第16話 家出デート 後編

「お、お邪魔しますっ」

「どーぞ」


 一条君に続いて、一歩足を踏み入れる。

 靴箱の上に置かれている小さな観葉植物が、簡素になりやすい玄関をお洒落に装飾し、柑橘系の爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。


 普段の一条君からは、想像もつかないインテリアやフレグランスに私は新しい一面が見れた気がして嬉しかった。

 それと同時に首を傾げていた。

 靴の数が足りないような……。


「あの、一条君のお母様はお出かけですか?たしか、専業主婦だと仰っていた気が……」

「あれ?言ってなかったっけ。俺一人暮らししてんだよ」

「そうだったのですか。学生で一人暮らしは大変ではありませんか?」

「まぁなー。けど、大変だけど楽しいぞ?親のありがたみも感じるし」

「ご両親は一人暮らしについて何も言わなかったのですか?」

「言わなかったな。放任主義だし」


 あっけからんと言い、リビングの中へ私を招く。

 一条君のお部屋タイプは、一LDKとなっていた。

 ソファやテーブルにテレビと言った家具から、壁掛け時計など凝ったレイアウトになっていた。


 初めて男の子のお部屋に入った私は、新鮮な気持ちでリビングを見渡していた。


「凄く綺麗にされていますね。その……なんていうか、男の子の部屋は散らかっているイメージがあったのでびっくりしました」

「まぁ、汚い奴が多いんじゃないかな?俺、散らかってると落ち着かねーからさ」

「お部屋の乱れは心の乱れと言いますしね」


 その後は、漫画を借りて読んだりお話をしたりと楽しい時間を過ごしていった。



 ※※※



 時刻は十八時を回り、日が傾いてきた頃――


「夜飯どーする?どっか食べに行く?」

「それも良いですが……。せっかくなのでお作りしようかと思っているのですが……」

「え?天童って料理できんの?」

「プロの方には負けてしまいますが、和洋中なんでも作れます」

「おぉ!すげぇ!すげぇけど……」


 一条君は、一瞬笑顔を咲かせたかと思えば、徐々に顔を曇らせていく。


「どうかされたのです?」

「……俺ん家なんも無い」

「食材のことですか?お近くにスーパーがあったので、食材は問題ないと思いますよ」

「いや……食器とか……調理道具とか……無い」

「…………え?」


 一条君は、おもむろに立ち上がって私の手を引き、キッチンまで連れていく。

 チラリと私を見たあとに、キッチンのありとあらゆる棚を開け放った。


「…………えぇと、最近引っ越されたので?」

「いや、三月からだから四か月前」

「なのに、こんなに空っぽなんてことありますか?普段は何を食べているんです?」

「健康食品?」

「差し支えなければ冷蔵庫の中を見させて頂いてもよろしいです?」

「別にいいよ?好きに見てくれ」


 少し控えめに開けると、ゼリータイプの健康食品が所狭しと入っていた。

 そして、申し訳程度の野菜ジュース……。

 こればかりは、額に手を当てざるを得なかった。


「一条君……これはなんでしょう」

「健康食品だけど」

「他には?」

「いや、これしか……」

「あのですね……健康食品とは、あくまでも普段のお食事で足りない栄養素を補填するという立ち位置なんです。これだけ食べていては、逆に体に悪いですよ」

「うっ…………」


 流石に、理解はしていたのか僅かに顔を逸らす。


「ほとんどがゼリーやジュースばかり。良いですか?物を咀嚼するのにも色んな効果があるんですよ。なかには、脳の活性化により記憶力の向上もあります。それに、咀嚼力が落ちちゃうとおじいちゃんになってしまった時に苦労しますよ?」

「…………はい。ごめんなさい」

「……まぁ、私が偉そうに言えた義理ではありませんが、食事はしっかり摂りましょうね」


 私が説教紛いの事をしたせいで、覇気なくこくりと頷く。

 気持ちを切り替え、努めて明るく――


「で、では!夜はどうしましょう?一条君の提案通りお外に行きましょうかっ?」

「うーん……それも良いけど、出前取ろうぜ?天童のお説教聞いているとき、ピザ食べたいなーって思ってさ」

「ピザ……良いですね!ついでに――――って、私の話をちゃんと聞いてください!」


 改めて、一条君の自由奔放さを思い知った。



 ※※※



 ――二十一時


「ふわぁ……」

「たくさん遊んだから天童も疲れたか?シーツとか今日変えたばっかだから、俺の布団使って良いからな」

「一条君はどちらで寝るのですか?」

「俺は、このソファで寝るから気にすんな」

「一条君のお家にご迷惑になって、更に人様のベッドをお借りするのは気が引けるのですが……」

「良いって。俺の方こそ女の子をソファに寝かせる方が気が引ける」


 一条君が頑として譲らないので、素直に甘えることにした。

 そっと、一条君のお部屋を覗くとリビングと同じく綺麗に片付いていた。

 ちなみに、ベッドはと言うと――


「ベッド大きくないですか?これを、お一人で?」

「ダブルベッドだしな。広々使いたいじゃん」

「これなら、二人でも寝れるのでは……?」

「いやいや、寝れん寝れん。諦めて一人で寝てくれ」

「寝るまでお話していたいのですが……」


 部屋から出ていこうとする一条君の服の裾をキュッと握る。

 振り返った一条君は、何故か私を見て、表情を強ばらせた。


「わかった……わかったって。だから、そんな顔すんな」

「?」


 普通にお願いしただけなのだが、一条君は顔を背け、ベッドまで歩いていった。

 私が壁側、一条君はリビング側で布団に入る。


「不思議ですね」

「な、なにが?」

「広く見えたのに、二人だと少々手狭ですね」

「だから、言ったろ?もう面倒臭いから出ていかねーぞ」

「手狭と言いましたが、出ていけなんて言いませんよ」


 私は寝返りを打って一条君の方を見ると、一条君はリビング側を向いて寝ていた。

 そんな、背中に私は語りかける。


「一条君、お一つ聞いても良いですか?」

「ん?なんだ?」

「一条君は、ご両親が放任主義だと仰っていましたが……寂しくは無いのですか?」

「今は寂しくねーよ。俺の事をしっかり見てくれてるって分かってるからな」

「今は……というと、昔は違ったのですか」


 一条君の含みがある言葉に思わず、突っ込んで聞いてしまう。


「昔って言っても、中学生の時だけどな。普通はさ、子供は親にガミガミ口うるさく言われるもんじゃん?不自由がない生活に不満はなかったけど、俺に何も言わない親にムカついてた」

「それから、どのようにして今の状態に?」

「俺、昔から頭使うの苦手でさ。あれこれ、考えて憂鬱になるくらいなら、俺の気持ちを一切合切ぶつけてやろうって思って親に全部言った」


 そこから、私は質問しなかった。

 一条君が続けて話をしてくれたから。


「そしたらさ、『自分たちが子供の時は親に縛られて不自由な生活をしてたから、俺と姉ちゃんにはそんな生活をさせたくなかった』だって。笑っちゃうよな」

「どこが面白いのですか」


 一条君は、どこか自嘲めいた言い方をする。


「俺の未熟さにだよ」

「中学生なら当たり前ではありませんか?」

「でも、もっと、早く言葉にしていれば良かったって思ったよ。そして、気づいた。家族とはいえ、言葉にしないと伝わらないことってあるんだって」

「それで、今の一条君があるのですね……話してくれてありがとうございます」

「いーよ。隠すことでもないしな」


 話が一区切りしたとき、睡魔が激しく襲ってきた。

 もっと、お話していたかったけど……。



 ―――



「んん…………――っ!?」


 夜中にふと目が覚め、寝返りを打つと思わずベッドから転げ落ちそうになった。

 想像よりもグッと近くに、可憐な美少女が寝ていたからだ。

 特徴的な銀髪は、カーテンの隙間から差し込む月明かりに照らされキラキラと煌めく。


「この状況は…………やっぱ、いかんだろ」


 美麗な少女が無防備な寝顔を晒し、すぅすぅと寝息を立てている。

 しかも、俺が貸したTシャツのサイズがあっていないせいで、胸元からは豊かに実った双丘が谷間を作っているのが見える。

 健全な男子諸君は、この状況に耐えられるか?

 耐えないなんて、選択肢は無いのだが。


「煩悩退散……煩悩退散……。一、三、五、七、九……………」

「一条…………くん……」

「ッ!?」


 不意に名前を呼ばれ、ビクッと身体がはねた。


「て……天童?」

「うぅん……」


 どうやら、寝言だったようだ。

 安心したのも束の間――――


「ありがとう…………ございます」


 その気は無かったが、思わず天童の寝顔を凝視してしまった。

 何に対してのお礼なのか、一瞬分からなかった。

 だが、はたと天童が零した言葉を思い出した。


 ――『皆さんが羨ましいです。私も学生らしい夏休みを過ごしてみたいのに』


「家柄が良いってのも大変なんだなぁ」


 俺の呟きは、暗闇のなかへ吸い込まれていった。

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