うっ……おぼろろろろろろろ
この世界は、魔石と呼ばれる燃料であらゆるものを動かしている。キラキラと輝く不思議な石は、さまざまな技術革新に寄与してきた。
鉄道や飛行機だけでなく、料理や掃除、さらには戦争やお葬式だって魔石が埋め込まれた道具を利用する。
人はこれらを魔道具と呼び、生活の中心としてフル稼働させてきた。
けれど、魔女は違う。
魔道具とは異なる独自の魔法体系を臓器や血管に有し、魔石を使わずとも現象を操れる。
だから、成人を迎えた魔女は世のため人のために旅へ出る。魔道具では解決できないことをたくさん解決して、人々をハッピーにするのが魔女の役目らしい。
先祖代々、ありがたく伝えられてきた魔女の掟のその一である『十六歳になったら、見聞を広めるために旅をせよ』には、こういった背景がある。
まあこの掟が、子ども向けに語られる建前の話だってことは、引きこもりだったわたしは全然知らなかったんだけどね。
◇
晴天。
部屋の中では気持ちいいはずなのに、外に出ると憎たらしい天気のこと。わたしの辞書にはこう書かれてある。
肌を焦がすような直射日光が容赦なく突き刺さり、まだ何もしていないのにどっと疲れが押し寄せてくる。呼吸するだけで重労働だ。
「……ねえシャルちゃん、ホントに行かなきゃダメかなあ?」
「ダメ。お父さんとお母さんがヨボヨボになっても、部屋でぐうたらしてる気?」
「そ、それまでには自立するけどさあ……」
わたしは短くなった襟足を触りながら、自分からシャルちゃんと同じ匂いがすることに気がついた。
昨日、シャルちゃんに洗われた後、伸び放題だった髪をじょきんと切られた。せめて目は隠したいと懇願したけれど「ダメ、せっかく顔はいいんだから。真っ赤な瞳も宝石みたいに綺麗だし、ホント無駄遣いしてるよね」と一蹴された。
わたしはどうやら、顔がいいらしい。
「ロアお姉ちゃん、なにニチャニチャしてるの?」
「え、いや、べつに、なんでもないよ……ふへへ」
「まあいいや。それより、最後の確認するよ」
小高い丘に建つ住み慣れた家の前で、わたしとシャルちゃんは箒をチェックする。
移動には箒を使い、空を飛ぶのがルールだ。でも正直、箒になんて乗らなくても空は飛べるし、鉄道を使ったほうが楽ちんだ。異世界の人間がお揃いのスーツを着て仕事をするように、同調圧力に縛られているだけだと思う。
それにしても、シャルちゃんはマメだなあ。わたしは現地で焦るタイプだったから、改めて性格の違いを痛感しちゃうな。
なんて考えながらテキトーにチェックしていると、家の中からお母さんとお父さんがやってきた。目元には涙が光っている。愛する娘がふたりも旅立つのだから、それはもう、胸が引き裂けるほどに寂しいはずだった。
「……こ、こどまじょのロアちゃんが自立してくれたわ」
「こんな日が来るなんて、夢みたいだな。もう間に合わないかと思ってたよ……」
あっ、違うらしい。
そんなに心配かけてたんだ、わたし……。
両親からの意見にうちひしがれていると、いつの間にかシャルちゃんが箒に跨っていた。準備万端、といった顔だ。
「よし、私の箒は大丈夫だったよ。ロアお姉ちゃんは?」
「う、うん……問題ない、と思う」
「オッケー、じゃあ風が収まってる間に旅立とっか」
シャルちゃんはそう言って、軽々と箒を浮上させる。
わたしより背が高いからか、風になびくグレーのローブがよく似合っている。時代錯誤のとんがり帽子も、なんだかお洒落に見えるから不思議だ。
それに比べて、身長が低いわたしはローブを地面に引きずってしまう。帽子だって大きいから、油断するとずり落ちてつばが斜めになって格好つかない。
われながら、どっちが姉だかわからなくなってきた。きっと、行く先々で間違えられるだろう。
「……うう、これが引きこもりとキラキラ女子の差かあ……やだなあ、行きたくないなあ……」
「いまさら何言ってんの。ロアお姉ちゃんはこのままだと、ずっとナメクジみたいな人生だよ?」
「な、ナメクジ……?」
「いやでも、ナメクジは生きるために必死だもんね。いまのロアお姉ちゃんはそれ以下か」
「な、ナメクジよりも……?」
「でも……ロアお姉ちゃんの魔法は凄いし、本当は格好いいって知ってるから大丈夫だよ。ふたりでしっかり大人になろうね?」
シャルちゃんが、ぱっと笑顔を咲かせる。
またしても飴と鞭。わたしはすぐ調子に乗るので、貶してから褒めるくらいがちょうどいいらしい。もちろんわたしは、甘々のほうがいい。
「うう……わかったよお」
わたしは頷いて、仕方なく箒に跨る。本当は旅になんて出たくないけど、一人で旅に出るよりマシなのは確かだ。もしかすると、シャルちゃんがどこかの街で養ってくれるかもしれないし。
「――それじゃお母さん、行ってくるね!」
「い、行ってきます……」
お母さんとお父さんに挨拶をして、右足で地面を蹴る。魔力を込めた箒はびゅんと浮いて、夏空を切り裂くように舞い上がる。箒に乗るのは久々だったけど、まったく問題なかった。
わたしとシャルちゃんは、小さくなった自分の家を見下ろしながら大きく手を振る。
次に帰るのは、いつになるのだろう。そう考えると、寂しさと不安で胸が締め付けられた。まるで宇宙空間に放り出されたようだ。
「し、シャルちゃん……そ、そろそろ帰らない……?」
「ロアお姉ちゃんの魂を天に還すって意味?」
「あ、えと、なんでもないです」
どうやら「帰りたい」は禁句らしい。わたしは内心で嘆きながら、箒から手を離して大きく背筋を伸ばす。こうなった以上、いかに楽できるかを最優先で考えるしかない。
「ロアお姉ちゃん、箒に乗るの何年ぶりなの?」
「えと……お母さんと一緒に買い物に出かけたとき以来だよ?」
「やっぱ凄いなあ。そんだけブランクあるのに、手を離しても安定するんだ」
「へへ、凄い……? まあ、わたしは天才だからね」
腕を組みながらふふんとドヤ顔を作っていると、隣で滑空するシャルちゃんが「まーた調子乗ってる」と呆れたような声を出した。姉としての威厳が、ここ数時間でかなり崩れた気がする。
「そ、それよりシャルちゃん。目的地はあるの?」
わたしは話題をすりかえるべく、これからの話を振った。
「うん。まずはこのまま南に進んで、メリバルに行くつもり」
「めりばる……なんか、聞いたことはあるかも」
「……そりゃそうだよ。メリバルはこの国の首都だから、知らないほうが怖いよ」
シャルちゃんがさらに呆れたような声を絞り出した。どうやらわたしには、常識が欠落しているらしい。でも、こうしてすぐに欠点を自覚できるのは、わたしのいいところだ。
気を取り直して、学びを得るために質問をする。
「め、メリバルってどんな街なの?」
「んーとね。貿易が盛んで、坂が多い港町って感じかな。とっても過ごしやすいところだよ。ロアお姉ちゃんも気に入るといいなあ」
「ふぇー、なるほど」
シャルちゃんの説明をもとに、メリバルの街を想像してみる。
目抜き通りにはたくさんの人がいて、大きな店が立ち並んでいる。貿易が盛んということは、旅人や行商人も多いはず。きっとみんなお喋り上手で、お祭りとかも頻繁にあるのだろう。夜になってもきらきら明るくて、酒場からは絶えず笑い声が聞こえてくるに違いない。
「うっ……おぼろろろろろろろ」
「えっ、えっ、えっ!? なんで吐くの!?」
どうしよう。
全ッッッッ然行きたくない。
「ね、ねえ、その……せめて違う街にしない? もっとこう、一年中ジメジメして、住民がみんな引きこもりで、居るだけで頭にキノコが生えちゃうような……」
「そんな下水道みたいな街は存在しないよ」
シャルちゃんはそう言いながらも、嬉しげにぴゅんと身体を寄せてきた。
「でもさ、ロアお姉ちゃんが本当に来てくれると思わなかったから嬉しいな。強引に誘ったけど、諦め半分だったもん」
太陽に負けないほど煌めいた瞳に、わたしは思わず目を背けてしまう。
「う……。そ、そりゃまあ、いつか旅に出なくちゃいけないのはわかってたから。それに『お父さんお母さんごめんなさい!』って思いながらダラけてたから……」
「あはは、そうだよね。ロアお姉ちゃんって意外と繊細だし」
「……そ、そうだよ。枕が変わったら眠れないから、ちゃんと持ってきたもん」
わたしは唇を尖らせて、渋々ついてきたんだぞとアピールしてみる。けれど、わたしが重い重い腰を上げた一番の理由は。
「……ロアお姉ちゃん、改めてこれからもヨロシクね!」
「……う、うん。よろしくシャルちゃん」
大好きな妹と、離れ離れになるのが嫌だったから。
そんなことは、恥ずかしくて言えなかった。
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