第31話 二人の時間

「一条君。ここの問題間違ってますよ」

「マジ……?手応えあったんだけど……」

「ニアミスですね」


 今は、リビングのテーブルで夏休みの課題の最中だ。

 現在は十四時。

 お昼から始めたので、二時間が経過した。


「そろそろ休憩しましょうか」

「助かる〜……。脳が沸騰しそう……」

「フフッ大袈裟ですね。ココア淹れてきますね」

「サンキュ……」


 キッチンの戸棚から市販のココアと二人分のグラスを取り出す。

 アイスココアを作る時、私はほんの少し一手間を加えている。


 ボウルにココア、砂糖、お湯を加えペースト状になるまで混ぜる。

 そこに、牛乳を混ぜ入れ、氷を入れて冷やしておいたグラスに、こしながら淹れる。

 こうすることで、濃厚で後味が滑らかになる。

 一条君から大好評だったので、多少時間がかかっても一手間を加えるようにした。

 完成したアイスココアをリビングまで持っていくと、一条君は課題に取り組んでいた。


「あれ?休憩終わっちゃいましたか?」

「いいや、ココアきてから休憩しようかなって」

「なるほど。お待たせしました、どうぞ」

「待ってましたっ!いただきます!――――プハァ!天童の作るアイスココアって美味いよな!お店で出せるレベル」


 本当に美味しそうな顔をしながら半分ほど飲み干す。

 大袈裟な感想を伝えてくる所までがお約束になっていた。

 グラスを置き、大きく伸びをしながら――


「疲れてる時って癒しが欲しいよな〜」

「癒しですか?」

「そそ。リフレッシュっていうかさ」

「甘いものはリフレッシュに含まれませんか?」

「含まれるけど、見たり触ったりする癒しも欲しいなって」


 その瞬間、ハッとした。

 先日の女子会で、遥さんから色々教えてもらった情報が使える……!


「一条君」

「ん?なに?――――なんか、目怖いんだけど……」

「少し失礼しますね」


 右手を一条君の右側頭部に添え、ゆっくりと横に倒れるよう促す。

 一条君は特に抵抗することなく、ポスッと私の太ももに頭を乗せる。

 そう、膝枕だ。


「えっと……天童?これは……」

「ど……どうでしょうか?癒しになるでしょうか」

「…………なる。すっげーなる」


 私は手持ち無沙汰なので、一条君の髪の毛をサワサワと撫でる。

 サラサラと指通りの良い髪質で、ずっと触っていたくなるような触り心地だった。


「なんか……思ってたより良いなぁ」

「え?」

「いや、同じクラスの奴がさ『彼女にしてもらう膝枕が凄く気持ちいい』って言っててさ。今ならわかる。すげー心地いい」

「嬉しいですが……恥ずかしいですね」


 先程よりも、太ももにかかる重みが増したことから、本当にリラックスしているのが分かる。

 時おり見せる顔を埋めるような仕草は、なんというか……母性本能をくすぐられる。


「ふふっ。一条君、とっても可愛いです」

「それは…………どうなんだ?喜ぶべきか?」

「はい。たくさん喜んでください」


 五分ほど経っただろうか。

 一条君が控えめに声を上げる。


「な、なぁ……天童?」

「はい、なんですか?」

「これ、いつまでやってくれるんだ?」

「一条君が満足するまでです」

「いや……さっきから頑張ってるんだけど……立ち上がれなくてさ」

「え?」

「気持ちよすぎて動きたくない。ずっとこのままで良い?」

「――――ハッ!はい!もう終わり!課題の続きやりますよ!」

「クソッ!言わなければ良かったっ!」


 太ももから一条君を引っペ返し、無理やり課題に向き合わせる。

 物足りなさそうな顔をしていたけど、気づかないフリをした。



 ※※※



「んぅっ……――ん?」


 微かな物音と光が瞼の裏を焼き、私はゆっくりと目を開ける。

 机に向かう一条君の背中が、ぼんやりと映る。


「一条……君?」

「あ、悪い。起こしちまったか?」


 一条君は椅子を回転させ、申し訳なさそうな顔を向ける。


「いま……何時ですか……?」

「一時だよ」


 私は緩慢な動きでベッドから抜け出し、一条君越しに机の上を覗き込んだ。


「こんな時間まで課題をやっていたんですか?」

「まぁな。キリがいい所まで〜って思ってたんだけど、こんな時間になっちまった」

「そうなんですか。…………あ、一条君何か飲みますか」

「いや、自分でやるから良いぞ?天童は眠いだろ」

「少し喉が乾いててお水を持ってくるつもりだったので、ついでですよ?」

「そっか…………じゃあ、お茶を頼んでいいか?」

「はぁい」


 寝起きに加えて真夜中の時間帯だ。

 いつも以上にボーッとする。

 上手く会話出来ていたか…………分からない。


「どうぞ」

「サンキュ」


 お茶を手渡し、私はベッドに座りチビチビとゆっくり水を飲む。

 真面目に机に向かっている姿をぼんやりと眺めていると、ある気持ちが大きく肥大化してくる。

 眠気と妙なテンションのせいで、歯止めが効かなくなり――


君。大好きです」

「ん〜?急に――え――?いま、朝日って呼んだ?」

「はい。そう呼びたいなって思いまして。嫌でしたか?朝日君」

「全っ然!嫌じゃないし、むしろ嬉しいって言うかっ!…………でも、びっくりした」


 朝日君は、微妙に口角が上がっていて、慌てて口元を手で隠す。

 不意な出来事に、慌てて取り繕う姿も可愛い。


「まぁ、改めて思えば苗字呼びも他人行儀だったよな。ごめん」

「明日から少しづつ変えていきましょうね」

「そうだな。有紗」

「はい、朝日君」


 朝日君は、お茶を一気に煽り、私の空になったグラスと一緒にシンクへ片付けに行ってしまった。


「もう、寝るか」

「課題は良いんですか?」

「明日やる。あと数ページだし」

「そうで――――わゎっ」


 朝日君が私に抱き着き、二人揃ってベッドに倒れ込む。

 ギシィ――――とベッドが鳴り、お互い視線を絡めたまま身動ぎ一つしなかった。

 先に動いたのは朝日君で、左手を腰に添え、右手を私の頭に回し、そっと自分の胸に密着させる。


「朝日……君?」

「…………………」

「寝ちゃったのですか?」

「起きてる。昼間の膝枕で癒されたし、お返しの意味でやってみたけど……ダメだな」

「なんで、ダメなんですか」

「俺だけ癒されてる気がする」

「そんな事ないですよ?私もです」


 私も、朝日君の広くて大きな背中にソッと手を回す。


「幸せですよ」

「なら、良かった」


 と、ポンポンと頭を撫で髪を梳く。


「えへへ…………もっと」

「はいはい。わかったよ」


 優しく撫でる手が心地よくて、だんだん微睡んでいくなか――


「おやすみ。有紗」

「おや……すみ……なさい……朝日……君」


 そして、私は夢の中へ誘われていった。

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