あ、あ、あの。わ、わたし魔女なんですが、へへ


 家を経って二時間後。わたしとシャルちゃんは無事にメリバルへと辿り着き、港の広場に着地した。


 石畳に爪先を下ろした瞬間、潮風がそっと頬を撫でる。ここは市場かな。活気が残りつつも、どこか長閑な空気に包まれている。


「……ほええ」


 ぐるりと周囲を見渡すだけでも、わたしが住んでいた丘とは全然違った。オレンジ色の屋根で統一された石造りの建物が、広場を囲むように並んでいて、すこし奥には大きな時計台がある。


 なにより凄いのは、どこもかしこも年季が入っているのに綺麗な点だ。きっと毎日、誰かしらが清掃している。わたしには考えられないマメさだった。


「すご、都会に来たってカンジするよね」

「う、うん……」


 わたしとシャルちゃんは箒を片手に持ちながら、ゆっくりと街を歩くことにした。


 シャルちゃん曰く、この広場ではさっきまで競りが行われていたらしい。あちこちに魚介類を積んだ屋台が出されていて、野良猫がごちそうにありつくチャンスを窺っている。


 そしてなにより通行人が多い。外に出かける習性がないから、誰もかれもが異常者に見えてしまう。シャルちゃんとはぐれたら、なんだか二度と会えない気がしてきた。


 わたしはシャルちゃんのローブをしっかり掴みながら、後を追うように歩く。


「し、シャルちゃん。まずはどこに向かうの?」

「うーん。とりあえず宿を確保しなきゃなんだけど、その前になにか食べたいかな」

「……わ、わかる。わたし、ケーキ食べたい」

「それは食後にね。ロアお姉ちゃんの偏食も直してあげなきゃ」


 シャルちゃんはぶつぶつ呟きながら、広場を抜けて大通りへと進んでいく。そこはカラフルな庇を伸ばした屋台が立ち並び、さまざまな食べ物を路面で販売する人が目立つ場所だった。


 香辛料の匂いがあちこちから漂ってきて、わたしの胃袋がぐるると唸りを上げる。


「あそこのお店にしよっか」


 シャルちゃんはそう言って、ひときわ行列が長い屋台を指差した。どうやら魚の串焼きを販売しているらしく、軽く見積っても数十人は並んでいる。


「え、あ、あれに混ざるの……?」

「そりゃそうだよ、並ばなきゃ買えないから」

「で、でも、わたしたち魔女だよ……?」

「でもじゃないよ。そんな特権はありません」


 ぴしゃりと叱られる。


 けれど、わたしはこういった行列に並んだことがない。まだ五歳だった頃、お母さんと一緒に丘のふもとの町に降りたときだ。わたしが「まじょですが!」と言えば、まわりの人たちは破顔して、誰もが順番を優先してくれた。


 なるほど、そっか。


 しっかりしているとはいえ、シャルちゃんはまだ十六歳になったばかり。魔女割があることは知らないんだ。


 わたしは急に姉としての尊厳を取り戻したような気分になり、この日はじめてシャルちゃんの前に出た。


「どしたの、ロアお姉ちゃん」

「し、シャルちゃん、見てて。お姉ちゃんが、と、都会のマナーを教えたげる」

「えっ……?」

「ふふん、いいからいいから」


 わたしはずかずかと歩いていき、屋台の店主さんの前に立った。最前列に並んでいた人が驚いたような視線で貫いてきたけれど、ここで怯んではいられない。


 店主さんの襟元あたりを見つめながら、絞り出すように声を発した。


「あ、あ、あの。わ、わたし魔女なんですが、へへ」

「え、ああ……はい」

「……あ、えっと。あの、魔女、ですよ?」

「そうなんですか。で、どうされました?」

「……うぇ、あの、串焼き、欲しくて……」

「ああ、でしたら最後尾に並んでくださいね」

「な、並ぶんですか……魔女である、わたしが?」

「そりゃそうでしょ。ちゃんと並んで、お金を払ってもらわないと」

「……お、お、お、お金まで?」


 わたしは恐ろしくなって、逃げ出すようにしてシャルちゃんの元へと戻った。


「だ、だ、だめだよシャルちゃん! ここは頭がおかしいよ、きっと街ぐるみでわたしたちを騙そうとし」

「――もう恥ずかしいからやめてッ!」

「あ痛ッ!」


 シャルちゃんの大声とともに、風魔法の弾丸がわたしの頭頂部に直撃する。鈍い痛みが脳を揺らし、わたしは思わず涙目になる。


「皆様すみません! わたしのお姉ちゃんはちょっと……いや、かなり世間知らずというか、昨日までゴリゴリの引きこもりだったので、常識なんてまったく頭に入ってなくて……」


 シャルちゃんはその間に、屋台の店主と行列の人たちにぺこぺこと頭を下げる機械と化していた。


「……そっか、お嬢ちゃん。なんか大変なんだな」

「私たちの前に並んでいいから、お姉ちゃんと一緒にたらふく食べな?」

「その、一本……オマケしておきますね」


 つぎつぎと、わたしに憐憫の目が向けられる。

 あれ、思ってた流れと違う。


「……ロアお姉ちゃん。はい、串焼きだよ」


 そして買い物を終えたシャルちゃんが、串に刺さった魚を優しく手渡してくれる。その表情は慈愛に満ち溢れていて、なんだか「これから少しずつ自立しようね」と書かれてある気がした。



 わたしは身体を縮めながら、串焼きを口に運ぶ。かつての成功体験は、どうやらお母さんのフォローがあってのことらしい。代金だって、後からちゃんと支払っていたのかもしれない。魔女割なんて存在しなかったのかな。


「おいしい?」

「う、うん……」


 塩気が強いせいか、焼き魚からは涙みたいな味がした。

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