第7話 貸切状態の映画館

 久しぶりに会ったあいつは少し、いや大分ふくよかになっていた。学生時代はむしろやせぎすだったと言うのに、年月というものはむなしい。私だって、他人のことをとやかく言える方ではないだろうけれども。

 それでもぽちゃりと丸くなっても、顔はほとんど見知ったままで、一目見てあいつであることがわかったからそこは安心した。


「お腹丸くなったねえ」

「痩せなきゃとは思ってるんだけどね」


 あいつはそう言って、はにかむようにして笑った。


 土曜日の昼間だと言うのに観に行った映画の観客は私たちを除いて年配の方が三人くらいで、ほとんど貸切状態と言って良かった。


 だから上映を待つ間、黙っていてもお互いの飲み物を飲む音や、ポップコーンを掴む音が静かな劇場内に響く。

 これが好きな相手だったら、そういう一挙手一投足にドギマギしたりするものなのだろうか。

 残念ながら、やはり私の心は隣に座るあいつに対してそうは動かない。子供の頃には、恋愛映画を観て、いつか私にもああいう気持ちがわかるようになるんだろうか、なんて考えたりもしたけれど、そのいつかは私にはやってこなかった。


 映画は面白かった。贔屓にしている映画監督の新作で、その映像や物語の作劇には唸らされた。

 映画が終わると、あいつは私の肩を叩いて、映画館の入っている建物の地下にある喫茶店に案内してくれた。そこで珈琲を飲みながら二人でわいやわいやとさっきまで観ていた映画の感想を言い合った。


「やっぱり観てすぐに生で感想言えるのは良いね」


 私が言うと、あいつも頷いた。


「言いたくなるもんね。良いとこも悪いとこも全部」

「悪いとこある時の方が言いたくなるかな」

「確かに」


 太ったことを指摘した時と同じように、はにかむようにして笑う。元々ぼんやりとした顔をしているので、所謂あまり男らしい顔ではないから、まるで女の子が笑って見えるような顔をするのだが、少しばかり顔が丸くなってもそれは変わらないようだった。


「アキちゃん」

「ん?」


 急に名前を呼ばれて、少しビビった。今更だが、こいつは私の名前をちゃんと覚えてるんだな、と思う。今はどうか知らないけど、ちゃんと、私のことを好きだったことを忘れなかったんだろうな、などと自分との違いを考えた。


「アキちゃんは今彼氏とかいるの?」

「お、聞いちゃう?」


 そりゃあ聞くだろうな、と私は自分のことだと言うのに、王道の反応が面白くて鼻で笑ってしまう。

 さてどうしたものか。これが職場の相手だったり、逆にそんなに関わらないだろう相手だったら、今はいないんですよねーなんて濁すものだけれど、何せ相手はあいつである。

 学生時代に一度は付き合って、私という生き物のことをそれなりに知っていて、そんでこれからも断続的にすら付き合っていくかわからない。

 因みにセフレにこれを言われたら、お会計分のお金を置いてバイバイするところ。


「いないよ。って言うか、彼氏作らないことにしたんだよね」


 今目の前にいるこいつは、そのどちらでもない。だから、私は出来る限り正直に話すことを選んだ。


「それは男を好きになれないから?」


 しっかりとは覚えていないけれど、こいつにはそのことを話していたようで、それもまたこいつはちゃんと覚えているみたいだった。


「そう。でもセックス自体はしたいから、そういう相手はね、作るんだけど」

「それは彼氏じゃないの?」

「違う。向こうにも、私は好きにならないよって言う。だからそれだけ」

「なるほど」

「それでずっとそんな関係だった奴がさ、なんか好きな人ができたとか言って、関係解消したのよ。だから私は正真正銘のフリーになって、そんであなたのDMに気づいちゃってさあ。面白半分、というか面白だけで返信した」

「ひどいなあ」


 そうは言っても、やっぱりはにかむようにして笑うこいつに、私もつられて笑った。


「そっちは? 何のつもりで私を誘ったの?」

「何のつもりって……。気になっただけだよ、元気かなって」

「寄り戻せないかとか思わなかった?」

「そりゃちょっとは」

「言っとくけど、私にはそのつもり全然ないからね。あ、ヤりたいって言うならちょっと考える」

「流石にそれは。うーん。こっちから言うのは憚られるじゃん」

「正常な感性をお持ちで安心した」

「相変わらずだよね、アキちゃんは」


 こんなにあけすけと話していても、声のトーンを変えることもなく、こいつはまた笑ってちょうど店員さんが運んできたケーキを切って頬張ったりする。


「アキちゃんこの後予定は?」

「ない。明日も休みだし」

「ウチ来ない?」

「……話聞いてた?」

「いや、だからそう言うんじゃなくて」

 怪訝に奴を睨んだ私を見て、今度は口を開けて笑っていた。


「夜までには帰すよ。なんなら、アキちゃん家でも良いけど、その場合ちょっとスーパー寄っても良い?」

「ん、いや」


 私は奴に見せつけるようにどっしりと腕を組む。そして少し考えてから、鼻息を鳴らした。


「いいよ、行く」

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