魔力つよつよ気力よわよわの引きこもり魔女が、完璧すぎる妹の旅路に連行される話

新田漣

や、やだやだやだやだ。むりむりむり

 幼い頃、わたしは天才だった。


 稀代の魔女だの、数百年に一人の逸材だのと褒められて、すくすくと育てられた。こう言うとなんだか鼻についちゃうかもしれないけれど、経験上、過度に謙遜するのは逆に反感を買うと知っている。


 だから言いきっちゃう。

 わたしは天才。デキる女だ。


 既存の魔法を扱うだけじゃなくて、新しい魔法を生み出せる。これは魔法式や詠唱、その他諸々の要素をゼロから作る必要があるので、他の魔女は生涯を懸けても完成までたどり着けないことが多い。


 でもわたしは、すでに三つも新しい魔法を生み出している。しかもまだ十八歳。乙女だ。魔女という限られた種族の中の、そのまたひと握りの天才なのだ。


 だから、別に焦らなくていい。


 働かないのも、部屋から出ないのも、雌伏のときってやつだ。うんうん。



「ふわぁ……よく寝た」


 天才の朝はとても遅い。

 なぜなら、夜更かしが当たり前だから。


 窓から差し込む太陽の光がまぶたに降り注ぎ、微睡みからゆっくりと引き上げられる。どうやら本日も晴天らしく、カーテンの隙間からは一面に広がる碧が窺える。


「んーーー、背中かゆい……」


 わたしは背筋を伸ばしながら、ふかふかのベッドから上半身だけを起こす。寝起きで腕を動かすのはダルいし、運動不足の身体で無理をしてはいけない。肩甲骨あたりが攣るからだ。


 指先に魔力を込め、魔法でパジャマの上着をくるくると捲り、床に転がっていた杖をふわりと浮かせる。そして、剥き出しになった背中を尖端でぽりぽりと掻いた。


「うええええ、きもちいい……」


 魔法を使えば、こうして手が届かない場所だって自由に掻ける。魔女の一族に生まれて良かったと、心の底から実感する瞬間だ。


「……そういえば、もう半日くらい何も食べてないなあ」


 たしか、机の上にマフィンが置いてあるはず。昨日のお昼に、こっそりとリビングからくすねてきたからね。


 さっきの杖と同じ要領で、マフィンをぷかりと宙に浮かせる。よそ見をしながら浮遊魔法を展開するのは難しいらしいけど、わたしにとっては文字通り朝飯前だ。


 マフィンは全自動でわたしの舌へと着地して、そのまま甘味に変わっていく。


「んんんん、生地はちょっとモサモサしてるけど、チョコチップがイイ感じで最高ですなぁ……!」


 砂糖たっぷりのお菓子は、わたしの原動力だ。定期的に甘いものを摂取しないと、なんだか脳が働かない気がする。まあ、動かしたところで使い道はあんまりないんだけどさ。


「んひひ、今日もいい日だなあ……」


 お腹が満たされて上機嫌になる。今日の予定はナシ。というか、明日も明後日も予定なんてない。ずっとずっと、このまま最高の日々が続くんだ。


「うひ、ひひひ……引きこもりサイコーだよ! 天気もいいし、もういっちょ寝ますかぁ!」


 高らかに宣言して、腕を大きく突き上げる。その瞬間、いつの間にか部屋に来ていた妹のシャルちゃんとばっちり目が合ってしまった。


「……うわ」

「あ、シャルちゃん……」


 シャルちゃんは残念な生き物を見るように、アイスブルーの瞳でわたしを射抜いている。


「ロアお姉ちゃん、いろいろ終わってるね……」

「――え、待って! いきなり辛辣すぎない⁉」

「だって、杖を浮かせて背中掻いてたよね?」

「そ、そこから見てたの!?」

「うん。こうなっちゃ終わりだなって……」


 思わぬ正論パンチを浴び、こうなってしまったわたしは呻き声を漏らしてしまう。

 そんなリアクションに構う様子もなく、シャルちゃんは鼻をすんすんと動かしてから、一歩後ずさった。


「てかさ、部屋……臭くない?」

「いやいや待ってシャルちゃん。それはひどいよ、いくらわたしでも傷つくよ」

「……お風呂、最後にいつ入ったの?」


 シャルちゃんに問われて、ふと考える。ここ数日、ベッドから動いていない気がする。


「……三日、いや、四日前くらい?」


 指を折り、半笑いで答えてみせると、シャルちゃんは真顔のまま歩み寄ってきた。シャンパンゴールドの髪が踊るように揺れるたびに、わたしからは醸し出されない花の香りが漂う。


「はいアウト。お風呂、ゴー」

「や、やだやだやだ! だってわたしまだ臭くないもん!」

「臭いから言ってるの! というか引きこもりすぎだよ! 寝癖ボッサボサで、足で巻いた綿飴みたいだし、服もヨッレヨレで着てる意味がないくらいだし!」

「……い、意味はあるもん!」

「大体さ、もう十八歳だよね⁉」

「う、うん……立派な大人、だよ?」


 わたしが恐る恐るそう言うと、シャルちゃんは大きな大きなため息を吐いた。


「じゃあさ、魔女の掟の一つめは覚えてる?」

「えと……十六歳になったら見聞を広めるために旅をせよ……みたいなやつだよね?」

「正解。では、次の質問です。ロアお姉ちゃんは何歳ですか?」

「じ、十八歳になりましたあ」


 両手を広げ、ふへへと笑ってみせる。

 でも、シャルちゃんの口角は微動だにしない。


「魔女の掟から二年も遅れてるじゃん!」

「いやいやいや、でもさ、何年か前にお母さんと一緒に丘のふもとの町に……」

「あれは旅じゃなくて買い物って言うの!」


 シャルちゃんはわたしの反論を一蹴し、肩で息をしながら言葉を続ける。


「……ロアお姉ちゃん。私の誕生日って覚えてるよね?」

「ええ、えっと……八月七日だから……。あ、もしかして一週間後かな? お、おめでとう。お祝いしなきゃね?」

「八月七日は明日だよ。引きこもりだから感覚がバグりまくってるじゃん」

「そ、そっかあ。えと、十六歳……になるんだよね」

「うん、だから私は魔女の掟に従って、明日から旅に出るんだけど……」


 そう言って、シャルちゃんはわたしの肩をがっしりと掴んだ。その手は力強く、振り解けそうにない。


 あ、嫌な予感がする。


 背中から汗が吹き出すのと同時に、衝撃的な言葉が耳に届いた。


「――ロアお姉ちゃんも、一緒に連れていきます」

「……へ?」

「このままじゃ、ロアお姉ちゃんはダメダメの引きこもりになっちゃう。お母さんとお父さんにも話はしてあるから、ね?」


 シャルちゃんがにっと笑った瞬間、なんだか気が遠くなってしまう。口から飛び出した魂をぐっと飲み込むと、ようやく脳が動き始めた。


 え、旅?

 家に帰れなくなるってこと?


「や、やだやだやだやだ。むりむりむり」

「やだじゃない、むりじゃない」

「だ、だ、だってわたし……外が怖いもん。それに、天才だからさ、いつかきっと花開くと思うの」

「天才、ねぇ――」


 シャルちゃんは腕を組みながら、魔法を唱えるようにして淡々と言葉を操った。


「ロアお姉ちゃんがちやほやされていたのは、残念ながら十歳の頃まで。そっから先は引きこもりで、外出なんて滅多にしない。今や天才だった面影なんて欠片も残らない究極のものぐさ。すれ違うたびに洗ってない犬の臭いがするし、笑顔もニチャニチャしてきた。こども部屋魔女まっしぐら」

「こ、こども部屋魔女……」

「略して『こどまじょ』」


 容赦ない評価の数々に、わたしは「ふぐぅ」と呻き声を漏らす。


 でも負けてはいられない。魔女の掟なんて古いルールに縛られて生きるのはおかしい。今はもっとこう、多様性が認められるべき時代だからだ。


「や、やっぱりやだ。ぐうたらで引きこもりなわたしが旅したら、すぐに死んじゃうよ?」

「そっかぁ。じゃあ、旅するよりも今ここで永眠するほうがいーい?」


 わたしの反論をあっけなく吹き飛ばすほどの覇王の圧が、シャルちゃんの全身から放たれる。わたしは天才だけど、天才の妹もまた天才だ。経験上、こうなったシャルちゃんには絶対逆らえない。


「ひぃん……」

「私もさ、意地悪で言ってる訳じゃないよ。ただ、このままだとロアお姉ちゃん……本当に取り返しがつかなくなるよ?」


 わかってる。それはわかってる。わたしは罪悪感を抱くタイプの引きこもりだから、眠れない夜なんて自己嫌悪で泣きそうになる日も数え切れない。


 けれど、自分ひとりじゃ楽な方へ逃げることしかできないから、今のわたしがある。十八年間培ってきた怠惰は、カビのようにこびりついているのだ。


「ほら、とりあえずお風呂いこ? 洗ったげるから」

「うぅ……わかったよぉ……」


 だからこそ、シャルちゃんはわたしの扱い方を心得ている。厳しくされた後に、こうして飴を与えれてしまうと、素直にベッドから下りるしかなかった。

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