第8話 確認 side詩乃

「お久しゅうございます、エレーナ様」

「あ、えっと……詩乃さんでしたっけ?」


 表向きは家事炊事修行の一環として。

 真の目的は、エレーナに対する当て馬として。

 義臣が住むマンションに派遣された詩乃はこの日の夜、一応エレーナにも挨拶するべく、義臣と彼女の同棲ルームに顔を出していた。

 義臣も同席しているリビングで、詩乃はエレーナと対面しているところだ。


「はい、一条寺家に仕えております神楽坂詩乃でございます。此度は家事炊事修行の一環としてこのマンションで1人暮らしを行うこととなりました」

「あぁ、そうなんですね。どうせなら義臣をそちらの部屋に引き取っていただければ私は嬉しい限りですけども」


 エレーナがそんなことを言ったので、詩乃はふむと思索に耽る。


(……エレーナ様は昔から坊ちゃまに対してこの調子。ゆえに旦那様は私を当て馬として派遣なされたわけですが、私としては納得が行きませんね)


 こんな小娘よりも自分の方が義臣を愛せる自信がある。

 詩乃はそう思っている。


(そもそもエレーナ様に当て馬が効果を発揮するのかどうか)


 エレーナがある程度以上の好意を義臣に対して持っていないと、詩乃による煽り行為はそもそも意味をなさないわけだ。


(ま、今確かめてみましょうか)


 そう考えた詩乃は、義臣の傍に移動して口を開く。


「時に坊ちゃま、今夜は私の膝枕にておねんねなどいかがでしょうか?」

「え」

「たまにはそういうのもありかと思いまして」


 実際にそうしてみたい欲求をダダ漏れにさせての発言。

 義臣は思いも寄らぬ問いかけに困惑している様子だった。

 そして、詩乃が最も知りたいエレーナの反応はと言えば――


「――は、破廉恥だわ!!」


 椅子からガバッと立ち上がり、赤面しながら頬を膨らませていた。

 ほう、と詩乃は心の中で意外に思う。


「たかだか使用人のくせに出過ぎた真似をしているんじゃないわよ! 気に入らない強制的な関係とはいえ義臣は私の婚姻相手だって分かっているのかしら!?」


(なるほど……本人に自覚があるかどうかは別にして、という感じでしょうか)


 おおよそ無自覚に近いのかもしれないが、義臣との強制婚姻に帰属意識がないわけでもないらしい。

 となると、


(……厄介)


 どうせなら心の底から義臣を嫌ってくれていれば良かったのに、と詩乃は思わないでもない。

 これでは義臣の略奪に手間が掛かってしまう。


(ま、良いでしょう……入手が困難であればあるほど、入手したときの喜びは増すというものです)


 そう考え、詩乃は一歩を引いて軽く頭を下げた。


「今の発言は冗談に過ぎません。大切な大切なフィアンセを誘惑したかのように誤認させてしまい失礼致しました」

「べ、別にそんなヤツ大切じゃないわ……!」


 そう言ってそっぽを向くエレーナであった。


(……この調子なら坊ちゃまの貞操が危機に晒されることはないでしょうし、そこだけは助かりますかね)


 そんな風に考えたのち、


「では坊ちゃま、今夜はこれにて失礼致します」

「あ、ああ……またな詩乃さん」


 こうして少しの収穫を得つつ、詩乃の移住初日は幕を閉じたのである。

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