずバランスを崩してしまう。
とつぜんの抱擁に慌てていると、周囲からわっと歓声が巻き起こった。
「お嬢ちゃん、凄いぞ!」
「なんの魔道具だ? いや、もしかしてその瞳……魔女様か?」
「へえ、久しぶりに見るなあ」
男性の声に、曖昧な笑みで返す。
わたしたち魔女は、瞳の中に星を宿している。これは魔力が体内で渦巻いているのが原因らしいけど、はっきりとわかっていない。
ただひとつ言えるのは、瞳を覗き込まれたら魔女だとバレてしまうということだ。
「いやー、それにしても凄いもん見れたなぁ!」
「魔女って今でも居るんだな。今日は記念になるぞ」
やんややんやと、浴びたことがない量の賞賛と拍手。わたしの頬はだるんだるんに緩んでしまう。
「へへ、やっぱりロアお姉ちゃんは凄いね。箒の維持と、離れた場所への魔法を同時展開させるなんて……」
さらに、シャルちゃんから甘い飴が与えられる。わたしの気分は高揚し、天空の城のように浮かび上がった。
「ま、まあね? わ、わたしは数千年に一度の天才って言われてたからなあ……へへ、へへへ。それじゃあちょっと、みんなへのご挨拶代わりに、なにか一発かましちゃおうかな?」
「……え?」
わたしはしゃきんと立ち上がり、群衆の前で大きく手を広げる。
「へ、へへ……稀代の天才魔女、ロア・ルルリエルの魔法を、と、とくとご堪能あれ!」
「ロアお姉ちゃん待っ――」
まず手始めに、どこかの屋台から炎を拝借して花火でも打ち上げてあげようかな。
そう考えたわたしは、ソーセージを調理していた屋台の炎を取り出し、色とりどりの花火として真昼の空に打ち上げた。轟音と色彩が散りばめられたメリバルの街に、どよめきが巻き起こる。
どうだ、これは凄いでしょ。
鼻息を荒くして周囲の反応を窺う。けれど、わたしの予想に反して、全員が複雑な表情を浮かべていた。
あれ、おかしい。
この空気は知っているぞ。
とんでもないミスを犯したときに流れるヤツだ。
「あ、あのよ魔女サン……ちょっと言いにくいんだけど」
群衆の先頭に立っていた男の人が、頬を掻きながら気まずそうにしている。わたしがぽかんと呆けていると、どこからか笛の音が鳴り響いた。
「――無許可で打ち上げ花火を行っている馬鹿はどこのどいつだぁぁぁぁッ⁉」
そして、耳を劈く怒号と共に、ポニーテールの女性が群衆を掻き分けて現れる。カーキの制服を纏っているので、憲兵のような人なのだろう。問題は、そんな立場の人が怒り狂っているという点だ。
「……そこのクソガキ、花火の犯人はお前か?」
「――ひぃんっ!」
「こういうのは、無許可でやっちゃダメなんだよ」
女性は怒気を孕んだ声でそう言って、わたしの腕に素早く手錠をかけた。咄嗟の出来事に、わたしは反応すらできない。
「……え、え、え?」
「とりあえず、連行する。お前がテロを企てる危険分子じゃないとも言いきれないからな」
「わ、わたし……まだ、この街にきたばっかりで……」
「――話は後で聞く」
これはとてもまずい。半泣きになりながら振り返り、シャルちゃんに助けを求める。けれどシャルちゃんは、諦めたように目を瞑っていた。
「えっとね、ロアお姉ちゃん。魔女が都市部で使える魔法は限られてるの……。もっと早く教えてあげたら良かったね。というか、常識中の常識だから、その、まさか知らないとは思わなくて……」
「……え、あ、う」
「大丈夫。ロアお姉ちゃんが変なことをしなければ、明日には釈放されるから」
明日ってことは、今日は出られないの?
やだ。こんな知らない街で、いきなり捕まるなんてやだ。しかもこの憲兵さんは怖いし、牢屋の居心地なんて絶対に悪い。
「た、たすけ……」
わたしは縋るようにシャルちゃんへ声をかけるが、シャルちゃんは困ったような笑顔をわたしに向けてきた。
「……朝になったら迎えにいくから、それまで頑張ってね?」
「し、シャルちゃぁぁぁぁんッ!」
「ほら行くぞクソガキ」
「やだぁぁぁぁぁぁ!」
抵抗の叫びは虚しく、ずるずると引きずられる。
こうしてわたしは、最初の夜を孤独に過ごすことになった。
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