第4話 陰キャは女子と話してもコメディーにならない
翌日の放課後。
掃除当番という名のお勤めを終えた俺は、再びあの部室の前に立っていた。
……はぁ、嫌だなぁ。何が悲しくて、行きたくもない部活のために貴重な時間を浪費しなきゃならないのよ。うん、やっぱり帰ろ──
「来てくださったんですね!!!」
俺が帰宅への決意を固めると同時に、バーンっと開く部室の扉。そこにはもちろん、瞳をキラッキラに耀かせた新名さんがいた。
「いや……えっと……あのう」
「どうぞどうぞ。入ってください」
「う、うん」
コミュ障は押しに弱い。なぜならまともに会話ができないから。つまりは相手と目が合った瞬間負けである。したがって、あっさりと俺は部室に入れられてしまった。ぴえん。
机には『ツァラトゥストラはかく語りき』『自由論』『死に至る病』etc、見るからに難しい本が積まれている。たぶん新名さんが読んでいたのだろう。
そしてその横で机に突っ伏し、気持ち良さそうにお昼寝している暁月さん。はて、この人は何をしに部活来てるのか──などと考えていると、暁月さんはむくりと起き上がった。
「あ! 相田せんぱいだ〜。おつかれさまで〜す」
「お、おつかれー」
「せんぱ〜い。ほんとにおつかれたのでジュース買ってきてくださいよ~」
せんぱ〜い、じゃないよ! ジュースくらい自分で買え。というかさっきまで寝てただろ。いったい何に疲れたんだよ。
「なんで俺がそんなことを」
「かわいい後輩の頼みじゃないですか〜」
「いや自分で言うな」
すると暁月奏は、瞳をウルウルさせ、唇に指をあてながら、甘えた声で一言。
「──だめ、ですか……?」
ふぬ、なかなかのあざとさ。すごい演技力だ。俺のような強い意志の持ち主でなければ、間違いなく落とされていただろう。この人、演劇部の方が向いているのでは?
「だめです」
「ちぇっ。けち〜」
もちろん俺はこんなものに揺らがない。……別にジュースを買う金が惜しいわけじゃないよ? けれどそう簡単に、彼女の言いなりになるわけにはいかないのだ。
そう。彼女のような一軍女子は、我ら陰キャ男子の扱いが非常にうまい。彼女たちは時に甘え、時に好意をちらつかせ、時にそっけない態度をとることで、我らの心を弄ぶ。その過程で「あれ、こんなに遠慮なく絡んで来るってことは、ひょっとして俺だけに心を開いてる?」と錯覚しそうになることもあるだろう。しかしそれはありえない。彼女たちは好きな男を雑に扱わない。パシリはどこまでもパシリなのだ。
思えば、俺が告白した沙織ちゃんもそんな女だった。勘違いするバカな男も悪いが、狙ってやってる女はもっと悪い。絶滅しろ。
「良ければ私が買ってきましょうか……?」
「いえ! 智愛様は読書していてください。お気遣いありがとうございます♡」
な〜にが『お気遣いありがとうございます♡』、だよ。新名さんにばかり媚売りやがって。俺のことも少しは敬いやがれ。一応部活のせんぱ──あれ、そもそもこの部の活動ってなんだ……?
「ねぇ新名さん」
「はい。なんでしょうか」
「哲学研究部ってさ、普段何してるの? 読書?」
「そうですね。本はもちろん読みますが、他にも、たまに人生相談をしにくる人がいたり──」
「しっつれーいしまーす」
……げっ。
その耳に残る甘ったるい声に、俺はものすごーく聞き覚えがあった。
哲学研究部の扉を開けたのは、俺が最も絡みたくない女子の一人。
「あ、沙織せんぱいだ〜。どうしたんですか〜?」
「んっとね、少し哲研に相談したいことがあって……あれ。なんで翼くんがいるのー?」
相田翼の存在を認知した彼女が、一瞬嫌な顔を見せたのを、俺はもちろん見逃さなかった。陰キャは悪意に敏感なのである。
「俺も昨日からここの部員なんだよ」
嫌々ながらね。
「あっ、そうなんだ……ま、いいか」
「どうぞお座りください、片嶋さん」
「あたしお茶入れてきまーす」
こうして
「それで、今日はどんなご相談ですか?」
「実はうちー、気になってるというかー、噂になっているというかー、まあ実質付き合ってる?みたいな友だちがいるんだけどー」
語尾と一人称腹立つなぁ。実質ってなんだよ。こんな女好きになる男いるの? いたわ。
「あいつ全然告白してこないの! うち、めっちゃオッケーのサイン出してるのに。こういうの草食系?って言うんだっけ。ほんと信じらんない!」
興奮した悪女がドンッと机を叩いたが、俺はそのノーリスクハイリターン精神が信じられんよ。なんで女が告白される前提なんだよ。付き合いたいなら自分がリスク負えよ。男に責任転嫁するな。俺が勘違いして告白した時は、「はっ? そんな目で見たことないわ。キモっ」って辛辣な言葉浴びせたくせに。おかげで
「あ〜、それは彼氏が悪いですね〜」
タツノオトシゴのマグカップを悪女の前に置いた暁月奏の第一声は、彼氏の愚痴を聞かされた男友達のそれだった。てかまだ付き合ってなくね。
「……うちが狙った男はいつもすぐ落ちるのに」
彼女がこぼした本音に、俺は言いようもない嫌悪を覚えた。彼女の気まぐれに振り回された不幸な陰キャは、俺の他にも多数いるのだろう。
新名さんは鮭のマグカップに入った紅茶を一口飲むと、優しい声色で悪女に語り出した。
「参考になるかはわかりませんが……キルケゴールの著作に『愛の
「きるけ、ごおる?」
悪女が怪訝な顔をしているが、こればかりは俺も同じ感想だ。愛の技って──ラブアローシュート的な?
「キルケゴールはこう語ります。『欺瞞者は愛する者から彼の愛を欺き取ろうとする。しかし、それは不可能である。なぜなら、真に愛するものは一片の愛の返しを要求することも絶対にしないし、ことこれに関してはゆるがぬ態度を保持しているからである』、と」
流れる沈黙。
場にいる全員の頭にハテナが浮かんでいた。
「──あんさ、うちあんまり難しいことわからないんだけど」
うん、うちもわかんない。欺瞞者がなんだって?
「これは私の想像ですが……沙織さんはとても魅力的な女性だからこそ、たくさんの人から、『愛の返し』を頂いてきたと思うんです」
「み、魅力的……!」
悪女が珍しく純粋に照れている。ちょっと可愛いと思ってしまうちょろすぎる自分を、俺は心のなかでぶん殴った。
「だから、きっといまは沙織さん自身の『愛』が問われてるのかなって。他の人の力を借りずに、自分の力で、人を愛せるかを」
まあたしかに。見返りを求めない愛は尊いよな。
けどなぁ……所詮は綺麗事じゃね?、と俺は思ってしまう。理由もなく誰かを愛するなんて、そらこそ信仰の
すると、ここまで黙って聞いていた暁月さんが口を挟んだ。
「沙織せ〜んぱい。その男って、田中先輩ですよね?」
「う、うん」
「それなら向こうからの告白は期待できないすよ」
「えっ……?」
「あたしの周りで有名ですもん、田中先輩。ナンパ師って。な〜んか、いろんな女の子と浅く付き合うのが好きみたいです。告白したら振られた娘、あたしの周りにも何人もいますよ」
暁月さんの情報を聞き、悪女はショックで固まってしまった。いや似た者同士やないかい! こうやって非モテを弄ぶ人間がいるから、世界から争いが消えないんだよ。
「……うち帰るわ」
それだけ言うと、悪女はそそくさと荷物をまとめて出ていってしまった。少し可哀想。
「智愛様、お疲れ様です♡」
「ありがとうございます。お役に立てたのでしょうか……?」
「立ってると思いますよ~」
なるほどなぁ。お悩み相談の機能を果たしているかは怪しいが、理想的な回答と現実的な回答、案外良いタッグかもしれないな。俺は絶対に相談したくないけど。
「それにしても愚かな女もいたもんですね〜。告白されないくらいでうだうだ言って。その駆け引きを楽しむのが大人なのに」
うわっ、あんなに慕ってる風だったのに、裏ではちゃんと悪口言うんだ。
やっぱり現実の女は怖いや。
参考文献
・キルケゴール,武藤一雄・芦津丈夫訳,1995『愛のわざ(第2部)』「キルケゴール著作集16」(p60)白水社
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