第25話 お父様の……ばか

 午後十八時を回り、夕食の香りが漂ってきた頃、ガチャリと玄関の扉が開く音が聞こえた。


「ただいま〜!――って、有紗ちゃん!久しぶり!」

「お久しぶりです。楓さん、お邪魔しております」


 楓さんはリビングに入ってくるなり、パッと表情を咲かせ私に抱きついてくる。


「元気だった?」

「はい、お陰様で。楓さんもお元気そうで」

「もちろん!有紗ちゃんとは、完璧な状態で会いたいからね!」


 お世辞と疑う余地もなく屈託なく笑いかける。

 そのとき、リビングの入口にもう一つの人影が――


「いま帰ったぞ」


 女性の声ではなく、低く落ち着き払った声。

 短く整えられた頭髪。

 眼鏡の奥から覗くシャープな目付き。

 一条君のお父様は、厳格さを思わせる雰囲気が漂っていた。


 瞬間、楓さんの腕の中でピシリと背筋が伸びる。

 そこへ、調理が一段落したのかキッチンから菜々子さんが姿を見せる。


「あら、おかえりなさい!楓、貴方!ちょっと見てよ!朝日ったら彼女連れてきたのよ!」

「彼女じゃないし、連れて来いって言ったの母さんだろ!」

「楓から『朝日が可愛い女の子を家に連れ込んでる』って聞いたら気になっちゃうじゃない!」

「誇張表現も良いとこだろ!連れ込んでねぇ!」

「え〜?だって、私が朝日の家に行った時さ――」

「だあぁぁ!うるさい!姉ちゃんは黙ってて!」


 一条君は、ソファから立ち上がり牙を剥く。

 楓さんは、お父様を確認してから私を解放する。


「初めまして、天童有紗と申します。一条朝日君には、大変お世話になっております。この度は、突然押しかけてしまい申し訳ありません」


 菜々子さんと同様の挨拶をし、腰を折る。


「こちらこそ、初めまして。朝日の父、一条いちじょう直哉なおやです。押しかけられたとは思っていないし、むしろ歓迎するよ。――それにしても驚いたな、朝日と歳は同じと聞いていたが……」

「はい、クラスは違いますが同じ学年です」

「言葉遣いも挨拶も学生なのに、非の打ち所がない。きっと、良いご両親の元で育てられたんだね」

「……はい。お母様とお父様には感謝しております」


 嘘はついていないが、何故か口ごもってしまった。

 それも、お父様を認める発言はしたくないという気持ちが強かったからかもしれない。


「ささ、挨拶も済んだし、ご飯にしましょ?」


 と、手際よく夕食の配膳を始める。

 私も手伝おうと思ったのだが、『疲れてるでしょ』と制された。

 菜々子さんの作る絶品なハンバーグに、一条君と同じくらい舌鼓を打った。


 けど、それ以上に私を快く迎えてくれた一条家の温かさと和気あいあいとした食卓が――私の中を大きく満たしていた。



 ※※※



「それにしても……朝日はどうやって、天童さんと仲良くなれたんだ?」


 直哉さんは、湯気の立ちのぼるお茶を啜りながら不思議そうに呟く。


「普通にだよ」

「お前の普通は信用出来ないからなぁ〜」

「実の息子に対して信頼ねぇな?」

「で、その辺はどうなのかな?天童さん」


 一条君に聞いても埒が明かないと判断したのか、話題は私にも振られる。


「図書室で声をかけて頂いたんです」

「図書室っ!?朝日が?あの……朝日が!?」

「朝日が図書室に?」


 子猫と遊んでいた楓さんが、有り得ないとばかりに声を上げ、直哉さんはニコリと意味深に微笑む。

 私が見てもそんなに違和感は無かったが、身内から見たら、かなり以外な行動らしい。


「あまり本を読まない朝日が珍しいわね?」


 洗い物を終え、会話に混ざった菜々子さんも同じ感想だった。


「べ、別に良いだろ?急に興味が湧いたんだよ」

「で、有紗ちゃん。なんて声かけられたの?」

「お勉強を教えて欲しい……と」

「あら、勉強嫌いの朝日が勉強ね〜」

「ほら……たまにそういう気分の日もあるからさ……?勉強たのしーって日が」


 僅かに表情を引き攣らせ、菜々子さんのジト目から目を逸らす。


「ちなみに、いつの話かな?有紗ちゃん」

「え、えぇっとぉ……六月の後半だった気が……」

「七月にあった試験の結果を嬉々として報告出来たのは、有紗ちゃんのおかげだったのね〜?朝日??」

「そ……そんな事……ないし……」

「中間テストの時は、聞いてもはぐらかしてたのは――――点数が悪かったからなのね」


 そう言いながら、にこりと笑いかける。

 思わず身震いをしてしまうほど、冷気を放った笑顔だった。


 ――ごめんなさい……一条君


 そう、心の中で謝りながら楓さんと一緒に子猫と戯れていた。



 ※※※



 時刻は、二十一時を回り、就寝の挨拶をと思い一条君のお部屋に訪れていたのだが――


「ほんとひどい目にあった……」

「大変そうでしたね……?」

「他人事のように言うじゃんか」

「ご、ごめんなさい……。まさか、あんなに怒るとは思わず……」


 菜々子さんのお説教から、ようやく解放された一条君は、疲労感を滲ませた恨み顔を向けてくる。


「でも、良い機会ではありませんか。一人暮らしだと、なかなかお説教をされる機会もありませんし」

「お説教を受ける身にもなってくれ……。メンタルに効く」

「愛されている証拠ですよ」

「それはわかるんだけどなぁ……手心を加えて欲しいな」


 ベッドの上に胡座で座りながら、グイィっと体を伸ばす

 だが、くたびれた顔から一転して真面目な表情で私を見る。


「体調は平気か?」

「え?はい、問題ありませんが……。私、疲れているように見えましたか?」

「いや、一時間とはいえ長旅だし、炎天下のなか歩いたし、他人の実家に連れてこられて気疲れとか……してるかなって」

「心配してくださってありがとうございます。気疲れしてないと言えば……嘘になりますが。それでも、とても楽しいですし、連れてきて頂いたことに感謝してます」


 これは、紛れもない私の本心だ。

 私を家族のように受け入れてくれ、たった半日だが、心地の良い温もりを与えてくれた。


「ま、天童はそう言うよな。しんどかったら無理しないで言えよ?」

「ありがとうございます。では、またあした。おやすみなさい、一条君」

「おう、ゆっくり休めよ。おやすみ、天童」


 一条君のお部屋を出て、お借りしたお部屋に戻る。

 ベッドに横になると、徐々に瞼が重くなってくる。

 時刻は、最近の就寝時間より早めだが、一条君の言っていた通り、普段より疲労は溜まっていたみたいだ。


 ――『礼儀正しい子で驚いたわ』

 ――『挨拶も言葉遣いも非の打ち所がない』


 当たり前にやっていた事をしただけなのに、たくさん褒められた。

 そして、私のお母様とお父様の事も褒めてくれた……。

 直哉さんが言っていた通り……私は両親に恵まれた……――


「いえ!お父様は悪い人です!」


 一瞬、揺らぎかけた決意を締め直す。

 お父様は、私の理想を否定した。

 くだらない、紛い物だと一蹴した。


「お父様の……ばか……」


 枕に顔を埋め、絞り出すように呟いた。




 ――時は遡り八月九日――




「一臣様。お嬢様が居なくなってから一週間が経ちました」

「知っています」

「使用人の立場で、こんなことをお伺いするのはおこがましいのですが――――心配では無いのですか?」


 書斎の扉の前に立つ婆やは、焦燥と不安を滲ませた声色で俺に問いかける。

 婆やこと君江きみえさんは、有紗の母親代わりのような人で、天童家――――いや、俺たち兄弟にとって、ただの使用人とは呼べないくらい特別な存在だ。

 心の底から心配しているのが痛いほど分かる。


 俺は、先方から送られてきたメールから顔を上げる。


「思春期なら親と喧嘩し、家出くらいすると思いますよ」

「一臣様から見れば、ただの妹。ですが、我々使用人――――いえ、私にとっては、守らなければいけない大事な存在なのです」

「分かっています」


 最初は、以前のようにすぐに戻ってくると、誰もが思っていたはずだ。

 だが、有紗は戻る気配を見せなかった。


 家出に至る経緯は知らないが、推測はできる。

 有紗がこの家と自分の立場に嫌気が差したか。

 あるいは、父上が有紗の逆鱗に触れたか。


「一生帰ってこないわけじゃないと思います。帰ってきたらいつも通り迎えてあげてください」

「もちろん……そのつもりですが……旦那様が……」


 君江さんは、言いにくそうに俺から視線を外す。


「連れ戻せと?」

「えぇ……多少、強引にでも――と」

「それは得策では無い。有紗の判断に任せるべきだ」

「お嬢様の身に何かあってからでは遅いと……」


 全く……。

 父上の親としての未熟さには、ほとほと呆れてしまう。


「仕方がない」


 パソコンの電源を落とし、椅子から立ち上がる。


「どちらへ?」

「父上と話をしてきます」

「よく思わない気持ちも分かりますが、あまり手荒な事は……!」

「別に、殴り込みに行くわけじゃないです」


 婆やは、俺の言葉の真意を図りかねているようだ。

 社長と跡継ぎという肩書きは、こういった時に不便だ。


「『息子』が『父親』に話に行くだけですよ。父上は、有紗の事を知らなさすぎるので」


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