第5話 広がる景色

 水曜日の放課後。


 私は逸る気持ちを抑えて、図書室へ足を向ける。

 図書室へ続く階段に足をかけた所で、後ろから声をかけられた。


「あれ、天童じゃん」

「っ!?――コホン。こんにちは、珍しいですね。図書室以外でお会いするのは」


 心臓が飛び出そうなほど驚いたが、慌てて取り繕う。


「言われてみればそうだな。これから図書室行くのか?」

「はい。一条君も?」

「いや、俺は行かないよ。たまには、場所変えないと集中出来ないからさ――今日は、秘密基地だ」


 一条君は悪戯な笑みを浮かべ、カバンを背負い直す。


「おいおい、そんな寂しそうな顔するなよ」

「し、してませんっ!」


 気分が下がっていた事は認めるが、寂しそうな顔をしたつもりは無い。

 …………多分。


「しゃーないな!天童には特別に教えてやるよ」

「あ、ちょっと……。もう……」


 ニッと笑って、軽快な足取りで階段を昇っていく。

 その足取りは、まるで私がついてくるのが分かっているかのようだった。



 ※※※



 階段を登っていく毎に生徒の数は減っていき、遂には私たち二人だけになった。

 そして、階段を登りきったところには、ポツンと一枚のドアがあった。


「ここから先が秘密基地」


 一条君はドアノブを捻り少しずつドアを開ける。

 私は、無意識に喉をゴクリッと鳴らし、その先にある場所に胸を高鳴らせた。

 そして、完全に開け放たれた先にあったものは――


「屋上……ですか?」

「そう。ここは我が校の禁足地……屋上だっ!俺の秘密基地でもある」


 そう胸を張って高らかに言い放ち、躊躇なく屋上へ出る。

 けど、その一歩を私は踏み出せない。


「どした?来ないのか?」

「屋上って、生徒の立ち入りは禁止されていますよね?」

「まぁ、そうだな」

「その……規律を犯すのは、色々と良くないのでは……と、思いまして」

「なるほどなるほど。一理あるな」


 腕を組み『うんうん』と大袈裟に頷く。

 そして、スっと私の前に右手を差し伸べる。


「なら、このまま引き返すか?そういえば、この前の返事聞いてなかったな」

「今、それを引き合いに出しますか」

「今、思い出したんだ」


『規律を守る』という理性。

『この手を取ってみたい』という感情。

 この二つが葛藤しているなか、躊躇いがちに伸ばす。


「それ」

「きゃっ!」


 一条君は、私の右手をつかみグイッと自身の元へ引き込む。

 抵抗する間もなく、私は陽光が照らす屋上に引っ張りだされた。


 その瞬間、私はハッと息を飲んだ。

 私は、目の前に広がる街並みの美しさに魅入られていた。


「どうだ。凄いだろ」

「はい……。凄く……綺麗」


 ビシッ!と、私の中の何かに亀裂が入った音が聞こえた。


「学校でさ、こんな景色が見れるって知らなかったろ?」

「知りませんでしたし……想像もしていませんでした」


 ビキビキッ……と亀裂が大きく拡がっていく。


「こういうのが好きなんだよ。知らなかった事を知れた時の感動?って言うの?ちなみに俺はいま、すっごく楽しいぞ」

「……何故ですか?一条君は、知っていたのですよね?この場所と景色を」

「天童と見れてるからに決まってんじゃんっ!」


 そう言い、少年のような純粋な笑顔を私に向ける。


 ――――パリィィィィィィン!!


 その瞬間、モノクロに感じていた全ての景色が音を立てて砕け散る。

 先程よりも鮮明に感じる陽光、青々とした雄大な自然、人の笑顔が放つ輝き。

 こんなにも…………綺麗だったなんて。


 一条君と出会ってから、燻っていた気持ちの正体が分かった気がする。

 きっと、羨ましかったんだ。

 羨ましいと思っているくせに、私には無理だと諦めようと見て見ぬふりをしていた。


 けど、もう見て見ぬふりは出来そうにない。

 こんな綺麗な景色を見せられたら。


「いやぁ……誰かと見るのも良いもんだな〜――――って、どした?」

「ふふっ。本当に、一条君は不思議な人ですね」


 つい、嬉しくて笑ってしまった。


「へぇー。天童ってそんな風に笑うんだ。笑ってた方が何倍も可愛いぞ?」

「っ!?べ、別に……可愛くはありません」

「じゃあ、もっかい見せてよ!ほら、少ししか見れなかったしさ!」

「嫌です!もう、見せません」


 そう言って、そっぽを向く。


「え〜〜……。減るもんじゃないのにぃ?ケチ」


 言葉は不満を訴えているのに、声はどこか楽しげだった。



 ※※※



「あ、そうだ。俺、明日からテストまで家で勉強する」

「え?」


 塔屋の隅に隠れて勉強をしているとき、突然こんなことを言い出した。

 それはつまり――


「図書室にも屋上にもいらっしゃらないと」

「まぁ、そうなるな。天童にある程度教えて貰ったし、後は一人でやらねーとなって」

「そ、そうですか……」


 これから、もっと楽しい時間を過ごせると思っていただけにショックだった。

 だが――


「天童。俺と勝負しようぜっ!!」


 ビシリッと私の鼻頭にぶつかりそうな勢いで、人差し指をつきだす。

 冗談かと思っていたが、一条君の目は本気だった。


「唐突ですね。一体どんな勝負でしょう……?」

「テストの結果で勝負だ!合計点数が高い方が勝ちな!」

「点数勝負ですか。私は構いませんよ」

「なんだぁ?余裕綽々だな?じゃあ、俺が勝ったら天童に何させようかなー」

「へ?」

「ただ、『俺の方が点数高かったー!俺の勝ちー!』じゃ、つまんねーだろ。勝負には、何か賭けるってのが定石だ」


 そんな定石は知らない……。

 いえ、私が知らないだけの可能性が圧倒的に高いけど。


「わ、わかりました。では、私が勝ったら一条君にも、何かしてもらいます」

「良いね、そうこなくっちゃな」


 私の強がりにも、余裕そうな態度を崩さない。

 そして、どちらからともなく、互いに顔を見合せ笑いあった。


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