第10話 劣等感と兄の不安

 招待状を受け取ってから二週間が経ち、いよいよ明日がパーティ当日。

 中学一年生以来の社交ダンスなので、ほぼ毎日のようにレッスンが入っていた。


「お嬢様。一度休憩を挟みましょう」

「はい」


 先生がフロアから出ていくのを横目に、私も椅子に腰をかける。

 すると、たちまち蓄積した疲労が襲ってくる。

 普段の稽古事や行事に加えダンスのレッスン。

 私のスケジュールは、より過密になっていた。


「はぁ………」


 鬱憤がため息となって零れる。

 するど、ガチャリとドアの開く音が聞こえた。

 もう、休憩は終わりかと入口を見ると、入室してきたのは先生ではなくお兄様だった。

 お兄様は、私の近くまで歩いてくると――


「パーティーは明日なのに、まだレッスンをやっているのか」

「……はい。私はあまり経験がないので」

「ここのところ毎日やってるだろ。明日は、特に重要なものじゃない。変に気負う必要は無い」

「それでもですよ。天童家として恥のないように振る舞うためです」

「そうか」


 こんなことを言いにわざわざ来たのだろうか。

 だが、いまのは前座だったらしくお兄様は私を見て本題を切り出してきた。


「ところで、有紗は西園寺蓮介殿と知り合いだったのか?」

「っ!な、なぜ……そう思うのですか?」


 問題の渦中の人を言い当てられて、心が大きく波打つ。

 お兄様が私の動揺を見抜けないはずが無かった。


「やはりそうか。今回のパーティーの招待状に有紗の名前がある事に疑問を抱いていてな。蓮介殿の仕業だろうと睨んでいた」

「理由を聞いても良いですか?」

無かった名前が急に増えたんだ。誰も彼もが違和感を持っている」

「元々?」


 その言葉に、なぜか引っ掛かりを覚えた。

 まるで、参加者を知っているかのような口ぶりだった。


「このパーティーは、前任の西園寺さいおんじ辰徳たつのり殿の時からあるものだ」

「そうなのですね。それで、違和感の理由を聞いてもよろしいですか」


 私は、続きを促す。


「俺と悠亜は、このパーティーに最初から参加している」

「初耳です」

「それもそうだ。言ってないからな」

「なぜ、私に教えて頂けなかったのですか?」

「有紗には必要ないからだ」


 取り付く島もないくらい強く言い放たれた。

 悔しさと激しい劣等感が私の心を蝕んでいく。

 そんなにも……私は……。


「脱線したな。西園寺殿の開くパーティーの方針は、『パーティーに参加している企業同士の結び付きを強くする』こと。広く根を生やすのではなく、根をより深く伸ばすための交流会だ」

「……はい」

「だから、基本的に新しく参加者が増えることは無い。ただ、例外として参加者からの推薦、若しくは主催者が招待すれば参加することが可能だ」


 ここまで、丁寧に説明されれば愚かな私でも理解出来た。


「つまり、お兄様とお姉様は私を紹介していない。お兄様とお姉様以外で私を参加させられる事が出来るのは、主催者である西園寺さんだけということですか」

「そういう事だ」

「なるほど……。確かに、私は西園寺蓮介さんと前回の異業種交流会でお話させていただきました。ですが、その一度だけです」


 私が面識があると認めると、お兄様は黙ってしまった。

 長い長い沈黙の後――


「はぁ……そうか」


 重いため息を吐き、そう呟いた。


「お兄様の気が進まないのであれば、私は辞退します」

「それが出来るなら、俺の心配事は無くなるんだけどな。――出来ない理由があるんだろ」

「………………」


 私の本心を隠す意味で取った反抗的な態度も、お兄様には通用しなかった。


「有紗。今回のパーティーは自分らしく振る舞って構わない」

「自分らしく……?」

「あぁ、有紗はとして振る舞う必要はない」


 そう言い残し、私に背を向ける。


「…………ッ!!自分らしくとはっ!?天童家として振る舞う必要は無いとはどういうことですかっ!」


 自分勝手な意見を押し付けて、フロアから出ていこうとするお兄様を、私は椅子から立ち上がり怒りを孕ませた声で呼び止める。


「おそらく、明日のパーティーのは有紗だ」

「なぜ、そう言い切れるのですかっ!なんで、ぽっと出の私が主役なのですかっ!?」

「それは、有紗が一番理解しているんじゃないか?」


 突き放すよう言い残し、今度こそ出ていってしまった。

 感情の昂りのせいで、僅かに息を乱しながら扉を睨みつける。


 ――私が……主役……?そんな訳があるはずがない


 そのとき、ふと一条君と西園寺さんの二人が脳裏をよぎる。


「まさか……ですよね」


 その数分後に先生がやってきてレッスン再開となった。




 ※※※




「どうでした?有紗の様子は」

「いつも通りだ。なにも、あそこまで必死になって練習する必要はないと言うのに」


 仕事部屋に戻るなり、眼鏡をかけた悠亜が尋ねてくる。

 椅子に座りデスクに向き直るも、仕事の内容が全然頭に入ってこない。


 ――チッ、本当に面倒なことを……


「顔に出ていますよ?兄上」

「あぁ……すまん。気を抜くとこれだな」

「よっぽど、今回のパーティーの件が面白くないんですね」

「面白い訳が無いだろ。父上が懇意にしていたから参加しているが……あれが、上流階級としての振る舞いか?」

「むしろ、あれが本来の姿なのかもしれませんよ」


 表面上は、交流目的の社交ダンスパーティと銘打っているが、実の所は自身の気に入った女性を集めて遊んでいるだけ。

 西園寺さいおんじ辰徳たつのり殿が前線を退き、跡継ぎとして蓮介殿が選ばれた辺りからこのような形態に変わった。


 それに、蓮介殿の有紗を見る目があまり気分の良いものじゃ無かったのも覚えている。

 若社長故に、なかなか有紗との接点を持てずにいたらしいが。


 そんな、醜い欲が渦巻くパーティーに有紗を参加させる事を俺自信が許容出来ない。

 天童家の後継としてではなく、兄として。


「有紗は賢い子です。何かあれば、上手く切り抜けられますよ。――――まぁ、参加しないことが一番ですが」

「辞退できない理由があるそうだ。弱みでも握られたか?」

「もしくは、有紗にとって譲れない何かがあるのかも。例えば――そうね、運命の人との今後の関係……とか」


 突拍子もないことを言い出すので、思わず眉をひそめ、自分でも驚くくらい素っ頓狂な声を上げてしまった。


「なんだそれ?最近ハマっているドラマか?」

「女の勘とそうだったらロマンチックだなっていう願望かしら?」

「間違っても蓮介殿が運命の相手というオチはやめて欲しいものだ」



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