静寂の渓谷で

静寂の渓谷で Apart

 濃霧のうむが漂う渓谷の間を沿うように一本の川が流れていた。

 川は緑色で透明度はない。

 

 その水面に反射して写る細長い物体が走る影があった。

 十両編成の蒸気機関車であった。


 汽笛を鳴らすと、山彦やまびこのように渓谷内で反響する。

 三両目の特別個室に車窓の外を見つめる独りの女性がいた。


 二十歳後半でショートの黒髪に真っ白な肌。

 全身黒づくめで、テンガロンハットをかぶり、無地のシャツとベストを着ている。


 ベストの胸元には星型のバッチをしていた。

 首元にはネクタイが締められている。

 

 側にはトレンチコートが畳まれていた。

 タイトなズボンと、腰にはズボン用のベルトとは別に、銃を保持するホルスターが一体化した本革ベルトをしている。


 ホルスターの中には軍用の自動拳銃が入っていた。拳銃には四十五口径の弾丸が七発装填されている。

 薬室には弾丸は入っていないが、スライドを引いて、グリップの安全装置を握れば、いつでも撃てるような状態だった。


 グリップの木製部分には握りやすいように削り込まれており、表面には滑り止め用の布張りされている。

 マガジン挿入部には、滑らかにマグチェンジが出来るようにマグウェルカスタムが施されている。


 その他の荷物は足元にひときわ大きなトランクがひとつあるだけだ。


 彼女がいる個室をノックする音が聞こえた。


 女性は「どうぞ」と返事をする。


「失礼致します」


 扉を開けたのは、列車の黒人男性の乗務員パーサーだった。

 三十代前半で髪と髭はきれいに剃られており、服越しでもわかる筋骨隆々の体格をしている。


「ブリキ様、新しい演奏会の案内状です。ご拝読を・・・・・・」


「いつも苦労を掛けて悪いね、パーサー」


「これが仕事ですから」


 ブリキは乗務員から本を受け取った。


「なにかお持ち致しましょうか?」


「グラス一杯の水と、氷無しのジンバックを頼むよ」


「かしこまりました」


 そういって扉を閉めた。


 独りになったブリキは、眼鏡をかけた。

 目は悪くはないブリキだが、乗務員が持ってきた案内状を読むときは必ず眼鏡をかけるのだ。


 黙読するとブリキの表情が次第に険しくなる。

 ほどなくして、またノックがされた。


「誰か?」


「パーサーです。ジンバックをお持ちしました」


「入って」と返事をした。


 扉を開けると先ほどの同じ乗務員パーサーがトレイにグラスを乗せて、立って

 いた。


「失礼します。ドリンクはテーブルの上でよろしいでしょうか?」


「頼む」


 乗務員はジンバックと水の入ったグラスを置いた。


「パーサー、今回の演奏は難しいな。私好わたしごのみではない」


「そのようなことをパーサーである私奴わたくしめに申して大丈夫ですか? 支配人に知られたら、降車しけいでしょうね」


 乗務員は苦笑いをした。


「ねえ」


「いかが致しまた?」


「私って、うるさい女でしょ?」


「それがブリキ様の良さです」


「本心で言って」


 乗務員は少し咳き込んでから、


「確かに前回の演奏にんむは騒々しかったですね」


「ありがとうパーサー。なのに今回の演奏にんむ静寂サイレントなのよね・・・・・・。やっぱり私には向いてないわ」


 乗務員は少し考えた表情をして、


「ブリキ様はおしゃぶり《サイレンサー》を持っていたのでは? それなら静かに演奏できると思いますが?」


「私の子供自動小銃におしゃぶり《サイレンサー》を着けた所で、鳴き声は止まないわよ。それにこの渓谷だと音が反響して、最悪ね」


 ブリキは眼鏡を外し、案内状を細かく破いて水の入ったグラスに入れる。


 すると紙は水に溶けて消えた。


「他になにか御入用はございますか?」


 乗務員は再度、訊く。

 ブリキは目頭を指で押さえながら、ジンバッグをひとくち。


「そうね。寡黙で、遠くからでも演奏が出来て、火遊びをしない、それと頑丈な相棒が欲しい」


「静音性と遠距離、火薬無使用――――あと信頼性のあるモノですか・・・・・・」


 乗務員はなにか心当たりがあったのか、


「わかりました。少し時間を要しますが、ブリキ様が納得できそうな物を見繕みつくろいましょう」


「あるのか?」


「それが私の仕事なので」


 乗務員はお辞儀をしてから去った。


「一体、何を持ってくるつもりなんだろう」


 ブリキはワクワクしながら、ジンバッグを飲み干した。

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