第56話 ほのかです。


 (羽田空港 第3ターミナル)

 


 「あーあ、ナギいっちまったなぁ……」


 九頭くずさんが、空を見上げて浸っている。

 

 「ナギさん、英語できるの? 大丈夫なの?」


 「ん。いや、だってあいつの研修場所、ハワイだからね。英語なんていらんよ」


 わたしは、くずさんをまだ許していない。


 ちょっと怒っている。

 だって、事あるごとにナギさんの肩を持つのだ。


 ナギさんが、まひるとの待ち合わせをすっぽかした時だって。

 わたしはすぐに連絡して文句を言おうと思ったのに、くずさんは「そっとしておいてやれ」だって。


 今回だって、研修場所がハワイと聞いて、無理矢理にナギ君を研修に押し込んだらしい。理由を聞いても「前世からの子弟関係」だとかなんとか……。

 

 男の人って、本当にバカだよなって思う。


 でも、そういうところが好きなのだけれど。

 くずさんには、まだちゃんと伝えたことはない。


 長所と短所は表裏一体ともいうものね。


 今まで散々、女の子を振り回してきたんだし。

 ちょっとくらい、わたしが振り回しても許されると思う。


 

 ナギさんだってそうだ。

 そんな知り合ったばかりの子なんて放っておいて、わたしの親友を優先すべきだった。

 

 優しいと評価できるのかもしれないけれど、優柔不断なだけだよ。


 そんなの。


 ……まひるが悲しむよ。みてられない。

 

 

 くずさんがこっちを見つめている。


 「なぁ、ほのか。そろそろいいだろ?」


 「だーめ。学生のうちはそういうのダメっておじいちゃんの遺言なの」


 本当は、おじいちゃんは元気いっぱいで健在なのだけれど、クズさんがしつこいから、死んじゃったことにしちゃった。


 ごめん! おじいちゃん。


 でも、もし、結婚することになったらどうしよう。


 ん〜。

 実は植物状態だったのだけれど、急に目覚めて「俺は異世界から帰ってきた」とか言ってるって。そんな設定で切り抜けられるかな?



 ナギさんのお見送りも終わり、くずさんと別れた。


 わたしはこれから、まひるの家に行く。


 手遅れになる前に、少し、まひると話しておきたいことがあるんだ。



 まひるの家につき、インターフォンを押す。

 すると、数十秒おいてドアが開いた。


 「どうしたの? ……ほのか」

 

 まひるはひどい顔をしている。

 髪はボサボサで、目の下にクマができている。

 完全なるスッピンだ。


 高校の時の黒縁メガネに、高校の体育のジャージ着てるし……。

 

 くずさんは「ナギさんがひどい顔で可哀想だ」と言っていたけれど、こっちも負けてないと思う。

 


 今日来た目的は一つ。

 まひるの気持ちを確かめること。


 まひるに気持ちが残っていないなら、今後、わたしは一切、手伝わないつもりだよ。


 くずさんと喧嘩することになったとしても……だ。


 わたしは、まひるに紙袋を渡す。

 「これ、くずさんから預かってきたよ」


 まひるは紙袋からパンダのぬいぐるみを出すと、抱きしめた。


 そして、ポロポロと涙を流し始める。


 ……まだ、全然ふっきれてないね。


 「グスッ……ズッ、あっ、ごめん。入って」

 

 まひるの部屋に通してもらった。

 ココアを出してもらって、飲みながら待つ。


 すると、まひるが着替えてきた。

 高校のジャージから、女の子っぽいジャージに……。


 まひるもココアを持ってきた。


 ナギさんには、まひるのことを色々伝えた。

 であれば、まひるもナギさんのことを知るべきだろう。


 「くずさんから聞いたんだけれど。ナギさん、今、海外に研修に行ってるよ」


 

 (ガシャン)


 まひるがカップを落とした。

 比喩じゃなく、本当に。


 あたりにココアが飛び散り、大騒ぎになった。

 一緒に片付けが終わると、まひるはパンダを腕がめり込むほど抱きしめる。


 まひるは……、明らかに動揺している。


 「うん、研修が終わったら、一旦帰ってきて本格的に行くみたい」


 「え……」


 「行き先はアメリカらしいよ」


 まひるは俯いてしまった。


 「でも、ナギくん。あの日、来てくれなかったし、……もうわたしのこと要らないんじゃ」

 

 はぁ……、メンタルも高校に逆戻りか。

 わたしは続ける。


 「あと、これもくずさんから聞いたんだけれど。まひるが待ちぼうけになった日。ナギさんは人助けに行ったみたい」


 「えっ。わたし、黒板にあんなこと書いちゃった……」


 わたしはカップをテーブルに置いた。


 「わたしにできるのはここまで。あとは自分で決めて」

 

 

 それから、最近、まひるが学校を休みがちだったので、配布物やノートを渡した。まだ少し時間があるので、雑談をする。


 そういえば、まひるって初恋もナギさんなのかな?


 まひるを見ると、少しは落ち着いたようで、時々、話に口角を上げている。


 大丈夫そうかな? 

 思い切って聞いてみた。


 「そういえば、まひるの初恋っていつなの?」


 もし、ナギさんだったら、また会話が止まっちゃうかな。すると、意外にも、まひるは普通に答えた。


 「うん。保育園の頃。大人のおじさんが子猫をいじめてたの。わたしは『可哀想だからやめて』って言った。そうしたら、おじさんすごく怒って。わたしの髪を持って振り回して……。すごく恐かった」


 なんだか、すごい話だよ。

 普通に傷害事件じゃ。

 とても幼児の体験とは思えない。


 まひるは続ける。

 すごく遠くを見て、なぜか幸せそうな顔をしている。


 「そうしたらね。同い年くらいの男の子が、わたしをおじさんから引き剥がしてくれてね。『やめろっ』って守ってくれたの」


 「それってもしかして……」


 「うん。子供の頃のナギくん。保育園は違うところだったから、ナギくんは覚えてないと思う」


 まひるは急に俯いてしまった。

 そして消え入るような声で呟いた。


 「でもね。わたしは助けてもらったのに、ナギくんにあんな酷いことしちゃった」


 両手で顔を覆って泣き出してしまった。

 そうか。まひるの罪悪感の根源はこれだったんだ。


 わたしは、少し迷ったが。

 まひるに話しかけた。


 どうするかは、本人に考えて欲しかったのだけれど。


 友達だから。


 「まひる、もう一度だけ連絡してみたら? 彼がアメリカ行ったら、これきりになっちゃうよ。あんたそれでいいの?」



 あっ。そういえば、これもあったんだ。

 わたしは、まひるに差し入れの小袋を渡した。


 「まひる。これ差し入れ。どうせまともに食べてないんでしょ。これ、実家から送られてきたんだ。夏なのに珍しくない?」


 まひるは、小袋からみかんを取り出し、大切そうに抱きしめた。


 「みかん……、はじめて会った時、周りには、みかんが散らばってて。ナギくんは、あの時も人助けしてた。なつかしいな」


 みかんに思い出でもあるのかな。


 わたしは、まひるにちゃんとご飯も食べるように注意して、立ち上がった。



 そして、今、わたしは帰りの電車に揺られている。あっ、くずさんからメッセージがきた。


 「ほのか。自分は中立だとかなんとか言ったって、背中を押してやったんだろ? 俺はそういうほのかのこと好きだよ」


 わたしはそっと目を閉じる。


 『わたしだって同じ気持ちだよ』

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