第57話 ほのかです。
(羽田空港 第3ターミナル)
「あーあ、ナギいっちまったなぁ……」
「ナギさん、英語できるの? 大丈夫なの?」
「ん。いや、だってあいつの研修場所、ハワイだからね。英語なんていらんよ」
わたしは、くずさんをまだ許していない。
ちょっと怒っている。
だって、事あるごとにナギさんの肩を持つのだ。
ナギさんが、まひるとの待ち合わせをすっぽかした時だって。
わたしはすぐに連絡して文句を言おうと思ったのに、くずさんは「そっとしておいてやれ」だって。
今回だって、研修場所がハワイと聞いて、無理矢理にナギ君を研修に押し込んだらしい。理由を聞いても「前世からの子弟関係」だとかなんとか……。
男の人って、本当にバカだよなって思う。
でも、そういうところが好きなのだけれど。
くずさんには、まだちゃんと伝えたことはない。
長所と短所は表裏一体ともいうものね。
今まで散々、女の子を振り回してきたんだし。
ちょっとくらい、わたしが振り回しても許されると思う。
ナギさんだってそうだ。
そんな知り合ったばかりの子なんて放っておいて、わたしの親友を優先すべきだった。
優しいと評価できるのかもしれないけれど、優柔不断なだけだよ。
そんなの。
……まひるが悲しむよ。みてられない。
くずさんがこっちを見つめている。
「なぁ、ほのか。そろそろいいだろ?」
「だーめ。学生のうちはそういうのダメっておじいちゃんの遺言なの」
本当は、おじいちゃんは元気いっぱいで健在なのだけれど、クズさんがしつこいから、死んじゃったことにしちゃった。
ごめん! おじいちゃん。
でも、もし、結婚することになったらどうしよう。
ん〜。
実は植物状態だったのだけれど、急に目覚めて「俺は異世界から帰ってきた」とか言ってるって。そんな設定で切り抜けられるかな?
ナギさんのお見送りも終わり、くずさんと別れた。
わたしはこれから、まひるの家に行く。
手遅れになる前に、少し、まひると話しておきたいことがあるんだ。
まひるの家につき、インターフォンを押す。
すると、数十秒おいてドアが開いた。
「どうしたの? ……ほのか」
まひるはひどい顔をしている。
髪はボサボサで、目の下にクマができている。
完全なるスッピンだ。
高校の時の黒縁メガネに、高校の体育のジャージ着てるし……。
くずさんは「ナギさんがひどい顔で可哀想だ」と言っていたけれど、こっちも負けてないと思う。
今日来た目的は一つ。
まひるの気持ちを確かめること。
まひるに気持ちが残っていないなら、今後、わたしは一切、手伝わないつもりだよ。
くずさんと喧嘩することになったとしても……だ。
わたしは、まひるに紙袋を渡す。
「これ、くずさんから預かってきたよ」
まひるは紙袋からパンダのぬいぐるみを出すと、抱きしめた。
そして、ポロポロと涙を流し始める。
……まだ、全然ふっきれてないね。
「グスッ……ズッ、あっ、ごめん。入って」
まひるの部屋に通してもらった。
ココアを出してもらって、飲みながら待つ。
すると、まひるが着替えてきた。
高校のジャージから、女の子っぽいジャージに……。
まひるもココアを持ってきた。
ナギさんには、まひるのことを色々伝えた。
であれば、まひるもナギさんのことを知るべきだろう。
「くずさんから聞いたんだけれど。ナギさん、今、海外に研修に行ってるよ」
(ガシャン)
まひるがカップを落とした。
比喩じゃなく、本当に。
あたりにココアが飛び散り、大騒ぎになった。
一緒に片付けが終わると、まひるはパンダを腕がめり込むほど抱きしめる。
まひるは……、明らかに動揺している。
「うん、研修が終わったら、一旦帰ってきて本格的に行くみたい」
「え……」
「行き先はアメリカらしいよ」
まひるは俯いてしまった。
「でも、ナギくん。あの日、来てくれなかったし、……もうわたしのこと要らないんじゃ」
はぁ……、メンタルも高校に逆戻りか。
わたしは続ける。
「あと、これもくずさんから聞いたんだけれど。まひるが待ちぼうけになった日。ナギさんは人助けに行ったみたい」
「えっ。わたし、黒板にあんなこと書いちゃった……」
わたしはカップをテーブルに置いた。
「わたしにできるのはここまで。あとは自分で決めて」
それから、最近、まひるが学校を休みがちだったので、配布物やノートを渡した。まだ少し時間があるので、雑談をする。
そういえば、まひるって初恋もナギさんなのかな?
まひるを見ると、少しは落ち着いたようで、時々、話に口角を上げている。
大丈夫そうかな?
思い切って聞いてみた。
「そういえば、まひるの初恋っていつなの?」
もし、ナギさんだったら、また会話が止まっちゃうかな。すると、意外にも、まひるは普通に答えた。
「うん。保育園の頃。大人のおじさんが子猫をいじめてたの。わたしは『可哀想だからやめて』って言った。そうしたら、おじさんすごく怒って。わたしの髪を持って振り回して……。すごく恐かった」
なんだか、すごい話だよ。
普通に傷害事件じゃ。
とても幼児の体験とは思えない。
まひるは続ける。
すごく遠くを見て、なぜか幸せそうな顔をしている。
「そうしたらね。同い年くらいの男の子が、わたしをおじさんから引き剥がしてくれてね。『やめろっ』って守ってくれたの」
「それってもしかして……」
「うん。子供の頃のナギくん。保育園は違うところだったから、ナギくんは覚えてないと思う」
まひるは急に俯いてしまった。
そして消え入るような声で呟いた。
「でもね。わたしは助けてもらったのに、ナギくんにあんな酷いことしちゃった」
両手で顔を覆って泣き出してしまった。
そうか。まひるの罪悪感の根源はこれだったんだ。
わたしは、少し迷ったが。
まひるに話しかけた。
どうするかは、本人に考えて欲しかったのだけれど。
友達だから。
「まひる、もう一度だけ連絡してみたら? 彼がアメリカ行ったら、これきりになっちゃうよ。あんたそれでいいの?」
あっ。そういえば、これもあったんだ。
わたしは、まひるに差し入れの小袋を渡した。
「まひる。これ差し入れ。どうせまともに食べてないんでしょ。これ、実家から送られてきたんだ。夏なのに珍しくない?」
まひるは、小袋からみかんを取り出し、大切そうに抱きしめた。
「みかん……、はじめて会った時、周りには、みかんが散らばってて。ナギくんは、あの時も人助けしてた。なつかしいな」
みかんに思い出でもあるのかな。
わたしは、まひるにちゃんとご飯も食べるように注意して、立ち上がった。
そして、今、わたしは帰りの電車に揺られている。あっ、くずさんからメッセージがきた。
「ほのか。自分は中立だとかなんとか言ったって、背中を押してやったんだろ? 俺はそういうほのかのこと好きだよ」
わたしはそっと目を閉じる。
『わたしだって同じ気持ちだよ』
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