部屋のなか

@matakahashi

部屋のなか

目が覚めると、体が、天井の方を向いていた。白い天井、五畳半の広さには、少し大きすぎるライト。天井は、あれは何というんだろう、モルタルと言うんだろうか。モルタル、と頭に浮かんだので、モルタルと書いてみたけど、モルタルがどういう素材なのか、僕はよく知らない。モルタルは、内壁に使うようなものなんだろうか。セメント、とは違うんだろうか。もしかして、この問いかけ自体が、全く要領を得ない、とんちんかんな問いかもしれない。わからない。わからないことばかりで疲れる。


締め切ったカーテンを開けてみる。遮光カーテンだけ10cmくらい開けると、外から日差しが入ってくる。もうすぐ夏が来るのがわかる。窓を開ける。3cmくらい。経験上、それより開けると蚊とかいろんな虫が部屋のなかに入ってきてしまう。僕の経験だけに裏打ちされた知恵。この部屋で生きるためだけの知恵。


外の風が、カーテンの足元から入ってくる。部屋の湿気が少し和らぐような気がする。冷蔵庫の中から、寝る前にティーバッグを入れて作っておいたルイボスティーのボトルを出し、それをイケアで数千円で買ったデスクの上に置く。脚が少しぐらつく。仕方ない。百均で買ったグラスに注ぐ。薄い、赤い、ルイボスティーがグラスの上まで上がってきて、上に2cmくらいの余白を残して、注ぐのをやめる。一気に飲み干す。体中に、ルイボスティーが流れていく。


ルイボスティーのいいところは、カフェインが入っていないところ。寝る前でも安心して飲める。緑茶だと、寝られなくなるかもしれないと思って、不安で、寝られなくなる時がある。たまに。緑茶のカフェインのせいなのか、僕が心配性なせいなのか、はっきりとはわからないけど、いずれにしてもノンカフェインならそんなことにはならないことだけは、はっきりとわかる。はっきりとわかるのだから、その通りにすればいい。それだけのこと。


窓から、子どもたちが学校に行く姿が見える。そういう時間に起きられたことに、安心する。通学する子どもたちを見ていると、心が本当に洗われる。可能なら、僕も横断歩道の横で、旗を振りたい。子どもたちを見送りたい。いってらっしゃい、と声をかけたい。子どもたちに懐かれたい。みんなから懐かれたい。ついでにお散歩しているおじいちゃん、おばあちゃん、犬からも懐かれたい。街で人気の旗振りお兄さんになりたい。僕には子どもがいないから、きっと駄目だ。叶わない夢。僕は、窓から子どもたちが学校に行く姿を眺めるだけの、お兄さん。子どもたちから見たら、おじさん、かもしれない。「タンクトップのおじさんが、こっちをじろじろ見ながら、赤い飲み物を飲んでいました」


僕が、小学校に上がったころまで、実家で飼っていた白い犬がいた。そいつは、利根川を流れて死んだ。僕よりも、10くらい年上だったその犬は、死ぬ直前にはもう目も耳もろくに働かなくなっていた。僕は、あの犬のことが怖かった。とにかく吠える犬だった。僕のことを後入りのガキだと思って、下に見ていたんだろう。ある日、父と散歩に行ったその犬は、家のすぐ裏にあった利根川の土手から流れて死んだ。浅瀬で水浴びをするのがいつもの習慣だったらしい。僕は犬の散歩についていったことがないので、はっきりとしたことはわからない。その日はなぜか、深いところまで入ってしまったらしい。僕たち家族は、犬は死期を悟り、自ら川に身を投げ、死んだんだと理解した。父は、川で何をしていたんだろう。ただの父の不注意だったんじゃないだろうか。どうせタバコでも吸っていたんだろう。じゃなきゃ何で犬が川を流れるんだ。


まあいいや。


わからないことが多すぎるんだよ、とにかく。頭がこんがらがる。血の巡りが悪いからだろうか。本を読む。カフカの城、長くて読めない。トーマス・マン魔の山、長くて読めない。長くて読めない本ばっかりだ。若いころから、カフカを愛読する人間になりたかった。何で?高校生の時、死んで10年だか20年だか経ってない人の本なんか読んじゃダメだと言われて、真に受けた僕は、カフカだのトルストイだの、夏目漱石だの三島由紀夫だの、そういう古典的名作みたいなものばかり読まなくちゃと思って、頭がおかしくなっていた。そのせいで、僕は数少ない友達を失った。あほくさい。すべてが、あほくさい。僕は身長のわりに、足がでかい。馬鹿の大足。それが僕。


僕の人生は、どこに行ってしまったんだろう。返ってこない。どこにもない。見つからない。消えてなくなってしまった人生。利根川を流れてしまったんだろうか。太平洋に向かって、流れた人生。きっと、利根川を辿って、自力で太平洋まで出るのは、簡単じゃないんだろうな。途中でひっかかちゃうと思う、何かに。何か、木の枝みたいなものとか、岩場とか、そういうものにきっとひっかかっちゃうと思う。大変だ。きっとすっごい苦しいと思う。どこか、流れているうちに、いつか、はって楽になって、そのまま死んでいくんだろうか。犬は、どうだったんだろう。どうやって死んだんだろう。太平洋まで、流れられてたらいいなあ。僕の人生は、きっとどこかに引っかかってるんだろうな。草がごちゃごちゃってしてるとこにでも、絡まってるんだろう、きっと。利根川は幅が広いから。


部屋の前には、農業用水路があって、そこを起点にして、雑木が部屋のベランダまで迫ってきている。夏が近くなると、蚊やらなんやらが大量発生する。水路は、管理会社の管轄じゃなくて、市かなんかの、つまり行政の管轄だから、雑木の処理もそんなに簡単じゃないんだと思う。世の中には、わからないこともたくさんあるし、簡単じゃないこともたくさんある。利根川を太平洋まで下りきることは、すごく難しいし、農業用水路の雑木を刈り取るのも、なかなかに難しい。難しいことが多くて、自転車で追い越していった人に向かって、怒鳴り散らしたくなる。わからないから、怒鳴るんだ。怒鳴る人は、頭が混乱しているから、湯船にゆっくり浸かったほうがいい。昔、父は、医者で、カルシウムが不足しているから、キレやすいんだと言われたそうだ。湯船に浸かって、牛乳飲んだら、きっと怒鳴りたくなくなるね。


上の階の人が、歩いている音が聞こえる。あのクソガキ。仕方ない。仕方ない。子どもには何を言っても伝わらないから。話が通じる人は、最初から下の階の人、気遣えるから。くそ、腹が立つ。難しい。難しい。生きるのは、難しい。


傘を振り回したい。道のど真ん中で、思い切り、ビニール傘を振り回して、そのまま水路の中に飛び込むんだ、警察からの追跡を逃れるために。僕は、水路を泳ぐ。泳ぐのだけは速いから、スイミングスクール通ってたから。どしゃ降りの雨の中、水路をたくさん泳いで、警察から逃げて、最後、僕は、泣くんだ。田んぼの中で。田んぼの中で、泥まみれになっちゃって、泣いて、泣いて、もう立ち上がれないくらいに大泣きして、そのまま田んぼの中で、眠りたい。パトカーのサイレンを聞きながら、捕まえられるものなら捕まえてみろと、体を横にした状態で、叫びたい。一晩中捜索した警察の目を逃れて、そのまま、僕は、田んぼの稲になるんだ。

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