第24話 里帰り

「天童……ごめん、夏休みだから親が顔見せろってうるさくて……帰ることになった」


 朝食を食べている時に、一条君は重々しい口調で話し出す。


「そうなのですね。では、私はお留守番……というのも変ですが、帰りを待つことにします」

「いや……それが――」

「え?」


 これが、二日前の話。



 ※※※



 ――八月十日


「ここ、俺ん家」

「大きいですね。全然、小さくは無いと思います」


 電車で片道一時間ほど揺らされ、一条君の生まれ育った故郷にたどり着いた。

 お家は小さな一軒家と聞かされていたが、全然そんなことはなく、四人家族なら持て余すほどの大きさだった。


「暑いし、疲れたろ?早く入ろうぜ」

「ま、待ってくださいっ」


 玄関の取っ手に手をかけたタイミングで、私はストップをかける。


「え?なんで?」

「心の準備が……」

「あ、そっか。天童は来るの初めてだし、緊張するよな」

「申し訳ありません――すぅ……はぁ……お待たせしました。大丈夫です」

「ま、緊張してる間なんて無いかもだけど」


 何やら意味深なことを呟き、ドアを手前に引いて中に入る。

 私も一条君の後に続く。


「ただいまーっ」


 一条君は声を張って、帰宅したことを知らせる。

 すると、リビングの扉が開き――


「おかえりなさい!随分、早かったのね?」

「まぁな」


 一人の若々しい女性が姿を見せる。

 状況からして、一条君のお母様だと思うのだが……とても、若い。

 二十代と言われても信じるし、二人の子供を産んでいるにも関わらず、スタイルも崩れていない。


「なんか……朝日痩せたんじゃない?ちゃんとご飯食べてるの?」

「食べてるよ」

「本当かしら。楓から朝日の食生活聞いたわよ」

「うっ……」

「はぁ……。そそっかしいのは、高校生になっても変わらないのね」


 そして、一条君と簡単なやり取りを終え、私に視線を向ける。


「あら、その子が例の?」

「初めまして、天童有紗と申します。一条君には、日頃お世話になっております。そして、突然、押しかけてしまい申し訳ありません」


 腹部で手を組み頭を下げる。

 家を出て一週間近くになるが、身体に染み付いた所作は健在だった。


「こちらこそ、初めまして。朝日の母の一条いちじょう菜々子ななこよ。楓から礼儀正しい子だって聞いてたけど、本当だったわ」

「ありがとうございます」


 菜々子さんは、私に歩み寄り、そっと私を抱擁をする。


「おかえりなさい。自分の家だと思ってゆっくりしていってね」


『おかえりなさい』


 こんなに温もりを感じる『おかえりなさい』は久しぶりだった。

 そして、優しく包み込むような抱擁を受けたのも……。

 幼少の頃が想起され、涙が溢れそうになる。


「あ、ごめんなさいね!可愛くてつい!ささ、中に入って?」


 リビングへ通されると、菜々子さん以上の熱烈な歓迎を受けた。


 ――ミャーッ!ミャーッ!

 ――ミャウッ!

 ――ニャーンッ!


 五匹の子猫が、私の足元にトテトテと歩み寄ってきたのだ。

 まん丸な瞳に庇護欲を掻き立てる小さな体。

 三匹が不思議そうに私を見上げ、二匹は私の足に前足を乗せ器用に立ち上がっていた。


「わぁ……一条君はお家で猫ちゃんを飼っていたのですね」

「あれ?言ってなかったけ」

「はい。今初めて知りました」


 動物とあまり戯れた経験のない私は、この現状に困ってしまっていた。


「その子たち凄い人懐っこくてね!いま、麦茶入れてくるから遊んであげててくれる?」

「は、はい……。あと、こちらつまらない物ですが、宜しかったら皆様で召し上がってください」

「そんな気を使わなくていいのに!でも、ありがとうね。有紗ちゃんも含めて皆で食べようね」


 と、ふんわりと微笑んでキッチンの方へ行ってしまった。


「まー、座れよ。移動ばっかで疲れたろうし、そいつらと遊んでやってくれ」

「どうすれば、楽しく遊んでくれるのでしょう」

「多分、天童が座ってるだけで勝手にジャレついてくると思うぞ」


 一条君の隣で膝立ちになると、一匹がヨチヨチとおぼつかない足取りで近寄ってくる。

 恐る恐る人差し指を出してみると、前足でしっかり私の指を掴みチロチロと小さな舌で舐め始めた。


「わっ……い、一条君っ」

「ん?」

「可愛すぎます……」

「だろ?そうだろ?」


 満足気に頷く一条君は、自身の膝上に子猫を一匹抱き乗せ、慣れた手つきで撫でる。

 ゴロゴロと喉を鳴らし、仰向けで一条君の手とじゃれ合い始める。


「待たせちゃってごめんね!麦茶とお菓子置いとくからね!」

「ありがとうございます」


 と、そこへ菜々子さんがお盆に麦茶とお菓子を持ってキッチンから出てくる。


「私、お買い物行ってくるからお留守番よろしくね?今日は、朝日の大好きなハンバーグにする予定だから!」

「昔の話だろ!」

「えぇ〜そうなの?でも、もう決めちゃったから!有紗ちゃんはハンバーグ好きよね?」

「はい!大好きです!」

「そうよねっ!はぁ〜あ……朝日も有紗ちゃんくらい素直で可愛い気があったらいいのに」


 悩ましげに頬に手を当てて見せる菜々子さんに対して、一条君はシッシッと手を払うジェスチャーで答える。


 菜々子さんが出ていって、二人きりになる。

 子猫と戯れながらもリビングをぐるりと見回す。


「そんなに珍しいか?」

「いいえ……凄く温かいなって」

「暑いってこと?クーラー点けるか」

「もう、そうじゃありませんよ。気温ではなくて気持ちのお話です」


 クーラーのリモコンを手に取った一条君は、首を傾げる。

 私は、温もりを放つ思い出の品一つ一つに視線を向ける。


 幼稚園の頃に描いたのであろう両親の似顔絵。

 かけっこの金メダル。

 家族写真や楓さんと仲睦まじく笑い合う写真。

 卒業写真と入学写真。


「とても温かいですし、このリビングは一条君で溢れてます」

「…………ほんっと天童の言い回しって独特だよな」

「そうでしょうか?ふふっ、今の一条君も素敵ですが、幼い頃はとても可愛いですね」

「うるせー…………」


 そのあと菜々子さんが帰宅するまで、一条君はこちらを向いてくれなかった。

 けど、その行動は照れ隠しなのだと、髪の毛の隙間から覗くほんのり朱色に染まった耳が物語っていた。

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