第12話 社交ダンスパーティー 後編
「ありがとうございました。お若いのにとてもお上手だ」
「こちらこそありがとうございました。そう言って頂けると嬉しいです」
「では、またの機会に」
上品な老紳士は、丁寧にお辞儀をして私の前から去っていく。
今の方で三人目。
約五分ほどのダンスを休憩無しで三人連続は、流石に疲労が溜まってくる。
だが、私に休憩は与えられないようだ。
今宵のパーティーの本命の一人である西園寺さんが、私の前に歩み寄る。
「僕と一曲踊っていただけませんか?」
「……はい、喜んで」
差し出された右手に左手を添える。
中心までエスコートされ、新しく曲が始まる。
ダンスパーティーを開催するだけあって、西園寺さんの実力は確かなものだった。
一つ一つの動きが滑らかでありながら、さり気なく周りを見てぶつからないよう気を配っていた。
そして、時折私を見てニコリと微笑む。
間違いなく、今日御相手した男性の中で一番と言える。
曲が半分をすぎた頃、西園寺さんはおもむろに口を開く。
「パーティーは楽しんでくれているかい?」
「はい。お陰様で、楽しい時間を過ごさせて頂いてます」
「それは良かった。それで、一条さんとは?」
「いいえ、まだです」
「そうか」
「はい――――ひっ!」
思わず悲鳴を上げてしまった。
西園寺さんの私の腰に添えていた手が、急に別の生き物のように蠢き出したからだ。
それは、腰から少しづつ下がりサワサワと臀部を撫でる。
「や……やめてください。このような場で何を考えているのですか!」
「ん?手を添える位置を変えただけだよ」
「嘘を!」
「別に突き飛ばしたっていいんだぜ?」
動揺と未知の恐怖に襲われる。
今すぐに突き飛ばし離れたかったが、そうすると状況を知らない人からすれば、私が一方的に手を上げたと騒ぎになってしまう。
結局、声を上げることも出来ず、曲が終わるまで恥辱に耐えることしか出来なかった。
曲が終わり、ようやく解放された。
初めての経験と悔しさに涙が零れそうになり、慌てて会場を飛び出した。
※※※
中庭の長椅子に腰掛け、ダンスホールから微かに聞こえる音楽に耳を傾け始めてどのくらいの時間が経ったのか。
――――ザッ、ザッ、ザッ、ザッ
誰かがこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
無意識に身体を強ばらせ、足音の方を凝視する。
「お?いたいた」
足音の正体は、一条君だった。
暗闇から姿を現した一条君の姿を見て、ホッと息をつく。
「ったく、探したぞ。もうそろそろ終わりだってのに――――どうした?」
「少し疲れてしまって」
近づいたことで私の雰囲気に気づいたのか、一条君の冗談めいた雰囲気が霧散したのがわかる。
だが、私は気を使わせたくない一心で、咄嗟に嘘をついてしまった。
私の返事を聞いて、一条君は肩や首を回し――
「そっか。俺も疲れたし、となり良いか?」
「えぇ、もちろんですよ」
私と少し感覚を空け、ストンと品良く座る。
そして、ググッと大きく背伸びをする。
「それにしても、皆上手いよな〜」
「小さい頃から習っている方も多いですからね。一条君もお上手ではありませんか」
「そう?天童から褒めてもらえるレベルなら、自信もっても良いのかね」
私なんかの褒め言葉に満更でもなさそうに、顎に指を添えて『ふふん』と鼻を鳴らす。
ダンスホールでは、最後の曲が始まろうとしていた。
「今日は、月が綺麗だな」
「そうですね。満月ですから」
一条君は、おもむろに立ち上がり腰に手を当てて、ポツリと呟く。
そこから、ややおどけた口調と芝居がかった動きを見せる。
「天童、気づいてるか?」
「え?」
「周りは色とりどりの花屋敷。照明は月明かり。ここはさ、俺らだけの自然のダンスホールだぜ?だからさ――――」
一条君は、私の前で片膝をつき、右手を私に差し出す。
「最後の一曲。よろしいですか?」
おどけた声から一変し、凛々しい声と真っ直ぐな瞳に私の心臓は激しく脈打っていた。
「ふふっ全く……どこから、そんな誘い文句を覚えてきたのですか?――――はい。喜んで」
そう言って、左手を添え、一条君のリードで中庭の中央へ。
月明かりに照らされながら、微かに聞こえる音楽に合わせてステップを踏む。
「ふふふっ。動きが固いですよ」
「天童は、表情が固いぜ?」
一条君がリードし、私がフォローをする。
決められた順序をこなすだけだが、それでも経験の差が出てくる。
だが、一条君のダンスは、初心者とは思えないレベルだった。
「一条君。本当は、ダンスの経験があったのですか?」
「いいや?正真正銘初めてだぜ」
「その割には、とても慣れてると言いますか……」
クルリとターンをして、再び身体を寄せる。
「そりゃ、この日のために頑張ったからな」
一条君は、私を至近距離で見下ろしフッと笑う。
瞬間、私の中に爽やかな風が吹き、トクンットクンッと優しい鼓動が全身を駆け巡った。
「天童、ありがとうな。最高の夜だ」
「……はい。私の方こそ、忘れられない夜になりました」
お互い至近距離で笑い合ったが、何故か一条君の顔を見ることが出来なかった。
ダンスが終わる最後の瞬間まで、銀色に輝く月光が静かに、私たちのステージを照らし続けていた。
※※※
社交ダンスパーティーが終わり、二人だとかなり広く感じるダンスホールの中心で、私と西園寺さんは相対していた。
「あれ?一条さんはどうしたんだい?」
「帰りましたよ」
「そうか。最後にお話したかったけど……。まぁ、しょうがないか」
ニヤリと口の端に笑みを浮かべ、思ってもないだろう言葉を吐く。
「それで、勝負の方はどうだったかな」
ニコリと笑いながら、勝敗の行方を伺う。
自身の勝利を信じてやまないらしい。
だから、私も笑顔で現実を突きつける。
「私は一条君とのダンスが楽しかった。西園寺さんよりもずっと」
「………………は?」
西園寺さんは、端正な顔つきをグシャリと歪め――
「それは、一条に対する気持ちが邪魔をしてるだろう。フェアじゃない」
――――『フェアじゃない?どの口が言っておる?』
威厳の感じる男性の声が、ダンスホールの入口から響き渡る。
西園寺さんは、目を大きく見開き――
「ち……父上っ!?」
タキシード姿にハット帽を被った老紳士が、しっかりとした足取りで歩み寄ってくる。
そして、ハット帽を取り、私の前で腰を折る。
「お久しぶりでございます。有紗お嬢様。しばらく見ない間にこんなにお美しくなられて」
「えぇっと……」
「あぁ、申し訳ありません。幼少期にお会いしたことがあるだけで、覚えていないのも無理はありません。私は、この愚息の父、
「そうだったのですね。改めまして、天童有紗です」
ニコリと柔和な笑みを見せたかと思えば、ギロリと息子である蓮介さんを睨みつける。
「それで……?これは、どういう状況だ?」
「ち、違うんだっ!父上!」
「どうやら、友人から聞いた話は本当のようだな」
「は、はなし…………?友人……………?」
蓮介さんは、傲岸不遜な態度は消え失せ、顔面蒼白で友蔵さんを見ていた。
「有紗お嬢様とそのお友達の仲を引き裂こうと画策しておったらしいな?」
「ッ!?な、なぜ、その事を……――あ……」
慌てて、手で口を押えたがもう遅かった。
「自分から勝負を仕掛けておいて、負けるとは情けない。ましてやダンス経験の無い青年に」
「………………っ!」
「これまでじゃな」
「ま、待ってくださいっ!俺はまだ――――」
「西園寺の名を使って好き放題したツケを払う時だ」
蓮介さんは、この世の終わりのような表情で、膝から崩れ落ちる。
「この度は、愚息が有紗お嬢様のみならず、お友達にまでご迷惑をお掛けして申し訳ない」
「いいえ。もう、気にしておりません。なので顔をあげてください」
深々と下げた頭を上げるよう伝えると、ゆっくりと頭を上げる。
そして、ニコリと笑い――
「良い友人を持ちましたな。彼ならきっと、有紗お嬢様を大事にしてくれますぞ」
「はい。ありがとうございます――――ですが、一条君の事をどこで知ったのですか?」
「たまたまご縁がありましてな」
これ以上語らないつもりのようで、短く言葉を残しニコリと笑う。
私も深く追求せず友蔵さんに微笑み返し、ダンスホールを後にした。
その後、一条君に一つのスタンプを送り、波乱の社交ダンスパーティーは幕を閉じた。
※※※
「あ〜〜〜〜〜……ちかれた……」
俺はタキシードから部屋着に着替え、ベッドにぶっ倒れていた。
厳しいスパルタ特訓を乗り越えたにも関わらず、ものすごくしんどい夜だった。
――ブブブッ!
手探りでテーブルに置いた携帯を捜し、画面を見ると――
「ハハッ!なるほどっ!」
天童からのメッセージを見ると、途端に張り詰めていた緊張が解けていく。
「はぁ〜あ!良かったぁ!」
ベットの端に携帯を投げ捨て、軽くなった足取りでシャワー室に向かった。
携帯の画面には、『よく出来ました』の花丸のスタンプが一つ煌々と輝いていた。
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