第29話 りべんじぽるの。

 

 『なんで、まひるがあんな男と?』


 疑問で頭の中がいっぱいになった。

 だけれど、今は、そんなことを考えている場合ではない。


 

 俺は立ち上がり、まひるの方に近づく。

 すると、男は唸るように話しかけてきた。


 「あ? おまえ誰だよ」


 俺はその恫喝をきいて安堵する。

 よかった。理屈っぽいタイプじゃないようだ。


 俺は不動産会社に勤めているので、怒号や罵声には慣れている。社長も部長も、ここが昭和と間違えているんじゃないかと思うくらい酷い。


 この前なんて、社長に胸ぐら掴まれて、電卓なげつけられたぞ。

 あの人、一般人とは思えない。


 だから、これくらいでビビることもないし、この手の手合いには免疫があるのだ。



 おれが近づくと、まひるが駆け寄ってくる。

 そして、おれを庇うように、男の前に立ちはだかった。


 「稲田さん。前に話した彼です。ね? ホントでしょ?」

 

 稲田なるこの男は、何をしたいんだ?

 俺の存在の有無に関わらず、嫌われてるんだから、普通に無理だろ。


 稲田はニヤニヤしながら、まひるに近づこうとする。


 「他人行儀だなー。また、名前で呼んでくれよ。前みたいに『ナギくん』ってさ」


 その瞬間、まひるの動きが止まった。

 敵を前にしているのに、恐る恐る俺の方を振り返る。


 その顔は、なんとも形容し難い、絶望感に打ちひしがれたような顔だった。


 「なぎくん、ごめんなさい……」


 『俺と同じ名前の男。そうか、まひるがコイツを受け入れたキッカケは、きっと……』


 ほのかから聞いた話では、この男は、最初こそ優しかったが、まひるをモノにしてから態度を豹変させたらしい。



 俺は、心中、穏やかなハズがなかった。

 まひるがあの男を『なぎくん』と呼んでいたか思うと。

 

 嫉妬と、怒りと。激情と言われるおおよその感情が、ごちゃ混ぜにかって頭の中でのたうち回る。


 だけれど、あの苦しそうな顔を見て、まだなお、まひるを責める気にはなれなかった。


 俺は、口をゆるく結び、まひるに見えるように大丈夫という表情を作ると、稲田に話しかける。


 「なぁ、あんた。俺の彼女に手を出さないでくれないか?」


 すると、稲田は露骨に不機嫌そうな顔になった。


 「はぁ? んな訳ないだろ。 こいつはオレにゾッコンなんだぜ?」


 こいつは、現実を認識できないアホか?

 それとも、まひると付き合っていた過去から飛んできたタイムトラベラーなんだろうか。


 そうか。

 タイムトラベラーだからゾッコン(死語)なのか。



 おれは、この男の物分かりの悪さに、段々とイラついてきている。

 

 「わかった。どーでもいいから、もうまひるに付きまとうなよ」

 

 

 すると、稲田は品のない笑みを浮かべて、さらに俺を見下すような体勢になる。


 「は? こっちには色々と写真があんだよ」


 写真?

 リベンジポルノか?

 ほんとにクソだな。こいつ。

 


 稲田は俺に耳打ちしてきた。

 敢えて、まひるに聞こえるくらいの声量で。



 「こいつ、すげーだらしない顔して◯◯◯開くんだぜ? よだれ垂らしちゃってさ。 見せてやろーか? こんな淫乱が彼女じゃ、幻滅しちゃうかもだけどな(笑)」

 


 まひる。



 振り返ると、まひるは口を両手で覆っていた。

 その瞳には輝きがなく、消えいって死んでしまいそうな顔をしていた。

 

 

 その時、おれの頭の中で、何かがプツンと切れたのが分かった。


 目の前のこの男を殺してやりたいと思った。


 俺は激情のまま、左手で稲田の胸ぐらを掴む。

 すると、殴りかかろうとする俺の拳に、まひるがしがみついた。


 「やめて!! なぎくん。このひとには、貴方がそんなことをする価値ない」


 まひるは泣いていた。


 くそ!

 くそっ!!


 俺は何をやってるんだ。

 コイツを殴ったところで、まひるの望む解決にはならない。

 

 俺は深く息を吐いた。


 そして、さっきの激情を冷酷に変えて、声に込めた。

 稲田の耳元で可能な限り低い声を出す。


 「……なめたこと言ってんじゃねーぞ。スネかじりのクソガキが」


 胸ぐらを掴む手に、さらに力を入れる。

 そして、稲田に圧をかけた。


 「なぁ、お前。あたまいいんだろ? 性的姿態等撮影罪ってしらねーのか? 人生おわらせてやろーか?」


 そういって、稲田にスマホのボイスレコーダーの録音画面を見せる。


 

 すると、稲田の顔色が変わった。


 念を入れとくか。

 俺は続けた。


 「……こっちは、まひるに協力させれば、強姦にもできるんだぞ?」


 稲田の肩を組み、俺は耳元で話した。


 「これ、消すつもりないからな。お前は一生、まひるに話しかけんな」



 稲田はたじろぎ狼狽しながらも、悪態をついて立ち去ろうとする。


 「三流大学のカスどもが。なに偉そうに……」



 正直、俺にはもはや大学のことなんてどうでもよかった。それよりも、まひるが心配だ。


 案の定、まひるは、うずくまって涙も拭わずに泣いていた。


 おれの顔を見ると、まひるは「ごめんなさい」と、ただ繰り返す。


 生真面目なこいつのことだ。

 どうせ『自分は不潔だ』とでも思っているのだろう。


 そもそも、まひるは何も悪くないのに、なんで謝らないといけないんだ。



 俺はまひるを立たせ、抱きしめる。

 ハンカチのことなど忘れて、手の平でまひるの涙を拭った。


 だけれど、まひるを慰められる気の利いた言葉なんか思いつかない。

 だから、思ったままを伝えることしかできなかった。

 


 「ばかだな。困ってるなら、もっと早く言えよ。お前のことは、俺が必ず守ってやるから」



 すると、まひるは何度も頷いて、涙でグシュグシュの顔を俺に押し付けるように抱きついてきた。


 

 それからの事は、よく覚えていない。

 先輩とほのかと別れて、まひると家に帰ってきた。


 まひるには、「学祭の打ち上げとかあるなら行った方がいい」と言ったんだが、今日は一緒に居たいと押し切られてしまった。


 そんなこんなで、今はウチの小さなテーブルの前で横になり、まひるが料理する姿を眺めている。


 『あ、そういや、先輩にお礼言わないとな』


 稲田の発言を録音できたのは先輩のアドバイスのおかげだ。

 それに、あの後、稲田に話をつけて写真を全て消去させてくれたらしい。



 そんなことを考えていると、まひるが俺の方に駆け寄ってきた。

 そして、俺に猫のようにすり寄り、甘えるような目で俺を見てくる。


 「ね、ご主人様。ご飯にする? お風呂にする? ワタシにする?」


 『またご主人様に逆戻りか……』


 まひるが昼間のことを引きずってるのが、痛いほど伝わってくる。



 俺は頭を掻きながらこう答えた。


 「今日はワタシでお願いしようかな?」


 すると、まひるは一瞬、驚いた顔をして。

 すぐに、その何倍も嬉しそうな顔をして、俺に抱きついてくる。


 そして、はにかむように微笑むと小声で言った。


 「初オーダーありがとうございます」


 

 言葉でしか伝わらないことがあるのは、俺も分かっている。

 だけれど、今日は違う伝え方をしたかった。



 だから、今日の選択肢は「ワタシ」なのだ。


 

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