日の下に帰れども

すいむ

夜明けの空蝉

渡守列車の改札の外にて(Out of The Ticket Gate)

 忍が下宿先の前で時間を把握して焦りだした途端、下宿先の大きな家から女性が駆け出してくる。

 髪をポニーテールにしたサマーニットを押し上げ、ゆったりとしたスカートに隠されている豊かな肢体を持ち綺麗で眼力の強い女性が走ってくる。

 忍の母親の従姉妹である若葉家の若き当主、産美むすびだった。


「忍っ、あなたこの時間まで何処にいたのっ!?みんなで探し回ったんだから……!!」


 忍の両肩を掴んで叫び、その後抱きしめた。

 この地域の中では外れの方にある大きい家であり、庭も広く他の家ともかなり離れてるので近所迷惑にはならないだろう。


「……本当に申し訳御座いません」


 抱きしめられたままの忍は俯き告げた。

 

「……おかえりなさい、とりあえず家に入りましょう」


 帰ってきてくれて本当に良かった、と言い産美は忍から離れて家に戻った。


「はい――」


 忍はまた泣き出してしまいふらふらと歩きだす。

 ようやく忍は帰宅した。






 忍はまず産美に言われてトイレに行き、その後手洗いとうがいをしてから応接間に入った。

 帰ったらまずトイレに行く事指示をしたのは長老の伝言であり、産美は意味を理解していなかったが、疑問はあれど拒否する理由もないのでそのまま忍に指示したのだった。

 応接間なら騒いでも寝ている家族には聞こえないし、ゆったり出来るからだ。

 テーブルを挟んだ二つの長椅子にそれぞれ座る。

 他の家族は寝ているので産美がアイスココアを二杯淹れて忍を落ち着かせる。


「それで忍、あなた一体今まで何処に居たの?そして何で裏庭のお地蔵前に居たの?」


 産美は泣き止んだ忍に訊く。


「それが、私にもあまりわからないのです」


 俯きがちに忍は言った。

 

「私は帰るために駅で電車に乗ったら、その列車が普通じゃなかったみたいで彼の世に連れてかれそうになったらしいです」


 未だに持っていた例の切符をテーブルに置いて見せる、そこには比良坂鉄道の文字が書いてあった。


「そして気づいたらつい先程お地蔵さん前そこにいました」


 忍は産美を見つめて言った。


「忍、あ、あなた何言って――」


「忍の言ってることは本当の事のようだよ」


 産美が言われた事が現実離れしすぎていてさらに問い詰めようとした所、応接間に誰かが入ってきた。

 家電の子機を片手に若葉家の長老である老婆、ハル子がやってきた。


「山の社から電話だよ。そして忍が帰ってきてるはずだと言われたよ」


 確かにそのようだね、と90歳後半の老婆であり忍から見て曾祖母にあたる長老は杖つくことなく歩き産美の座る方の長椅子まで来て隣に座った。


「忍、怪異にあってしまったのだからお前さんは悪くない。だが、周りの人間はお前さんを探して協力して下さったんだ。迷惑をかけてしまったことになるから、明日の午後は一緒に謝罪行脚に行くからね」


 明日は謝罪しにまわるよ、と長老は言い産美に家電の子機を渡した。


「お祖母ちゃん、コレは?」


「山の社からの電話で当主に代わるようにと」


「それは先に言ってよ、お祖母ちゃん! お電話替わりました――」


 長老は答え、慌てて産美は電話に出る。

 そして産美は立ち上がり即座に応接間から出ていった。

 

「さて、ここからは私が話すとするかね。あぁ、別に私は怒ってるわけではないよ。隠居してからはこういうときくらいしか役割ないしね」


 怒ってるわけではないと長老は眠たげな表情で言った。


「産美は寝られてないからカリカリしているのもあるけど、お前さんの両親の件であのような結果になってしまった事に申し訳無さを感じている部分もあるんだよ」


 私もそこは申し訳無く思っているよ、と長老は言った。

 

「いえ、別にそこまで……ただ、私は兄には生きていて欲しかったと思っています。」


 長老を見ているようで見ていないような目で忍は告げた。


「それはそうだね……」


 長老もただ目を閉じて言った。


「とりあえず、お前さんも寝ないといけないから、私が話を訊くことにするよ」


 気を取り直して目を開いて長老が言った。


「まず、私は日付が変わる前あたりになってももお前さんが帰ってこないと心配してる産美に相談されて気付いたんだが。」


 まずここから、と長老は言った。


「産美が言ってたね、寄り道にしてもこの辺にはそんな時間までやってる場所ないし、街は制服着て彷徨うろついてる時点で補導されて電話が掛かってくるし、そもそもあの子の性格的に遅くなるなら何かしらの連絡は入れるだろう、と言っていたよ」


 とりあえず信用はされてるよ、と長老は忍に言った。


「だから何かに巻き込まれたのかもしれない、と産美は心配して慌てていたよ。そして、それを聞いて私は常磐ときわ家に相談した上で警察ともしかしたら山の社に助けを求めた方が良いかもしれない、て言ったのさ」


 そして産美が飲んでいた飲みかけのアイスココアを長老は飲んだ。

 忍は長老が飲んでも大丈夫なのか、お腹壊したりしないかと心配になった。


「そして産美が常磐家に相談した後警察に、山の社のほうり家には私が相談の電話をいれたのさ」


 因みに常磐家は若葉家の本家というべき存在で医者や学校の先生などを輩出しているこの辺一帯では名家と言われる家で学校の経営もしている。

 若葉家自体も結構古く、女系の家なので地域の大抵の人が知っている。


「そうでしたか……」


「それで電話をしたら、社の当主様が出て下さってね『こんな時間にどうしたんだ』と眠たげな声で対応してくださったよ」 


 まぁ、普通に相手はびっくりだね、と長老は言った。


「それで『長老もこの時間普段寝てるだろう、本当にどうしたんだ?』と少し目が覚めたのかおっしゃってたよ、そして私は今までの事情を説明したんだ」


「そしたらね、何かしらに巻き込まれてる可能性が高いって当主様がおっしゃって『人間がらみなら警察で良いが、怪異のたぐいならどうにもならないだろう、こちらも探そう』と協力してくださったんだ、そしてついさっきもう帰ってきてる筈だと連絡を下さった。」


 山の社の一族は当主も含め何かしらの力を持った者が多い、そして一番古い名家だけあって様々な繋がりもある。そして色々謎も多い。


「それで、お前さんは何処に行ってたんだい?」


 そして、話は産美が問いかけていたところまで戻った。


「それが、駅の下り線のホームで電車に乗ったら、乗る電車を間違えたようで……」


 忍は俯きながら口を開く。


「え、お前さんが乗る時間の下り線はもうこの最寄り駅が終点の電車しか無い筈なのにかい!?」


 もうほとんど電車に乗らない長老でも流石に異常性に気付いたのだった。


「はい、乗ってドアが閉まった途端、周りの景色が代わり、アナウンスで『比良坂鉄道、比良坂線急行かたす行』と言われて頭が真っ白になりました……」


 忍は辛かったと吐露する。

 それを見て長老はテーブル越しで慰めようとするが忍の肩を叩けず、指でちょんちょんと触れるだけになっていた。


「そうかい……因みに比良坂は『黄泉比良坂』彼の世に繋がる坂で、かたすは恐らく『根の竪洲国』彼の世の世界の事を表している筈だよ。『竪洲』は確か片隅とという意味だったか……」


 今はどうでもいいことだね、と長老は言った。

 

 「とどのつまり、彼の世行きの列車に乗ってしまったと『列車の怪異』だったんだね」


 本当に帰ってこられて良かった、と長老は呟いた。


「はい……そしていつの間にか切符を持ってました」


 忍はテーブルに切符を置いた。比良坂鉄道の文字と若葉家地蔵菩薩前行きと書かれた切符である。

 長老は目を細めて切符を見てぎょっとしていた。


「それで、どうやって、帰ってきたんだい?」


 また長老はココアを飲み一息つく。

 忍は前の光景から目を逸らして口を開いた。


「半月さんという方が切符を交換して下さいました。そして私に帰ることだけを願って、『塞の神』に祈ってと言われていつの間にかこの家のお地蔵さんの前に居ました。」


 ありがとうの言葉も言えませんでした、と忍は俯く。


「……そうかい、これがその切符かい」


 長老は切符をつまみ上げてそうつぶやいた。

 忍には長老の考えてる事は読める訳もなくただ、見る事しか出来なかった。


「しかしまぁ……ところで、『塞の神』って、お前さんは、何の事か知ってるかい?」


「いえ……」


 長老の問いに忍は首を左右に振った。


「そうかい、説明すると、『塞の神』は余所から悪いモノが入ってくるのを食い止める、立ち塞がる神様で、岩そのものや石作りの像などを御神体としていて、村外れにあるお地蔵様や辻のお地蔵様はだけではなく『塞の神』としての役割もしているよ」


 難しい話になってしまうがね、と長老は言った。

 

「この家のお地蔵さんもですか?」


「いや、この家のお地蔵様は本来のお地蔵様としての意味が強いはずなんだがね……」


 別に今は良いか、と長老は言った。


「さて、もう寝よう。もう夜が明けてしまうよ」


 忍は長老にそう言われココアを飲み干し、長老が飲み干したコップも回収して長老と共に応接間を出た。

 忍はその後二つのコップを台所の流しで洗い、歯を磨く。




 忍はやっと本家から自分にあてがわれた部屋に戻った。

 やっと戻った自室は朝学校に出掛けた時の状態のままで、カーテンの閉まってない窓から夜明けの日が差し込む。

 忍はカーテンを閉めようと窓の前に行き外の景色を見る。

 夜明けの空の雲とまだ眠る田舎風景を照らすどこか不安定な赤から紫の光が織り成すグラデーションは非日常的であり、窓から原風景を見た忍の目から再び一筋の涙が零れた。

 そして、これから寝るためにカーテンを閉めた時、忍は無事に次の日に迎えられたことを、日常に戻る一歩を踏み出したことを認識したのだった。


 

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