第28話 家族

「もう、満足したのか?」

「はい」


 私は、二週間ぶりに天童家に戻り、書斎でお父様と相対していた。

 前回と違う点は、お父様が仕事用のオフィスチェアでは無く、来客用の応接ソファに座っていたこと。

 私は、その対面に座り、お父様を正面から見据える。


「本来のやるべき事を放ったらかしにして、この一週間何をしていたんだ?」

「ずっと憧れていた学生らしい夏休みを過ごしていました。ご迷惑をおかけしていたのは……承知しています」

「なら、なぜ戻ってきた?そこには、有紗の望むものがあったのだろう?」


 最後に言い争った時と同じ冷たい言葉。

 自分の意思じゃ止められないほど、握った拳が緊張で震えていた。

 すぅ……はぁ……と、控えめに深呼吸をして口を開く。


「お父様は…………私のことが嫌いですか」

「…………っ!なにを…………言っている?」


 お父様は、目を大きく見開き、声を震わせていた。


「ずっと疑問に思ってたんです。どうして、お兄様達ばかりを気にかけ、私を放っておくのか。私がお母様にしか懐いていなかったからですか…………?」

「……………………」

「それとも、私がお兄様達のようにお父様の望む優秀な子供じゃないから…………ですか?」

「有紗…………」


 改めて言葉にすると、心がギュッと締め付けられる感覚に陥る。

 お父様から視線を逸らしたくなるが、必死に繋ぎ止める。


 だが、それは続かなかった。

 お父様が右手で目元を覆い、項垂れてしまったからだ。


「そうか…………有紗から見た俺は…………そう映っていたのか」


 そう、小さく呟いた。

 そして、再度私と視線を合わせる。


「よく聞いてくれ。俺はな……有紗の事を嫌ってなどいない。有紗は可愛い娘だと思っている」


 私は、息を飲むほどの衝撃を受けた。

 いま…………なんと?


「情けない話だ。俺が向き合うのを先延ばしにしていたばかりに…………」

「あの……どういう…………」

「仕事を言い訳に有紗の事は華に任せっきりにしていたせいだ。華が亡くなってからは、どう接すれば良いか分からなかったんだ」


 お父様は、弱った表情のまま首を振る。


「有紗の好きな物も…………何をすれば喜んでくれるのかも分からなかった。そして、有紗と向き合うのを先延ばしにするために…………一臣達をも利用していた」

「え…………?」


 お父様は、『はぁ』――――と、自虐的なため息をつく。


「俺の後を継ぎたいと申し出た一臣。それを支えたい言った悠亜。その二人の教育を言い訳に目を背けていた」

「そん、な……私……ずっと……頑張っていたんですよ…………?いつか認めてくれるだろうって………… 」


 これが、お父様の後ろ向きな振る舞いによる怒りなのか……。

 それとも、失った時間が戻らないことに対する悲しみなのか……。

 はたまた、嫌われていなかったことに対する喜びなのか……。


 正体が分からない感情が綯い交ぜになって、気づけば私の口から飛び出していた。

 お父様は、何も言わず正面から私の言葉を受ける。


「私……苦しくても周りが羨ましくても……我慢して頑張ってきたんです……!」

「あぁ…………知っている」

「お父様に見て欲しくて……褒めて欲しくて…………っ!」

「だが…………――――いや、わかった」


 私の強い訴えを受け、お父様は身を乗り出し右手を私の頭に乗せる。


「しっかり見てやれなくてすまなかった。有紗は自慢の娘だ」


 大きくて優しい手が頭を往復する度に、心がポカポカと温かくなる。


「えへへ…………こんなことなら、もっと早く話をしていれば良かったです」


 今までの分を存分に褒めてもらい、お父様の書斎を後にしようとしたとき――


「一臣と悠亜にも声をかけるんだぞ。あの二人もずっと心配をしていたからな」

「はい。もちろん、そのつもりです」



 ※※※



 ――コンッコンッコンッ


「どうぞ」

「失礼します」


 私は、お兄様とお姉様の事務部屋を訪れた。

 部屋に入ると――


「有紗っ!良かった!戻ってきてくれたんだね!」

「わぷっ……!お、お姉様っ!?」


 私を見るなり、お姉様は書類を投げ捨て私に駆け寄り抱きしめる。

 お姉様は、私を抱きしめながら『良かった……本当によかった……』と、声を震わせていた。


「やれやれ。これで、不眠からも解放されるな」


 お兄様は、散らばった書類を拾いながらそう呟く。


「お兄様、お姉様……。ご迷惑とご心配をおかけして申し訳ありません」

「本当だよっ!本当に心配したんだからっ!こんなことはもうやめて!」

「ご、ごめん……なさい……」


 お姉様の怒鳴り声を聞いて、思わず身体がビクリと跳ねてしまった。

 それくらい、お姉様は怒っていた。


「悠亜、落ち着け。無事、帰ってきたんだから良いじゃないか」

「兄上は心配しなさすぎなんです!放っておけの一点張りで!」


 放っておけ……?

 私は、二人に歩み寄ろうと思っていただけにショックだった。


「悠亜。言い方を考えてくれ。その言い方だと誤解が生まれる」

「お兄様……?誤解……?」

「心配してない訳でも、どうでも良かったわけじゃない」


 お兄様は、何も言えずにいた私に歩み寄り、ソッと頭に手を乗せる。


「有紗が俺らと違う世界に興味を持っていることは知っている。今回の家出も、有紗にとって必要な事だと思っていたんだ」

「…………っ!」

「だから、心配していなかった。必ず、有紗は成長して戻ってくると信じていたからな」


 穏やかな声音と頭を撫でる優しい手つき。

 まっすぐ私を見て言い切った言葉は、少しづつ私の心に染み渡り――


「うっ……うぐっ……ごめん……なさいぃ……」


 私の意思とは関係なく、ボロボロと涙があふれる。


「怒ってないから泣くな」

「ちがっ……違くて……っお兄様……たちはっ……わたしのことっ……見ててくれたのに……!」

「うん」

「私は……っ……そんなお兄様たちのことをっ……」

「わかってる。有紗が俺たちに引け目を感じていたことは気づいていたよ」


 慈しむように何度も頭を撫でてくれる。


「俺たちの方こそゴメンな。何もしないのが最善の手だと思って、寄り添うこともしなかった」

「私っ……の方こそ……ごめんなさいぃっ!」


 と、お姉様から離れ、お兄様に思い切り抱きついた。

 お兄様も、私の背に手を回し優しく抱擁をする。


 今日の今日まで知らなかった。

 お兄様が……こんなに温かくて、私を優しく抱きしめてくれる人だってことを。



 ※※※



「落ち着いた?」

「はい……」

「有紗、目元真っ赤。たくさん泣いたもんね」


 お姉様は、微笑みながら私の頭を撫でる。


「それで、有紗はこれからどうするんだ?」

「まだ、わかりません。でも、ご迷惑をおかけした方々に謝罪しに行こうかと思っています」

「まぁ、それは良いんだが……。てっきり、彼に会いに行くものだと思っていたんだがな」

「彼?」

「あぁ、一条朝日君だよ」

「な…………っ!なぜ一条君のお名前が出てくるのですかっ!」


 まさか、お兄様の口から一条君の名前が出るとは思ってもみなかった。

 だが、お兄様は意外そうな顔をして――


「なぜって…………気になっているんだろ?」

「なっ!?」

「はぁ…………兄上。そうゆうのは、思っても言わない方が良いのですよ」

「え?」


 羞恥心で顔に熱が上ってくるのがわかる。


「い、行きたいですけどっ!!でも、先にやることをやらなければダメなのですっ!!」

「そ、そうだな……。うん……」


 いつも毅然としているお兄様が、たじろいで見せる。

 そんな様子を、お姉様は楽しそうに笑っていた。

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