第17話 お姉さん

 温かい。

 眠りながら、そう感じていた。

 そうだ……昔、お母様に抱きしめられたときの感覚と似ている。

 体感温度では無く、心がポカポカするような――


「んぅ……」


 意識が覚醒していくと同時にゆっくりと瞼を開ける。

 規則正しく上下する胸元が、私の視界を占領する。

 寝ぼけながらゆっくりと視線を上に向けると、鼻先がくっついてしまうくらいの距離に、一条君の顔があった。


「ふぇ……?ど……どうして……??」


 寝る前は少しだけ距離があったのに、目が覚めるとなぜか密着していた。

 しかも、背中と頭に腕を回されしっかりと抱きしめられる形になっていた。

 私の心臓は、寝起きにも関わらず鼓動が加速する。


「一条君?――――これは、不可抗力……不可抗力……」


 名前を呼んでも起きない。

 それなら仕方がないと、逆に上下する胸元に顔をギュッと押し付ける。

 トクトク――と、優しくて心地の良い鼓動が耳を刺激し、普段なら避ける二度寝をしようと目を瞑った。



 ――ピンポーン



「ん……?」


 だが、来客の告げるインターフォンの音で、二度寝は未遂に終わってしまった。

 名残惜しさを感じつつ、ゆっくりと腕を解き上半身を起こす。


「一条君、一条君。お客様です」


 子供のような可愛らしい寝顔を見せる一条君の肩を優しく揺する。


「ん〜………………出て」

「え?ダメです、一条君のお家なのに知らない人が出てきたらびっくりしちゃいますよ」

「宅配……だと思う…………」


 そう言って、枕に顔を埋める。

 宅配……宅配便でしょうか?

 利用したことは無いが、朝八時にも関わらず、もう働き始めているらしい。


 起きる気配のない一条君をベッドに残し、姿見の前に立って手ぐしで髪をとかし、大きすぎてダボッとしているTシャツをだらしなくないよう整える。



 ――ピンポーン



「はいっ!今参ります!」


 パタパタとスリッパの乾いた音を鳴らしながら玄関まで走り、ドアを開ける。


「お待たせしてしまい申し訳ありません。おはようございます。朝からお疲れ様です――――ん??」


 玄関の前に立っていた女性は、私を見て驚いた表情をしていた。

 フレアスカートにブラウスという服装で、宅配の方では無いとわかった。


 均整のとれた可愛らしい顔つき。

 それに反比例するかのように、大きく主張した胸元とモデルのような抜群のスタイル。

 女の私でも、つい見蕩れてしまうくらいの美しい女性が私の前にいた。


「あれ?部屋間違っちゃった??――――ええと……部屋番は三零二でマンション名は…………うん、合ってる」


 その女性は、慌てて携帯を取りだしマンションの名前と部屋番号を復唱していた。

 聞いている限り間違いなく一条君のお部屋だ。


「貴方だれ?」

「私、天童有紗と申します。えっと……あなたは?」

「私は一条楓って言います。ここに住んでる朝日の姉です」

「え……!?も、申し訳ありません!一条君のお姉様とは知らず無礼を……!!」


 ぺこりと頭を下げられたので、冷や汗をかきながら勢いよく頭を下げる。


「あー……もしかして、間悪かった?」

「いえ!全然!一条君は寝ていますが、中へどうぞっ!」

「はーい、お邪魔します」


 まるで自分の部屋に上げるかのような振る舞いをしたことに、妙な気まずさを覚えた。


「ふーん。朝日けっこうやるじゃん」

「え?」


 楓さんは、後ろ手で鍵を締めながら、そう呟いた。

 リビングのテーブルにコンビニの袋を置くと、一条君のお部屋に迷わず入り――


「ほら、朝日!彼女放ったらかしにしていつまで寝てんの!!」

「ん……わかってる……」

「分かってるなら、早く起きる!夏休みだからってダラダラしてちゃダメだよ!」

「ん……」

「……はぁ、ダメだこりゃ。寝起きの悪さは相変わらず」


 枕から顔を上げない一条君を見て、腰に手を当て首を横に振りため息を吐く。


「ま、ちょうどいいや。有紗ちゃんとお話したかったし」

「え?わたしですか?」

「うんうん!」


 リビングまで移動し、向かい合うように座る。

 コンビニの袋からカップの飲み物を取り出し私の前に置く。


「コーヒーと紅茶どっちがいい?」

「えっと……では、紅茶で」

「はい!」


 楓さんがコーヒーに口をつけてから、私も紅茶を頂く。


「でさ、ぶっちゃけ付き合い初めてどれくらい経ったの?」

「ええと……?」

「お泊まりしたって事は、付き合い始めって訳じゃないよね?中学のときは彼女いなかったはずだから……四ヶ月くらい?」

「いえ……私と一条君はお付き合いしておりません。ただのお友達ですよ」


 楓さんは、チューッとコーヒーを啜り、首を傾げる。


「えー?隠さなくても良いよ?別々で寝たって言うなら信じるけど、見るからに同じベッドで寝てたし」

「そ、それは……私から……その、お誘いしまして……」

「えっ!嘘……清楚な見かけによらず意外と積極的なんだ」

「そ、そうではなくて!ソファで寝るとお体に触りますし……ダブルベッドだったので……二人でも寝れるかと」


 それでも、楓さんは納得した様子を見せなかった。

 だが、急に顔を曇らせる。


「うーん……。一緒のベッドで寝る仲なのに友達ね……――あ?あー……はいはい、の意味の友達ね」

「え??」

「最近の学生はませてんねー。悪いことは言わないから考えた方が良いよ?」

「え?え?」

「ったく、昔から好奇心の強いやつだとは思っていたけど、女に手を出すとは思って無かったな」


 さっきの穏やかな雰囲気から、一転して不穏な空気を纏っている。

 楓さんの仰っている言葉の意味はわからないが……何か誤解をしているという事は理解出来た。

 その瞬間、リビングと一条君のお部屋に通じるドアが開き、瞼を擦りながら一条君が姿を現した。


「はよー天童」

「おはようございます。一条君、お寝坊さんですね?」

「休みはこんなもん……」

「それはそうと……お姉様がお見えになっていますよ?」


 本当に気づいていなかったらしく、楓さんを視界に収めると一気に目を見開いた。


「げっ!姉ちゃん!なんでもういんの!?」

「ほんとは昼頃の予定だったんだけど、お母さんがあんたが心配だから早く行って面倒見てやれって」

「連絡くらいくれよ――――ってか、なんで怒ってんの?」

「あんたも高校デビューして調子乗ってんだなって思っただけ」

「は??」


 すぐさま楓さんが一条君を引っ張りリビングから出ていく。

 なにやら、言い争っているようだが……リビングに取り残された私には分からない。


しばらくして、リビングのドアが開くと――


「ごめんね!ちゃんとお友達してたんだね!」


 リビングに戻ってきた楓さんは私の手を握って、本当に申し訳なさそうな表情で何度も謝り倒していた。



 ※※※



「本当に駅までで良いのか?」

「はい。朝、婆やから連絡が来ていたので」

「そっか。どうせなら、今日も遊びたかったけど……ごめんな」

「気にしないでください。たまには、姉弟水入らずで過ごすのも大事ですよ。昨日はありがとうございました」

「次は、気楽に遊べるといいんだけどな?」


 お互いに笑いあったあと、私は軽く会釈をして、待ち合わせの場所まで歩き始める。


「な、天童」

「はい?」


 呼び止められ、後ろを振り向く。

 一条君は私の前まで歩み寄ると――


「い、いい、一条君ッ!?」


 優しくゆっくりと私の頭を撫でる。

 何度も何度も……。


「よし!昨日の宿泊代な」

「宿泊代……」

「また、遊ぼうぜっ!今度は、もっと遠くに行きたいな!」

「はい!また、知らない景色を見せてくださいね」


 ニッと笑いかけられ、私も同じく微笑み返し、今度こそ待ち合わせ場所に向かった。

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