うっ……おぼろろろろろろろ


 この世界は、魔石と呼ばれる燃料であらゆるものを動かしている。キラキラと輝く不思議な石は、さまざまな技術革新に寄与してきた。


 鉄道や飛行機だけでなく、料理や掃除、さらには戦争やお葬式だって魔石が埋め込まれた道具を利用する。


 人はこれらを魔道具と呼び、生活の中心としてフル稼働させてきた。


 けれど、魔女は違う。


 魔道具とは異なる独自の魔法体系を臓器や血管に有し、魔石を使わずとも現象を操れる。


 だから、成人を迎えた魔女は世のため人のために旅へ出る。魔道具では解決できないことをたくさん解決して、人々をハッピーにするのが魔女の役目らしい。


 先祖代々、ありがたく伝えられてきた魔女の掟のその一である『十六歳になったら、見聞を広めるために旅をせよ』には、こういった背景がある。

 

 まあこの掟が、子ども向けに語られる建前の話だってことは、引きこもりだったわたしは全然知らなかったんだけどね。

 


 

 晴天。

 

 部屋の中では気持ちいいはずなのに、外に出ると憎たらしい天気のこと。わたしの辞書にはこう書かれてある。


 肌を焦がすような直射日光が容赦なく突き刺さり、まだ何もしていないのにどっと疲れが押し寄せてくる。呼吸するだけで重労働だ。


「……ねえシャルちゃん、ホントに行かなきゃダメかなあ?」

「ダメ。お父さんとお母さんがヨボヨボになっても、部屋でぐうたらしてる気?」

「そ、それまでには自立するけどさあ……」


 わたしは短くなった襟足を触りながら、自分からシャルちゃんと同じ匂いがすることに気がついた。


 昨日、シャルちゃんに洗われた後、伸び放題だった髪をじょきんと切られた。せめて目は隠したいと懇願したけれど「ダメ、せっかく顔はいいんだから。真っ赤な瞳も宝石みたいに綺麗だし、ホント無駄遣いしてるよね」と一蹴された。


 わたしはどうやら、顔がいいらしい。


「ロアお姉ちゃん、なにニチャニチャしてるの?」

「え、いや、べつに、なんでもないよ……ふへへ」

「まあいいや。それより、最後の確認するよ」


 小高い丘に建つ住み慣れた家の前で、わたしとシャルちゃんは箒をチェックする。


 移動には箒を使い、空を飛ぶのがルールだ。でも正直、箒になんて乗らなくても空は飛べるし、鉄道を使ったほうが楽ちんだ。異世界の人間がお揃いのスーツを着て仕事をするように、同調圧力に縛られているだけだと思う。


 それにしても、シャルちゃんはマメだなあ。わたしは現地で焦るタイプだったから、改めて性格の違いを痛感しちゃうな。


 なんて考えながらテキトーにチェックしていると、家の中からお母さんとお父さんがやってきた。目元には涙が光っている。愛する娘がふたりも旅立つのだから、それはもう、胸が引き裂けるほどに寂しいはずだった。


「……こ、こどまじょのロアちゃんが自立してくれたわ」

「こんな日が来るなんて、夢みたいだな。もう間に合わないかと思ってたよ……」


 あっ、違うらしい。

 そんなに心配かけてたんだ、わたし……。


 両親からの意見にうちひしがれていると、いつの間にかシャルちゃんが箒に跨っていた。準備万端、といった顔だ。


「よし、私の箒は大丈夫だったよ。ロアお姉ちゃんは?」

「う、うん……問題ない、と思う」

「オッケー、じゃあ風が収まってる間に旅立とっか」


 シャルちゃんはそう言って、軽々と箒を浮上させる。


 わたしより背が高いからか、風になびくグレーのローブがよく似合っている。時代錯誤のとんがり帽子も、なんだかお洒落に見えるから不思議だ。


 それに比べて、身長が低いわたしはローブを地面に引きずってしまう。帽子だって大きいから、油断するとずり落ちてつばが斜めになって格好つかない。


 われながら、どっちが姉だかわからなくなってきた。きっと、行く先々で間違えられるだろう。


「……うう、これが引きこもりとキラキラ女子の差かあ……やだなあ、行きたくないなあ……」

「いまさら何言ってんの。ロアお姉ちゃんはこのままだと、ずっとナメクジみたいな人生だよ?」

「な、ナメクジ……?」

「いやでも、ナメクジは生きるために必死だもんね。いまのロアお姉ちゃんはそれ以下か」

「な、ナメクジよりも……?」

「でも……ロアお姉ちゃんの魔法は凄いし、本当は格好いいって知ってるから大丈夫だよ。ふたりでしっかり大人になろうね?」


 シャルちゃんが、ぱっと笑顔を咲かせる。


 またしても飴と鞭。わたしはすぐ調子に乗るので、貶してから褒めるくらいがちょうどいいらしい。もちろんわたしは、甘々のほうがいい。


「うう……わかったよお」


 わたしは頷いて、仕方なく箒に跨る。本当は旅になんて出たくないけど、一人で旅に出るよりマシなのは確かだ。もしかすると、シャルちゃんがどこかの街で養ってくれるかもしれないし。


「――それじゃお母さん、行ってくるね!」

「い、行ってきます……」


 お母さんとお父さんに挨拶をして、右足で地面を蹴る。魔力を込めた箒はびゅんと浮いて、夏空を切り裂くように舞い上がる。箒に乗るのは久々だったけど、まったく問題なかった。


 わたしとシャルちゃんは、小さくなった自分の家を見下ろしながら大きく手を振る。


 次に帰るのは、いつになるのだろう。そう考えると、寂しさと不安で胸が締め付けられた。まるで宇宙空間に放り出されたようだ。


「し、シャルちゃん……そ、そろそろ帰らない……?」

「ロアお姉ちゃんの魂を天に還すって意味?」

「あ、えと、なんでもないです」


 どうやら「帰りたい」は禁句らしい。わたしは内心で嘆きながら、箒から手を離して大きく背筋を伸ばす。こうなった以上、いかに楽できるかを最優先で考えるしかない。


「ロアお姉ちゃん、箒に乗るの何年ぶりなの?」

「えと……お母さんと一緒に買い物に出かけたとき以来だよ?」

「やっぱ凄いなあ。そんだけブランクあるのに、手を離しても安定するんだ」

「へへ、凄い……? まあ、わたしは天才だからね」


 腕を組みながらふふんとドヤ顔を作っていると、隣で滑空するシャルちゃんが「まーた調子乗ってる」と呆れたような声を出した。姉としての威厳が、ここ数時間でかなり崩れた気がする。


「そ、それよりシャルちゃん。目的地はあるの?」


 わたしは話題をすりかえるべく、これからの話を振った。


「うん。まずはこのまま南に進んで、メリバルに行くつもり」

「めりばる……なんか、聞いたことはあるかも」

「……そりゃそうだよ。メリバルはこの国の首都だから、知らないほうが怖いよ」


 シャルちゃんがさらに呆れたような声を絞り出した。どうやらわたしには、常識が欠落しているらしい。でも、こうしてすぐに欠点を自覚できるのは、わたしのいいところだ。


 気を取り直して、学びを得るために質問をする。


「め、メリバルってどんな街なの?」

「んーとね。貿易が盛んで、坂が多い港町って感じかな。とっても過ごしやすいところだよ。ロアお姉ちゃんも気に入るといいなあ」

「ふぇー、なるほど」


 シャルちゃんの説明をもとに、メリバルの街を想像してみる。


 目抜き通りにはたくさんの人がいて、大きな店が立ち並んでいる。貿易が盛んということは、旅人や行商人も多いはず。きっとみんなお喋り上手で、お祭りとかも頻繁にあるのだろう。夜になってもきらきら明るくて、酒場からは絶えず笑い声が聞こえてくるに違いない。


「うっ……おぼろろろろろろろ」

「えっ、えっ、えっ!? なんで吐くの!?」


 どうしよう。

 全ッッッッ然行きたくない。


「ね、ねえ、その……せめて違う街にしない? もっとこう、一年中ジメジメして、住民がみんな引きこもりで、居るだけで頭にキノコが生えちゃうような……」

「そんな下水道みたいな街は存在しないよ」


 シャルちゃんはそう言いながらも、嬉しげにぴゅんと身体を寄せてきた。


「でもさ、ロアお姉ちゃんが本当に来てくれると思わなかったから嬉しいな。強引に誘ったけど、諦め半分だったもん」


 太陽に負けないほど煌めいた瞳に、わたしは思わず目を背けてしまう。


「う……。そ、そりゃまあ、いつか旅に出なくちゃいけないのはわかってたから。それに『お父さんお母さんごめんなさい!』って思いながらダラけてたから……」

「あはは、そうだよね。ロアお姉ちゃんって意外と繊細だし」

「……そ、そうだよ。枕が変わったら眠れないから、ちゃんと持ってきたもん」


 わたしは唇を尖らせて、渋々ついてきたんだぞとアピールしてみる。けれど、わたしが重い重い腰を上げた一番の理由は。


「……ロアお姉ちゃん、改めてこれからもヨロシクね!」

「……う、うん。よろしくシャルちゃん」


 大好きな妹と、離れ離れになるのが嫌だったから。

 そんなことは、恥ずかしくて言えなかった。  


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