パンドラの功名 Cpart

 病院に着いた頃には、ちょうど日付が変わっていた。


 ブリキが最後に見た時と同じ、惨劇がそのままであった。

 違うとすれば、死体はどこにもなく、ゾンビ(仮)の姿もない。


 それを小銃のスコープで確認した。

 ブリキは病院の屋上にスコープを向ける。


「あった」


 屋上のヘリポートに、ヘリコプターのテールローターが見えた。

 ブリキは小銃を下して、


「では、迅速に行動しましょう」


 と言って、音を立てず病院の入り口に向かった。

 入る前に柱に身を隠し、様子を伺った。


 内部には明りが一切なく、どうなっているのか分からない。

 ブリキは小銃に装備されたフラッシュライトをつけ、内部を照らした。


 白を基調としたエントランスは、血で真っ赤に染められていた。

 ガラスの扉は、全て割られて、周囲に破片が散乱する。


「さあ、行きますよ。ここからは自分の身は自分で守ってください」


 ブリキを先頭にして、二人も後続する。

 内部には動く姿はなかった。


 床は血液で滑りやすくなっている。

 素足の女は、そこを歩く度、ビチャビチャと音がする。


「うえぇ、最悪・・・・・・」


 女は苦悶に顔を歪めた。

 ブリキは止まった。


「どうした?」


 パンドラが小さな声で訊いた。


「ちょっと待ってください」


 とブリキは言うと、女の側に向かい。


「足裏を見せてください」


「なんで?」


「いいから」


 女は足裏を見せる。

 ブリキはその様子をまじまじ見た。


「オイ、こんな時に足裏フェッチか」


 パンドラが茶々を入れる。

 

 ブリキは返事をせずに、女の患者衣の裾を引きちぎった。

 それを何重にも両足共に巻いた。


「気休め程度ですが、裸足よりましでしょう」


 ブリキはそういうと、踵を返して、進んだ。


 エレベーターを見たが、電力が来てないのか動いていないようだ。

 非常用の発電機も動いてないのだろう。


 エントランスを抜け、屋上まで続く職員用の階段で上ろうした。

 するとパンドラが止めた。


「なあ、事務室的な所に行かなくて良いのか?」


「どうしてです?」


「いや、僕も詳しくは知らないんだけど。普通、車と同様でヘリコプターを動かすのに鍵とかいらないのか?」


「いりません」


 ブリキは短く返答した。

 それでもパンドラはしつこく確認してきた。


「安心してください。私は鍵無しでも飛ばしましたから」


「おい、それってどういうことだ。一回しか操縦した事ないんだろ? なのに、その一回目が鍵無しで運転したのか⁉」


「ええ、そうです」


「理由を訊いて良いか?」


「そうですね――――」


 ブリキはパンドラに背を向けて、


「生き残れたら、教えてあげます」


 そういうと階段を登った。

 屋上まで十四階、延々と続いている。


 ブリキの表情は、険しかった。

 下水道同様に、もし上下からゾンビ(仮)が襲撃してきたら、挟み撃ちに会うのを恐れているのだろう。


 普段のブリキなら、そこまで表情を表にしない。

 だけど、銃が効かない相手だから、恐怖心が勝ってしまう。


 その恐怖心が、不安が現実になるように、半分の階層を過ぎた時、目の前に現れた。

 一体のゾンビ(仮)が屋上への道を塞いでいた。


 白衣を着て、口からは涎か、それとも血なのかは分からない。

 ついでに前歯の一本が欠けていた。


 フラッシュライトを当てられても、反応がない事から、視覚で襲ってくる事はないようだ。

 現に、まだブリキたちに気が付いていない。


「一旦、一つしたの階層に降りて、そこから迂回して、別のフロアからまた、上がりましょう」


 ブリキが小さな声で指示した。

 二人とも無言で頷いた。


 音を立てず、後退すると、ガタンっと大きな音がなった。

 ブリキと女が、音の方を見た。


 そこにはズッコケたパンドラの姿があった。

 ブリキは見捨てるように、女と共に逃げだした。


「裏切り者‼」


 と背後からパンドラの罵声が階層に響いた。

 ゾンビ(仮)が階段を下りる途中、地面に倒れたパンドラにつまずいた。


 そのまま飛び込むように、ブリキの後ろを走る女にぶつかった。

 ブリキは寸での所で避けるも、女とゾンビ(仮)は絡まるように段差に身を打ち付けながら、一つ下のフロアまで転げ落ちた。


 女は後頭部を壁に打ちつけ、手で押さえる。

 だが、ゾンビ(仮)は痛覚がないのか、平気で起き上がる。

 

 女がそれに気づいた時には、ゾンビ(仮)は襲い掛かろうとしていた。

 顔面蒼白で、動けない彼女にブリキは叫んだ。


「自分の身を守れ!」


 女もその言葉で、ハッとしたのか、飛び掛かろうとするゾンビ(仮)に渾身の蹴りをお見舞いした。

 ゾンビ(仮)は、階段の転落防止柵まで押し返された。


 ブリキはその好機を逃さなかった。

 すかさずゾンビ(仮)の両足を持ち上げ、階段から転落させた。


 一階まで落ちていくゾンビ(仮)の姿は明りのない暗闇に消え、大きな衝撃音がなった。

 危機が去った事で、女は安堵した。


「動けますか?」


 ブリキは女に訊いた。


「何とか歩けそうです」


 女は蹌踉よろめきながらも、立ち上がった。


「あの転落で良く、骨折の一つもしなかったのですね」


「運が良かったみたいです」


 女は苦笑いで返答した。

 上の階から、遅れて降りてきたパンドラが、


「鉄の女、本当に見捨てやがって・・・・・・」


「元はと言えば、あなたの所為せいで、このような事になったのですよ」


「阿保、僕がヘマをしたのも含めて、尻拭いするのが、お前の仕事だ」


 パンドラは堂々と言った。

 それから三人は最上階に辿り着いたが、扉はロックされていた。


 ブリキは扉を小銃で撃った。

 鍵は破壊され、扉はブリキの蹴りひとつで開いた。

 屋上にはヘリコプターがあった。


「さあ、今の音でゾンビが来る前に急ぎましょう」


 ブリキたちはヘリコプターに駆け寄った。

 移動中、屋上に動く気配はなかった。


 ドアが施錠されていた事で、ゾンビも避難者もいなかったのだろう。

 ヘリコプターのドアは施錠されていなかった。


 ブリキは操縦席に座る前に、小銃を女に渡した。

 女は慌てながらも、


「えっ、これでどうしろと⁉」


 と小銃を返そうとする。


「私がヘリを動かすまで、防衛を任せます」


「なんでわたしが! 彼の方が適任かと」


「その男に撃たせるよりも、貴方の方がマシなのは間違いないです」


 女はパンドラの方を見た。


「武器よさらば」


 パンドラは座席にふんぞり返った。


「大丈夫、銃を撃ったところで、奴らを倒せない」


「なら、意味ないじゃん」


「意味はなくはありません」


 ブリキは作業の手を止めて、女の目を見て言った。


「例え無意味でも、これは自分の身を守るために、最後まで抗うことが出来ます」


 それ以上、ブリキに何を訊いても、返事は帰ってこなかった。

 女は小銃を構えて、辺りを見た。


 先ほどの扉から誰も出入りはない。

 女はヘリを降りて、屋上のフェンスに向かった。


 都市の方を見ると、明るかった。

 その明りは電気の光ではなく、煙を起こしながら燃える火災であった。


 離れていても、爆発音が聞こえてくる。

 女は燃える都市を傍観していると、背後からのエンジン始動音に気が付いた。

 ヘリコプターのプロペラがゆっくりと回転する。

 

 するとヘリのドアから身を乗り出したパンドラが大声で何かを言っている。

 女は聞き取ろうにも、ヘリの駆動音で内容が分からない。


 コックピットに乗っているブリキは指をさしていた。

 女はその方を見ると、自分たちが屋上に入ってきた扉があった。


 そして、扉から誰かが出てきた。


「ゾンビ・・・・・・」


 それはブリキが階段から落とした、白衣を着たゾンビ(仮)であった。

 女は震えた。


 手に持っていた小銃を落としてしまうほどに。

 動けなくなった女は、ブリキに目線を送る。


 だが、ブリキもパンドラも、助けてくれる素振りはなかった。

 小銃を落とした音で、ゾンビは女の方を見た。


 その目は白く濁り、狂気に満ちていた。

 蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった女に、ブリキは有らん限りの声で言葉にした。


「自分の身を守れ!」


 女にその言葉が届いたのか分からない。

 だが、女は落とした小銃を拾い、トリガーを何度も引いた。


 女は勇ましい叫びをあげながら、乱射した。

 最初の二発は外れたが、残りの十八発は見事に命中した。


 胴体に右太股、右肩、最後の一発は脳幹に。

 普通の人間なら即死か致命傷で動くことはないだろう。


 だが、相手はゾンビ(仮)。

 全弾を貫通することなく、その肉体で弾き返した。

 

 二十発目が撃ち終わっても、女はトリガーを引いた。

 無論、弾丸は出てこない。

 薬室に弾薬がなくなり、ボルトキャリアが後退したままだ。


 女のひたいには汗が溢れ出していた。

 ゾンビ(仮)は真っすぐ女に向かってくる。


 五秒もしないうちに、女は飛び掛かったゾンビに押し倒された。

 機内にいたパンドラは、


「もう駄目だ。またあの女もゾンビになった。襲われている間に逃げようぜ」


 とブリキの操縦席を揺らした。


「まだです」


 ブリキは落ち着いた声で言う。


「はあ⁉ 何言っているんだ。見ろ、完璧にやられてるじゃあないか!」


「よく見てください。彼女はまだ、よ」


 ブリキの言葉にパンドラも、もう一度だけ視線を送った。

 そこには変わらず、押し倒されて、襲われている女の姿。


 だが、ブリキは冷静に見ていた。


「気づきませんか?」


「何を?」


「住宅街でゾンビ(仮)が住民を襲った時は、数秒でゾンビ化が始まった。だが彼女が襲われてから、数秒が経っているのにも関わらず、まだ取っ組み合いしている。つまり彼女はまだ――――」


 その言葉に答えるように、まだ名も知れぬ彼女に変化があった。

 襲ってきたゾンビ(仮)の身体が起き上がる。


 いや、押し返されている。


 よく見ると、ゾンビ(仮)の首を右手で掴んで、ゆっくりと体制を起こす姿。

 それと同時に唸り声が轟き始めた。

 捕まれた腕により、ゾンビ(仮)の身体が宙に浮かぶ。


 その腕の持ち主は、間違いなく襲われていたはずの彼女であった。

 形勢が逆転していた。


 ゾンビ(仮)は足掻いているが、彼女に抵抗は無意味だった。

 彼女は掴んだ片手でゾンビ(仮)の強靭な首を、赤子の手をひねるように折った。


 ゾンビ(仮)は動かなくなった。

 彼女はゾンビ(仮)を離した。


 その震えている両手を、彼女は凝視した。


「いったい・・・・・・わたしのからだ、どうなっているの⁉」


「やっぱり、あなたの身体はゾンビ(仮)らと同じ、強靭になってしまったようね」


 いつの間にか、ヘリから降りてきたブリキが答えた。


「あなた自身も気づきませんでしたか? 病院に入ったときに、エントランスの床に散らばったガラスを素足で踏んでも、怪我もなく平気だったことや。階段から転げ落ちた時も、痛みはあっても、擦り傷一つ無かった」


「そう言えば……」


 女は身体中を見ても、傷一つ無かった。


「でも、どうして?」


「それは後で話しをします」


「どうして、わたしを見捨てなかったんですか?」


 その問いにブリキは答えた。


「忘れ物を取りに来ただけです」


 ブリキは小銃を拾ってから、女の手を掴み、一緒にヘリに乗り込んだ。





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