第19話 居候

 早朝五時。

 敷地を出た門扉の前で後ろをチラリと振り返り、歩き出す。

 三十分かけて駅まで歩き、待ち合わせの場所にたどり着くと既に一条君が待っていた。


「おはようございます、一条君。こんな時間に呼び出してしまって申し訳ありません」

「気にすんなって!ところで、五時半の駅ってこんなにスカスカなのな。この時間に呼ばれなきゃ知らんかった」


 一条君は、ぐるりと駅構内を眺めてそう呟いた。

 そんな、彼を見ていると罪悪感で心が締め付けられる。


「それで?どこか行きたい所でも見つけたのか?」

「そういう訳では無いのです。ただ、厚かましいお願いを聞いて頂きたくて……」

「うん?なんか、ここで話せる感じじゃなさそうだな。店閉まってるし……俺ん家で良い?」

「はい……。お願いします」


 駅から五分ほど歩き、一条君のマンションにたどり着いた。

 まさか、こんな短期間にもう一度訪れる事になるとは思わなかった。

 リビングまで案内され、私はソファに座らされる。

 氷とウーロン茶が入ったグラスを私の前に置き、一条君は床に腰を下ろす。


「んで、話って?」

「……はい。その……厚かましく図々しいことを承知でお願いしたいのですが……。しばらく、私を一条君のお部屋に置いて頂けませんか?」

「え……?なんで?」


 疑問に思うのも当たり前。

 恋人でも無く、仲良くなって一ヶ月程度の私がお願いしているのは居候だ。

 だから、私は事の顛末を詳細に話した。


 お父様と顔を合わせて話をしたこと。

 自分の望みを下らないと一蹴されたこと。

 そして、喧嘩別れしたこと。

 一条君は、相槌を打ちながら急かすことなく聞いてくれた。


「――だから、私はしばらくの間、家を出る覚悟をしたのですが……頼れる方が一条君しかいなくて」

「理由は分かった。けどなぁ……」


 腕を組み悩ましげに声を上げる。


「もちろん、生活費も半分……いえ、八割お出しします。家事なども引き受けますっ」

「学校とかどうすんだ?」

「それまでには、私は一条君のお部屋から出ていく予定です」

「うぅん……。前回は一泊だったから、何とかんだよな……」


 天井を見上げ唸る一条君を見て、ふとお父様の言葉が蘇った。


 ――『夢から醒め現実を見たんだ』


 これが……現実……?

 一条君は、無条件に受け入れてくれかもと無意識に思い込んでいた。


 冷静になって考えれば、私の行動は異常だ。

 一条君の立場に立って見ればすぐに分かる。

 私だって、男の子に同じ条件で頼まれたって、即諾はしない。

 こんな事も考えられないほど、今まで舞い上がっていたのだ。


「ごめんなさい。やっぱり、忘れてください。そして、早朝に押しかけ世迷いごとを並べ立てた事をお許しください」


 私は、悩む一条君にそう伝え立ち上がる。

 一条君に罪は無い。

 勝手に思い上がって、勝手に絶望して……滑稽にも程がある。

 一条君のお部屋の前を通り過ぎようとしたとき、お部屋の中からニュっと腕が伸びてきて、私を抱きとめた。


「キャッ!――――え?か、楓さん!?」

「よしよし、有紗ちゃんは勇気を出して頑張ったんだよね」

「は……離してください!私は頑張ってなどいませんっ」


 そう、私を胸に抱き、優しく頭を撫でる。

 何が起こってるのか分からず、一瞬体が強ばってしまったが、すぐに腕を引き剥がそうとした。

 だが、思ったより力が強く、かえってギュッと抱きしめられる。


「それに比べて私の弟ときたら」

「……なんだよ、一泊泊めるのとは訳が違うだろ。俺は男で天童は女の子だぞ?」

「私なら迷わず承諾するけどね」

「それは、姉ちゃんが同性だからだろ」

「男でも承諾するね。お金を出して貰えて家事もやってくれるんでしょ?こんなに可愛い娘にさ」

「金とか家事とか……そーいう事じゃないんだって」

「はぁー……」


 楓さんは、更に私を強く抱きしめて――


「『自由に好奇心の赴くまま生きる!』だっけ?」

「…………」

「朝日が今、夢中になっているものは何かな?」

「だぁーー!!分かった!」


 唐突に声を張り上げたので、思わずビクリと体が跳ねた。

 楓さんは、私を解放しトンッと一条君の方へ背中を押す。


「わっ――――えと……その……」

「誤解の無いように言っておくけど、嫌とかじゃ無いからな?」

「え……?」

「むしろ、嬉しかったしな。頼ってくれたこととか」

「え……え……??」

「天童を迎え入れるけど、条件がある」


 私は、ゴクリと喉を鳴らす。

 生活費や家事は、私が提示した条件。

 一条君からは何を……。


「夏休みは遊びまくるぞ。天童に拒否権はねーからな」

「それだけ……ですか?他には??」

「無いっ!この条件が飲めないなら、放り出すしかないな」

「遊びます!遊びたいですっ!」

「んじゃ、決まりな。細かいことは……まぁ、後で決めるか。……眠いから寝かせて」


 と、私の横を通り過ぎて、楓さんを放り出して自室のドアを閉める。


「良かったねっ!楽しい夏休みになりそうじゃん!――――ただ、有紗ちゃん。いつまでも、このままじゃ駄目だからね」

「……はい」

「なら、良し!」


 とても分かりやすく釘を刺されてしまった。

 そう、これは現実逃避。

 何一つとして問題は解決しておらず山積みだ。


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