パンドラの功名 Bpart

 次の駅に到着した時には、既に夜だった。


 辺りは近代的な建物が立ち並ぶ都市であった。

 綺麗に舗装されたアスファルトの道があり、歩道と車道ときっちり分けられていた。


 歩道を行きかう人々は清潔感があり、皆が手に板状の電子機器を持っている。

 車道には、馬車ではなく、ガソリンで動く車が走行している。


 夜でも建物や街頭の光で明るく都市を照らしていた。

 蒸気機関車は名目上めいもくじょう、荷物の受け入れで停車しているが、ブリキたちが演奏にんむを終えるまで、プラットフォームで待機状態であった。


 なのでブリキたちは時刻を気にする事なく、演奏にんむに集中出来る。

 車両を先に降りてきたのは、ブリキだった。


 テンガロンハットを被り、トレンチコートを羽織っている。

 トレンチコートの裏には自動小銃をしっかり装備している。

 

 小銃は7.62×51 mmの弾丸を使用する。

 ひとつのマガジンには、最大で二十発装填可能。

 

 予備マガジンは六個あり、腰のベルトに付けたマグポーチに収納されている。

 合計で百四十発の弾丸だ。


 小銃の見た目は流行りの独立式ピストルグリップではなく、ウッドストックと一体化した古風なピストルグリップだが、ブリキはこの銃を信頼している。

 もしくは愛着かもしれない。


 それが表しているように小銃には近代化カスタムが施されている。

 黒色のレイルハンドガードが銃身を覆うようにそなえられ、至近距離と中距離でも対応できるショートスコープがマウントされている。


 ハンドガードの下には狙撃を安定させる折り畳みのバイポット。

 サイドレイルの右側には、レーザーポインターとフラッシュライトが内蔵された装置もある。


 今日は珍しく小銃には、おしゃぶり《サイレンサー》が装着されていた。

 無論、四十五口径の拳銃も、腰のホルスターに装備している。


 それと背負うようにトマホークも用意していた。

 トランクは逃げるときに邪魔になるので、車両に置いてきた。


 出来るだけ軽くしたいが、万が一に逃げ遅れた場合の保険を考えたら、小銃は持たずにはいられなかった。

 今のブリキは普段ではオーバーなほどに、フル装備なのだ。


 ほどなくして、パンドラが降りてきた。

 格好も食堂で会った時と同じであった。


 手荷物はなく、ポケットにチョークが一本と、少しの起爆剤と導火線があるだけだ。


「とっとと演奏にんむを終わらせますよ」


 ブリキはパンドラに言う。


「目的地はできるだけ人が密集しているのが良い。動けない患者のいる病院や老人ホーム、学校。特に良いのは小学校かな、彼らは素早いし、人々も躊躇ちゅうちょが生まれる」


「相変わらず、えげつない選定ですね。私よりも残忍だ」


 ブリキですら吐き気を催す邪悪と評した。


 都市に侵入にゅうこくした二人は、良さげな施設を探した。


「ここにしよう! ここを第一村とする!」


 納得のいく場所を見つけたパンドラが言った。

 目の前には住宅街に隣接りんせつする大病院があった。


 壁全体が真っ白に塗装され、屋上にはヘリポートがあった。

 都市部からも、そんなに離れていない。


 先に小学校を見つけたのだが、夜だったので目的の子供たちはいなかった。

 パンドラは少し残念そうだった。


「僕は、あの離れた駐車場で待機しています」


「じゃあ、私は適当に第一村人だいいちぎせいしゃを探して来ますので、パンドラは魔法陣の準備をしておいてください」


「頼みますよ。もし余裕があるなら、多めに殺しちゃって構いませんので」


「一人で充分です」とブリキは返事をして、人気の少ない場所から病院施設に侵入を試みる。


「それと」


 パンドラは付け加えるように、


「できるだけ損傷の少ない感じでお願いしますよ。首を落としたら意味ないですから」


 と淡々と言った。


 ブリキは病院施設の庭園にいた。

 大きな植木に身を隠している。


 周囲には小さな池とベンチに自動販売機があった。

 昼間は患者が気分転換に来ているのだろう。

 だが今は夜なので誰もいない。

 

 ブリキは小銃を構えて、マウントされたショートスコープを覗いた。


「周囲に人影なし。仕方がない。病室に入って、一人拉致するしかないですね」

 

 そう諦めかけたとき、病院のエントランスから出てくる女性がいた。

 見た目からして、病院関係職員ではない。


 着ていたのは、清潔感のある患者衣だった。

 奇妙な事に彼女は裸足だ。


 何か左右を確認しながら、走った。

 ブリキはその様子を、さらに注意深く観察した。


 齢は一緒ぐらいだろうか、若い女性であった。

 身長はブリキよりも高身長であった。


 痩せ細った身体に、太陽をずっと浴びてないのか、肌は幽霊の如く青白かった。

 肩まで伸びる白髪が、より一層不気味でたった。


 栄養失調なのか、フラつく足取りで、病院から逃げるように、ブリキのいる庭園に向かってくる。

 彼女の表情は必死であった。


 ブリキはスコープを覗くのを止め、


「丁度いい。あれなら運びやすいでしょう」


 ブリキは見つからないよう、彼女が通るであろう道で待ち伏せをした。

 庭園の遊歩道脇に生えた木樹の裏に隠れた。


 遊歩道には街灯があり、自分の位置が影でバレないように、樹木の影と重なる様に一体化した。


 慌てた足音が聞こえ、案の定ブリキの方に近づいてくる。

 遊歩道に伸びる人影を捉えた。


 彼女が木樹の脇を通り過ぎると同時に、ブリキは彼女の背後を取った。

 素早く口元を左手で塞ぎ、右腕で彼女の首を圧迫する。


 わめいている彼女を、茂みの奥へ引きずり込む。

 暴れる彼女の身体を、ブリキは両足で絡ませるように拘束する。

 

 次第に喚き声も弱くなり、等間隔に彼女の身体は痙攣し始めた。

 遊歩道には、彼女が失禁したであろう排泄物が流れ出していた。


 意識が昏倒し、首から手足に向かって力が抜けていく。

 それでもブリには手を緩めず、秒数を数えた。

 

 六十秒から数え始め、カウントが一秒ずつ減っていく。

 ゼロになってやっとブリキは拘束を解いた。


 彼女の首には紫色の鬱血痕が残されていた。

 息が完全に止まり、目の瞳孔も開いていた。


「これで任務完了」


 ブリキは置いてきた小銃を回収し、名前の知らない彼女を担いで、パンドラの元へ退却した。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ホラ、捕まえて来ましたよ」 


 パンドラの元に帰ってきたブリキは、担いでいた女性をアスファルトの床に降ろした。


 病院から離れた屋外駐車場には、何台かの車が端に固まって停められていた。

 その隅にパンドラはいた。


 パンドラは地面に魔法陣を描いていた。

 規則性のない円形に近い紋様であった。


「どれ、遺体の具合を見てみよう。オイ、首に痣があるぞ! 折ったりとかしてないだろうな?」


「私は乙女よ。そんな物騒なこと出来ませんわ」


「阿呆、どこの世界に人を絞め殺す乙女がいる」


 パンドラはツッコみながら、遺体の状態を確認していたその時だった。

 遺体の右手が動いた。


 それは死後硬直ではなく、意思を持っていた。

 彼女の右手はパンドラの腕を力強く掴んだ。

 

 その病弱な細い腕からは、考えられない程の握力なのだろうか、パンドラが激痛に顔を歪ませる。


「オイ、ブリキッ゙! 殺したんじゃあないのか!?」


 その言葉に慌てて、ブリキも彼女の掴んだ手の指を引き剥がそうとする。


「間違いなく死んでるのを確認しました。絞殺とはいえ、生き返るなんて、そんな偶然⁉」


 全く剥がれない。

 腕に食い込んでいる。


「これは貴方あなたの死霊じゃあないのか?」


「まだ魔術を起動してない! それはあり得ない! もし僕の死霊なら操れる。だがコイツは操れない!」


 パニックになるパンドラ。


 そして遺体だった女性がむっくり起き上がる。

 目は焦点が定まっておらず、肌は血が通ってないのか更に青白い。


 女性は口をクワッと開けて、パンドラに噛みつこうとした。

 ブリキは背負っていた斧を女性に瞬時に振り下ろした。


 地面にゴロンと転がったのは、女性の頭部。

 糸が切れた操り人形のように女性の体が、今度こそ沈黙した。


 パンドラを掴んでいた手も剥がれ落ちた。


「何ですか、こいつは……」


「もわからん。だが僕の死霊とは違う」


「でも頭を落とせば、動かなくなるのは一緒で良かった」


 ブリキの言葉にパンドラも安堵する。


「どうして動き出したのか気になるから、調べてみたい……」


「やめときなさい、悪い病気かもしれない。ついこの間まで、ウイルスで大変な目にあった所なんですから」


「阿呆、ウイルスで死体が動くなんてあり得るものか」


 パンドラは遺体から患者衣を剥ぎ取った。

 それは仰向けの美しい裸体であった。

 胸もブリキのそれよりも遥かに山のようだった。


 ブリキも見惚れるほどであった。

 現に鼻血が出ている。


「鉄の女も血が流れるんだな」


「あまりにも美しい裸体なモノで」


「それは異常だな。一度、メーカーに問い合わせした方が良い」


 パンドラは死体を裏返した。


「これはなんだ?」


 右のお尻に何か外傷があった。


「なんでしょう。私も見たことない傷です。銃ではないのは確かね」


「刃物に近いけど、それも違う――――これは」


 パンドラは外傷に何かを見つけた。

 指先で患部をほじくると、何かを掴みだした。


?」


「それも人間のみたいだ、な・・・・・・」


「ねえ、男性のパンドラにひとつ訊いて良いですか?」


「なんだ?」


「おっぱいとお尻、噛みつくとしたらどっち?」


「どっちも噛まねえよッ‼」


 パンドラは手に持った歯をブリキに投げつけた。

 当たった場所を抑えながら、


「ところでどうします?」


「どうするも僕の演奏は終わっていない」


「という事は、また一から死体を拉致って来ないとダメですか?」


「この遺体は首が繋がってないから無理だ。もう操れない」


「駄目ですかぁ・・・・・・ちなみに演奏にんむ内容訊いて良いですか?」


「作戦目的は伏せるが、僕の演奏は変わらない。この都市に死霊を放って、壊滅させることだ」


「じゃあ、すぐにもう一体、見繕みつくろってきます」


「今度は、ちゃんと死んだ人間だぞ」


 ブリキは斧を背負いなおし、病院に再度向かった。


「なんですかこりゃ・・・・・・」


 ブリキは困惑していた。

 十五分ほど前までいた場所が、戦場に変わっていた。


 いたる病室の窓から火が噴き出し、窓ガラスが割れていた。

 病院からは怪我を負いながらも逃げ出してる人々がいる。


 その中に紛れて、人を襲っている姿があった。

 ブリキは小銃を取り出し、スコープで覗いた。


 血まみれの患者が、逃げる医者の背後に飛びついて、首筋を噛みついている。

 噛まれた医者は動かなくなった。


 そして襲ってきた患者がゆっくりと顔を上げた。

 青白い顔に、焦点の合ってない目。

 口周りは他者の血で染められていた。


「さっきの女と同じだ」


 小銃を構えるのをやめて、急いでパンドラの元に戻った。


 三分ほどでパンドラの場所に戻ったブリキ。

 パンドラは呆れた表情で、


「阿保、死体はどうした?」


「それよりも、脱出しましょう」


 ブリキはパンドラを引っ張る。


「離しやがれ! 僕はお前と違って演奏をやり遂げるんだ!」


「演奏ならしなくて良い。時期にここは壊滅します」


「オイ、訊きやがれ! お前が僕の仕事を手伝いたくない気持ちは知っている。でも、前金を受け取っておいて、食い逃げは許さないぞ」


 遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。

 その瞬間、パンドラは凄い剣幕を立てた。


「まさかお前――――しでかしたな! だから逃げようと」


「違います。良いから一緒に逃げますよ」


「人の任務を邪魔しやがって!」


 乾いた音が響き渡る。

 無論、ブリキの拳銃ではない。

 その音にブリキたちは地面に伏せた。


「僕たちを狙撃しているのか⁉」


「違う、ライフル音じゃない。あれは拳銃だ。音の方角ほうがくは病院でしょう。ここにいる私たちに向けてじゃない」


「じゃあ、奴らは何を撃っているんだ?」


「そこの――――って、パンドラ。さっきの死体はどこにやりましたか?」


 さっきまで放置されていた遺体がない。

 ついでに頭もない。


「まさかパンドラ・・・食べたんですか?」


「ふざけたことを抜かすと、お前を殺して死霊にするぞ」


「じゃあ、死体はどこに?」


「僕も知らない!」


 混乱する二人は、辺りを見渡した。

 ブリキは死体があった場所をみた。


 あったのは、剝ぎ取った患者衣が、そのままであった。

 首を切り落とした血痕がそのままで、引きずった跡があった。


 その痕跡は、十メートル離れて停まっている車まで続いている。

 ブリキは小銃をパンドラに渡した。


「私が見てくるから、そこからカバーしてください」


 手には拳銃が握られていた。


「待ってくれ、僕は銃の撃ち方なんて知らないぞ!」


「だったら、私を誤射しなくて済みます」


 そういうと血痕を辿った。

 車に近づくにつれ、何か音がする。


 グチャ、グチャっと生々しいものだった。

 車体の反対、後輪タイヤの裏に間違いなくいる。


 間合いを保ちながら、近づいた。

 飛び掛かっても、避けつつ弾丸をぶち込める位置だ。


 覚悟が決まり、がいる場所に銃口を向けた。

 《《女》はいた。


 無論、全裸であった。

 先ほど殺したと思った女が、千切れた首を両手で持って、胴体と繋げようとしていた。


 断線した筋肉繊維が連結し、みるみるうちに皮膚まで再生した。

 理解不能の状況にブリキが傍観していると、女はこっちを見た。


 ブリキはすかさず拳銃を構えて、弾丸を撃ち込んだが、全く効かない。

 痛みを感じていない。

 いや、それ以上のことが起きた。


 弾丸を命中させたのだが、皮膚を突き破り人体にめり込むことなく、はじき返した。

 まるで漫画のスーパーヒーローだ。


 全弾発射し、スライドがオープン状態になった。


「まずい怒らしてしまいましたか」


 ブリキが武器を変えようと、斧に手を伸ばすも、女はそれを妨害するように飛び込んできた。

 ぶつかった衝撃で斧を落としてしまうミスをしてしまう。


 女はブリキにおおいかぶさった。

 身動きが取れずブリキは、女の口に拳銃を噛ませた。

 ガチャガチャとスライドを噛みしめる。


「パンドラッ‼」


 ブリキは叫んだ。


「なんだ! ってオイ、ヤバいじゃあねえか⁉」


「銃で撃て!」


「だから撃ち方を知らないって!」


「トリガーを引くだけでいい!」


 パンドラは小銃を構えて、引き金を引く。

 反動でパンドラの身体が後ろに吹っ飛んだ。


 弾丸は女に命中せず、ブリキの頭をかすめた。


 パンドラは起き上がりつつも、


「っつ、ああ! 肩が痛ってえ・・・・・・」


「バカ野郎ッ! こんな至近距離で外すな!」


 ブリキは怒鳴った。

 バキっと何かが砕ける音がした。

 拳銃のスライドに亀裂が走る。


「もう良い! 斧を持て!」


 パンドラは左肩を抑えながら、地面に落ちた斧を拾った。


「それで首をもう一度、叩き切れ!」


「僕に出来る訳ないだろ」


「良いから早くしろ!」


 ブリキの罵声にパンドラは右手で斧を力いっぱいに振りかざした。

 銃と違い、今度こそ女の後頭部に直撃した。


 だが、女の首は切り落とせなかった。


 力が弱かった訳ではない。

 女の身体が超人なみに頑丈すぎたのだ。


 むしろ、斧の刃が欠けた。

 もう策がないのか、人生で二番目にブリキは焦っている。


「なんとかしなさい、パンドラ!」


 他人任せになる。


「なんとかって、僕は死霊魔術師ネクロマンサーだ!」


「でしたら、お得意の魔術それで助けろ!」


「助けろって、相手は首が・・・・・・ついてるから何とかなるかも」


 パンドラは急いでブリキたちがいる場所に魔法陣をチョークで描き始めた。

 その間にもスライドは砕け、欠片やスプリングが飛び散る。


 空になったマガジンを取り出し、追加で噛ませた。

 時間稼ぎにもならない。


 ブリキは恨めし声で、「早くしろ」とパンドラをせかした。

 パンドラは何度もチョークを折りながらも描き続けると、先ほどと同じ規則性のない円形に近い文様が完成した。


「よし、出来た。鉄の女! 絶対にそいつを魔法陣から出すなよ!」


 そういうとパンドラは魔法陣に導火線をつなぎ、起爆剤で点火した。

 火薬が引火したように爆炎がブリキと女を包み込んだ。


 周囲には煙が立ち込め、何も見えない。

 パンドラが咳き込みながらも、爆炎の中心へと近づく。

 そこには二人の人影があった。


「大丈夫か鉄の女?」


「・・・・・・」


 沈黙だった。


 煙を手で払いながらも、パンドラが近づくと、女がブリキに覆いかぶさったままだった。

 ただし、争っている状況ではない。


 女はぐったりとしていた。

 パンドラは警戒しながらも、女をどかした。


「鉄の女、噛まれてないか?」


「――――なんとか」


 ブリキはゆっくりと上半身を起こした。

 手に持っていた拳銃は無残にも原型を失っていた。


「女はどうなった?」


「正直、離れた方が良い」


「どうして?」


 ブリキは訊いた。


おんなを操れない」


「それって、また勝手に動き出すんじゃあ・・・・・・」


 その時だった。

 女は咳き込んだ。


 すかさず二人は後退し、ブリキは小銃を拾って構えた。

 すぐには撃たず、様子をうかがう。


 女は咳き込みながらも、上体を起こした。

 その動きは人間らしさがあった。

 肌色も最初の時みたいに青白くなく、血色がよかった。


「わたし、なにを・・・・・・って、なんで全裸⁉」


 女は喋った。


「言葉が、もしかして」


「違う、僕じゃない。彼女の意思で動いている」


「撃ち殺しましょうか?」


「確実に殺せるなら、やれば良いんじゃあないか」


 その返答にブリキは小銃をおろした。

 女はこっちに気が付いた。


 ブリキは落ちていた患者衣をとりあえず、女に渡した。

 女は患者衣を着ながら、


「ありがとうございます。あの、わたしは一体・・・・・・」


「覚えてないのか?」


 ブリキは女に訊き返す。


「何も覚えていない」


「自分の名前もですか?」


「名前も知らない。あなた達も、この場所も、自分自身も」


 ブリキはパンドラの方を向いた。


「どう思います?」


「どう思うって、僕は医者じゃないから」


「そうじゃない。安全かどうかです」


「それこそ僕が知ったことかよ!」


 パンドラはブリキの肩を叩いた。

 

 ブリキは少し考えて、女の元に向かう。

 やはり女の首は綺麗に再生し、弾丸を撃ち込んだ場所は傷すらついていない。


「ちょっと首の後ろを見ても良いですか?」


「えっ、後ろ?」


 女は困惑していた。


「大丈夫なにもしません。ただ確認したいだけです」


「・・・・・・」


 女は後頭部から首筋にかけて、自分の手で確認している。

 手のひらを見ても返り血など一切なかった。


 ブリキも確認してみるが、なにもなかった。

 斧による損傷もない。


 ブリキは彼女を不安にさせまいと何も伝えず、


「ありがとうございます」


 とそれだけだった。

 ブリキはパンドラの元に戻って相談した。


「今のうちに撤退しましょう。状況が更に悪化する前に」


「僕は演奏をやり遂げる男だ。だが君の言う通り、今日は無理だ。これ以上、魔術は使えない。初めての失敗だよ」


「大丈夫、大人になれば失敗の数なんて覚えてられない」


「助言をありがとう。お前みたいにならないよう教訓にしておいてやる」


 パンドラも納得し、撤退の準備を始める。

 いつしか病院側の方からしていた銃撃音も止んでいた。


 でもまだパトカーのサイレンは鳴り止まない。

 撤退の準備が完了し、その場を去ろうとすると、


「ねえ、わたしも連れてって」


 と女がブリキに言ってきた。


「すまないですが、私は自分の身しか守れません」


「オイ、僕の身は守ってくれないのか?」


「危なくなったら、見捨てるつもりです」


「この人でなし」


「だから鉄の女なんでしょ?」


 ブリキは開き直った。


「お願いします。わたし、どうしたら良いのか分からない・・・・・・」


「そんなの誰だってそうですし、他人に答えを求めるのも間違っています。自分は自分でしか分かってやれないし、決めれない。だから


 ブリキはそういうと女に背を向け、その場を去る。

 だが、女はブリキたちの後をついてきた。


「どうして、ついて来るんですか?」


「わたしは自分自身だけでは生き残れないのが分かってます。だから、勝手についてくることを決めた」


「・・・・・・」


 ブリキは考えながらも、再度、女に背を向けて、


「自分で決めたのなら、そうしなさい」


 と言った。


 こうしてブリキとパンドラ、そして名前のない女と一緒に、蒸気機関車に向かったのだ。


 その道中は酷い有り様だった。

 病院のある住宅街では、住民たちが逃げ惑っていた。

 住民たちは口を揃えて言っていた。


「ゾンビだ! 助けてくれ!」


「噛まれたらゾンビになるぞ!」


「逃げろ! どけ、俺が先だ!」


 ゾンビと呼ばれる人を襲う連中は、獣が狩りをするように住民たちを追いかけていた。


 特に女子供が重点的に襲われていた。

 そして大人の男達は、卑怯にもその隙に逃げていた。


 子供の足を拳銃で撃って、動けない様にして囮にする者や。


 また有る男は、女を突き飛ばしてワザと襲わせて時間を稼ぎ、車で逃げる者もいた。


 家に一人だけ籠城ろうじょうし、扉を必死で叩く母子を見捨てる父親の姿もあった。


 だが、彼らの行いは、ほんの少しの命拾いでしかなかった。


 囮にされ、見捨てられた女子供は、襲われてから数秒以内に、ゾンビになっていた。

 ゾンビになった彼らは恨みを晴らすように、自分たちを犠牲にした男達を襲いだした。


 子供を囮にした男性は、ゾンビになった子供たちに囲まれていた。

 男は拳銃で抵抗するも、相手は数も多く、弾が足りない。それにゾンビは撃っても、無傷であった。


 弾切れになると、ゾンビの子供たちは一斉に男を襲った。

 男の断末魔が、群がる中心から発せられた。

 ゾンビの子供たちは、分け合うように男の肉片や臓物をむさぼっていた。


 他にも女性を突き飛ばし、車で逃走した男は、道路が他の車で身動きが取れなくなっていた。

 男に突きとばされた女はゾンビになり、男の後を追いかけてきた。

 女ゾンビは、男の乗った車のフロントガラスを突き破り、中に入って男を喰い殺した。


 籠城した父親は、ゾンビになった母子が、いとも簡単に分厚い鉄の扉を壊して、内部に侵入。

 程なくして、父親の叫び声が家の外にも響いた。


 この場に留まり続けたら、ブリキたちも見つかるのも時間の問題だ。

 ブリキたちはゾンビに見つからないように、建物の陰に隠れた。


「どうなってるのこれ……」


 女は混乱していた。


「全くわかりませんが、襲われたら――――と呼ばれる存在になるようですね」


 ブリキは答えた。


「そもそもとは何なんだ? この地方の特有の化け物か?」


「ゾンビ知らないのですか?」


「知ってるのですか?」「お前、知ってんのか⁉」


 ブリキとパンドラは同じ反応をした。

 女はゾンビについて語りだした。


「実際に存在しないんですが、映画とかに出てくる空想上のモンスターと言いますか・・・・・・」


「ドラキュラとかミイラ男みたいなモノか?」


「そうそれです!」


 女はパンドラの問いを肯定した。


「で、どんな奴なんだ。撃っても死なない。首は切り落とせない。力もとても強い。現状、私では倒せない」


「そうなんですか⁉ ゾンビって、頭を撃ったり切ったりすると倒せちゃうイメージなんだが・・・・・・あと、力は強いかは分かりませんが、共通して動きは鈍く、噛まれるとウイルスが感染して、ゾンビになります」


「ホラ、やっぱりウイルスじゃない⁉」


 ブリキはパンドラの痛めた左肩を殴打した。

 苦悶の顔で、パンドラは地面にうずくまった。


「でもあれですね」


 ブリキはパンドラを無視して、話を続ける。


「所々、そのゾンビと類似していますが、その話を訊くと異なる点も多いですね。本当にあれはゾンビなのでしょうか?」


「うーん、本物のゾンビを見た事ないから分からないかな。よく思い返せば作品によって違ってたような・・・・・・」


「記憶がないと仰っていましたが、覚えている事もあるのですね」


「何かそういうのは覚えているんですけど・・・・・・でも、やっぱり自分の事は思い出せないみたいです。はい・・・・・・」


 女は恥じらいながら頭を掻いた。


「まあ、記憶が戻ったからと言って、現状が打開できる事はないでしょうが・・・・・・さて、脱出方法を考えましょう。

 まず、このまま突破は不可能ですね。間違いなく、見つかって群れで襲われます。車で逃げるのも、建物に立て籠もるのも、先程の殺された男達と同じ運命を辿るでしょう」


「なら、下水道はどうだ?」


「駄目です。土地勘もないのに見取り図がない状態で下水道に入って迷ったら、お終いです。昔、下水道ではないですが、這って進む狭くて小さいトンネルで挟み撃ちにあって、酷い目に遭ったことがあります。なにより下水道は暗いし、それに・・・・・・」


「それに?」


「私は臭いところが苦手です」


「「・・・・・・」」


 パンドラと女は沈黙した。


 そんな二人にブリキは妙案を提案した。


「もう一度、病院に戻ります」


「はあ⁉ なんで?」


「あの病院にはヘリポートがありました。ヘリを奪って、上空から逃げます」


「お前、ヘリの操縦なんて出来んのかよ」


「一度だけ、操縦桿そうじゅうかんを握った事があります」


 その言葉を訊いて、パンドラは呆れた。


「一度だけだろ。それで大丈夫なのかよ。それにヘリが既に飛び去っていたら、どうするんだよ」


 ブリキは少し考えて、


「その時は、本当に二人を見捨てて、生き残ります」



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