第18話 気持ちのすれ違い

 一条君と別れた夜、私はお父様の書斎に向かった。


 ――『家族とはいえ、言葉にしないと伝わらない』


 思えば、私がお父様と最後にお話したのは、いつだったろうか。

 お父様は、厳格で笑ったところを見たことがなく、自分を貫き通す芯の強さを持っている。

 

 ふぅ――と深く息を吐き、書斎の扉をノックする。


「入れ」

「失礼します」


 重く威圧感のある声に気圧されながらも、書斎に足を踏み入れる。


「有紗か。何の用だ」

「お忙しいところ申し訳ありません。お話があります」


 強面でギラリと鋭い眼光が私を射抜く。

 顔を合わせてお話するのは久しぶりだと言うのに、お父様は眉一つ動かさない。

 緊張で激しい動悸がし、唇が震え言葉を紡げなくなってしまっている。


「話があるなら早くしろ」

「は、……はい。お話では無くお願いです」

「言ってみろ」


 大きく深呼吸をし、グッとお腹に力を入れる。


「私も普通の学生と同じ生活がしたいです」

「そんなことか。――――駄目だ」


 私のお願いは、あっさりと跳ね除けられた。

 しかも、こちらを見ずに…………だ。


「理由を……お聞きしてもよろしいでしょうか」

「お前は名家の生まれで、普通の学生とは違うからだ」

「それは……理由にはなっていないですし、納得出来ません」


 そうハッキリ伝えると、お父様は書類から私に視線を移す。


「ならばこちらも聞くが、なぜお前は、不便な環境に身を置きたがる?」

「私には……それが新鮮に感じたからです。見たことない景色、初めて感じる味、初めての経験ばかりだったからです」

「初めてなら、どれも新鮮で色鮮やかに映るものだろう。では全て知り尽くしたあと、そこに何がある」

「え…………?」


 全てを知ったあと……??

 お父様に突きつけられる現実に、思わず口ごもってしまう。


「熱に浮かされ、感情で物事を考えているお前には答えられまい。話は終わりだ」

「待ってください!私は感情で動いている訳ではありませんっ」

「ほう?では、昨日家に戻らなかったのも、感情では無く計算内だと言うつもりか?」

「それは……」

「最近、親しくなった友人がいると聞いている。お前のその感情も行動も、全てその友人の無責任な入れ知恵では無いのか?」

「お父様っ!!」


 書斎に張り詰める怒声。

 こんなに大きな声を出せるだなんて知らなかった。


「お前が言い淀んでいた事が事実を物語っているだろう」

「私の友人に対する侮辱は……お父様であっても許しませんっ」

「人の娘――いや、名家の娘のキャリアに傷をつけようとしているのだ。その、男は責任が取れるのか?」

「一条君は何一つ強制などしておりません!差し出された手を私が取っただけです!」

「はぁ……一臣や悠亜は、成功者の道を歩んでいるのに、なぜお前はそうしない」

「その幸せは、私の望んだものでは無いからです」


 私はキッパリと言い放つ。

 確かに、言う通りにしていれば幸せになれるのかもしれない。

 生活に困らず、良い伴侶を見つけ、温かな家庭を築けるだろう。


 でも、それは……全て決められた人生。

 そんなもの……私は求めていない。


「なら、その一条という男はお前を幸せに出来るほどの能力があるのか?ここ以上に恵まれた環境を与え、お前に何があっても路頭に迷わせず、幸せだと胸を張って言わせる程の能力が」

「それは…………分かりません」


 そんな先のこと……分かるわけない。


「お前は今、夢から醒め現実を見たんだ」

「最初から夢など――」

「誰と仲良くなるのも勝手だ。だが、唆され道を踏み外しそうになった娘を、正しい道に戻すのは親として当たり前だ」


 ギリと奥歯が鳴る。

 無意識に奥歯を噛み締めていたらしい。

 

 そして、理解した。

 何故、お父様は私と関わろうとしなかったのか。

 お父様と私は、親子であっても相容れない存在同士だからだと。


「私が……っ!一条君に唆され、お父様に世迷いごとを吐いていると……っ!そう、仰っているのですか」

「俺はさっきからそう言っている。感情で動かされている訳では無い?望んだ幸せでは無い?これが、世迷いごとで無いと言うならなんと言う」


 もう……駄目だ。


「わかりました。お父様の考えが変わらないのですね」

「全てお前のためだ」

「そうですか」


 先程までグラグラと煮えたぎっていた頭は、今は凪のように静まり返っていた。

 去り際に――


「最後に一つだけ。私の育ての親は…………お母様ただ一人です」

「っ!!有紗っ!」


 お父様の怒号を無視して、部屋を出る。

 自室へ戻り、ベッドに倒れ込む。

 枕に顔を埋めながら携帯を取り出す。


『家ちゃんと帰れたー?』


 一条君から届いていたメッセージを見てクスリと笑ってしまった。

 心配しつつも、どこかゆるい雰囲気のメッセージ。

 私は、メッセージを打ち込む。


 ――「心配して下さってありがとうございます。無事、帰ることが出来ました」

 ――『お、良かった良かった。姉ちゃんが心配してたんだよ』

 ――「一条君は心配してくれなかったのですか?」

 ――『してるに決まってんだろ』

 ――「一条君は優しいですね。ありがとうございます」


 たった、これだけで心が温かくなる。

 お父様に一条君を悪く言われ、何も言い返せなかった悔しさのあまりジワリと涙が滲んでくる。

 そして、追加でメッセージを送る。


 追加で送ったメッセージの返信は――


『任せろ(犬が親指を立てているスタンプ)』


 だった。


「一条君……ごめんなさい。また、ご迷惑をお掛けしちゃいます」

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