第5話 ラブコメするにはヒロインが成熟しすぎている
やはりこの部活にいても碌なことはない。この短い期間に改めて、俺は確信していた。
だってさぁ。すごいペースで黒歴史が掘り起こされてくんだもん。まさか沙織ちゃんまで現れるなんて……俺はただ、平穏な陰キャライフを送りたいだけなのに。
「ねえ、新名さん」
「はい」
「なんで俺を部活に誘ったの?」
ずっと俺の心に浮かんでいた疑問。
客観的に見て、哲学研究部に俺が必要な理由は一つもない。この部活は新名さんと暁月さんとで十二分に完結しているもの。それなのに、なぜ新名さんはこの部活に俺を求めるのだろうか。
だが新名さんはその問いには答えず、代わりにある提案をした。
「相田さんに、読んでいただきたい本があるんです」
「俺に?」
「少し待っていてください」
そう言って、新名さんは懸命に腕を伸ばして巨大本棚の上の方にある本を掴むと、小さな身体で大事にそれを抱きかかえた。ちなみに、暁月さんは本を枕に昼寝を再開している。
「これは中学生の時、私が初めて読んだニーチェ作品なんです」
表紙には『道徳の系譜』というタイトル。また難しそうな……俺はたまたま名言集を読んでいただけで、別にニーチェの思い入れはないんだけどな。
「どんな本なの?」
「はい。ニーチェが道徳を批判するため、その恥ずべき起源を明らかにしようとした著作です」
ぬ、やっぱり難しい話が始まるじゃん。俺の脳が理解を拒んでいる。……でも新名さんは中学生で読んでるのか。これが格の違い。
「この本が私に教えてくれたんです。自分の生き方は自分で決めて良いんだって。他人の価値観に合わせなくていいんだって」
「へ、へぇ」
いや中学生で悟りすぎだろ! 何食べて育ったらその歳で生き方について考え出すんだよ。高校生にもなっていまだに、陰キャがどうこうボヤいてる俺が恥ずかしくなるからやめてくれ。
「だから、私の大好きを相田さんと共有できたら……嬉しいです」
──こんなの、ずるすぎるって。
この至近距離で、そんな可愛い上目遣い見せられたら、男がNOと言えるわけがない。俺が女でも落ちるわ。
「えっと……じゃあ今度読もうか──」
「ありがとうございます! ではこれ、お貸ししますね」
「う、うん……あっ」
その本を手渡された時、新名さんの右手が一瞬誰の左手に触れた。俺は顔が真っ赤になるのを悟られないよう、慌てて下を向いた。
「相田せ〜んぱい」
「うわっ」
今度は背後から肩をトンっと叩かれる。
「暁月さん。お、起きてたの?」
「うわって……失礼なせんぱいですね〜、まったく。ただ目をつぶって本に頭を乗せてただけですよ、あたしは」
「それを寝てたっていうんじや……」
「意識はあるので寝てませ〜ん」
「はぁ」
あれかな。電車で目を瞑ってるサラリーマンみたいな感じかな。あの人たちも目的地ついたらぱっと立ち上がるもんね。……いや、でもやっぱり暁月さんは寝てただろ。
「それより智愛様と話している時の先輩のにやけ顔……ちょっと気持ち悪いのでやめたほうがいいと思います。つーほーされますよ」
「うるさい」
本当にこの女は余計なことしか言わないな。しかも女子からのガチトーンの『気持ち悪い』はだいぶ心に来るし。それにボディータッチは肩でもドキドキするのでやめて欲しい。男の子は繊細なので。
「……そんなことよりあれ、消してくれたの?」
「もちろんですよ〜。あたし、約束は守る女ですから」
「なら良かったよ」
少しだけ安心だ。あんな黒歴史が拡散されたら二度と表を歩けなくなってしまう。
「でも意外だな〜。先輩って智愛様みたいな、真面目で優しい女性がタイプだと思いましたよ」
「いや俺は別に……」
「──あたしも、ワンチャンあるのかな」
儚げな表情で、暁月奏は呟いた。一瞬頭が真っ白になる。そんなことはあり得ないって、俺の理性はわかっているのに……ほんとここの部員たちは厄介すぎる。
「な、何言って……」
「ぷっ。冗談ですよ〜。はぁやっぱりおもしろいな〜、先輩は」
もしかしたら人によっては、これもハーレムラブコメに見えるのかもしれない。
けれどそれは偽りだ。
現実の陰キャには、ラブコメをする資格なんてない。女の言動には必ず裏がある。信じれば確実に裏切られる。
だけど──目に映る世界がすべて真実だったらいいのに。どうしても俺は、そう願ってしまうのだ。
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