第3話 揺れる心
土日を挟み月曜日の放課後、私は図書室の前に立っていた。
あの日を境にどうしてか、一条君の存在が頭の片隅でチラついていた。
当時は、気が進まなかったのに、日を追う事に気になって仕方がなかった。
それが何故なのか確かめるため、自分の意思で図書室まで足を運んでいる。
「まぁ……。また、勉強を教えてくれと仰ってましたし」
今日からテスト二週間前だ。
それよりも前から、図書室に通っていたのだから、今日もいるはず。
図書室の中に入ると、以前と同じく古書の香りに包まれる。
「あっ……」
フリースペースを覗くと、一条君の特徴的な髪色を見つけた。
一度、深呼吸をして彼に歩みよる。
「こんにちは。一条君」
「ん?――お、天童か。また会ったな」
「えぇ。ほんの少しお暇を頂いたので。ご一緒してもよろしいですか?」
「よろしいですよー。つか、いちいち確認しなくていーって」
一条君は、私を認識するなり片手を上げ、気さくに挨拶を返す。
そして、私の言い回しに困り顔をしつつも、同席を認めてくれた。
「そういう訳にも参りません。同席を良く思わない方もいらっしゃいますし――では、失礼します」
「律儀だな?天童っぽいちゃぽいけども」
椅子に腰掛けた私は、一条君の前に広げられた理科のワークに視線を向ける。
「それで、お勉強は順調ですか?」
「あー……。金曜日に教えて貰った数学は良い感じ。それ以外は全然」
「全然なのですね……」
一条君の焦りも不安も感じさせない、冷静な物言いに、思わずため息をついてしまいそうになった。
まだ二週間もあるという時間的な余裕が、そうさせているのだろうか。
「理科やってんだけどさ〜……。計算式が全然わかんなくて」
「それは、コツさえ掴めば解けるようになりますよ」
「……頼む。教えてくれ」
「えぇ。もちろんです」
金曜日と同じく、噛み砕きながら丁寧に教えていく。
数学の時より難色を示したが、最終的には自力で解ける程になっていた。
勉強が終わった今、力なくぐったりとしているが……。
「あ〜しんど……。なんか、理科って数学とは違う脳の部分使ってるよな」
「理数系なので一緒だと思いますよ」
「マジレスやめぇ」
「マジ……レス?」
よく分からない単語が飛び出したが、あまり良くない事を言ってしまったらしい。
「ご不快にさせてしまったのなら申し訳ありません」
「いや……全然なってないって」
「それなら良いのですが」
「あっ!そうだ、土曜日さ釣り行ってきた」
突然、ガバッと勢いよく上体を起こしたので、思わずギョッとしてしまった。
そんな私に構わず、一条君は楽しげな表情で話し始める。
突然なにを……と思ったが――
――『お土産話を沢山持ってくるなっ!』
そう言っていたことを思い出した。
「そういえば、行くと仰っていましたが……。本当に行かれたのですね」
「朝四時に起きて電車乗り継いで行ってきた」
「そんなに早起きする必要があるのですか?」
「いや、分からん。早くやりたくてソワソワしてたからさ」
「な、なるほど……。それほど、楽しみにされてたのですね。それで……収穫はありましたか?」
規格外の行動力と体力に驚かされっぱなしだ。
でも……心做しか少しだけワクワクしていた。
「一匹も釣れなかった」
「それは、残念でしたね」
「けど、
「…………はい?」
「やーなんかさ、魚釣りが趣味の人って自分の島っつーのを持ってんだって」
知らない名前が飛び出し、混乱している私に追い打ちをかけるように、魚釣りとは関連性の無い言葉が聞こえた。
……し、島?
離島か何かでしょうか……。
「んで、俺その武蔵さんの島で釣ってたらしくてめちゃくちゃ怒られたんだけど――色々あって仲良くなってさ、島少しだけ譲ってもらった」
「な、なんと言いますか……スケールが大きいですね。わざわざ島を持つなんて……」
「なー。でも、譲ってもらえたしラッキーだったわ」
「貴重な場所ですし、大事にしないといけませんね」
「そーだな!たまに顔出すくらいしないとな」
ニカッと魅力的な笑顔を全面に湛え、私の意見に賛同する。
お土産話は、まだあるらしく――
「そーいや、魚市場って所にも行ったな。行ったことある?」
「いえ、ありませんね。聞いたことがあるくらいで……」
「そこの鮮魚店のお兄さんに目利きのやり方教えて貰ってさー。あれ結構むずいんだな〜」
「目利きも技術の一つと聞いたことがあります」
「そうそう!毎日欠かさず見てないとできるようにならないんだって」
私は、一条君のコミュニケーション能力の高さに脱帽していた。
お土産話はまだまだ底が尽きず、更に話を進める。
「あ、あとあと。採れたての魚を捌いて提供してくれるご飯屋があってさ!美味くてびっくりした。採れたてって全然違うのな!」
「それは、随分魅力的――えっ?お魚食べたんですか?苦手と仰っていたような……」
「なんか食べれた。別に、苦手じゃなかったらしい」
「そうだったのですね……」
お魚を克服するために頑張ったのに、実は食べられました!なんてオチは、流石に読めない。
それに、なんというか――
「凄く損をした気分ですね。もっと、近場で気づけたかもしれないのに」
そう……苦笑を浮かべながら一条君に言う。
だが、一条君はキョトンとした顔で――
「なんで損?」
「お金とか時間とか、もっと最小限に抑えられたのではありませんか?」
「俺は別に損をしたって思ってないよ」
「…………え?」
一条君は、私を正面から見据えてそう言う。
「天童の言う通り、最小限に抑えられたかも知んないけど、新しい経験が出来て知り合いが二人も出来たんだ。どう見たって得しかないだろ?」
私はハッとした。
一条君にとって、時間やお金はそれほど重要ではなく、人と人との繋がりや未知の経験を大事にしているんだと……気付かされた。
「そう……ですね。私の価値観で一条君を否定してしまいました。申し訳ございません」
「別に謝ることじゃないぞ。俺、学生だし今回の出費って結構痛くてさー。近くのスーパーでも良かったろー!って思ったけど……。まぁ、楽しかったし、結果オーライってやつ」
ニッと笑いながら、親指を立てる。
楽しかったことを否定されたのだから怒っても良いはずなのに、気に触った素振りすら見せない。
「うし、次は天童も行くぞ」
「え?ですから、私には稽古事が――」
「同じことを繰り返す稽古事と知らない場所に行って遊ぶ――――どっちがワクワクする?」
そう、右手と左手の人差し指を立て、私の前にズィっと突き出し提示する。
右が稽古事。
左が知らない場所。
そんな事、考えるまでもなく右だ。
右だと頭では分かっているのに……体が動かなかった。
さぁ――と、一条くんはチョンチョンと両の人差し指を揺らす。
「私……は――」
そのとき――
――ヴーッヴーッヴーッ
カバンに入れていた携帯のバイブレーションの音が聞こえた。
慌てて確認すると婆やからで、催促の連絡だった。
「ご、ごめんなさい。私行かないと――お返事は、また今度で」
「おうっ!気をつけて帰れよー」
一条君は片手を上げ、ニッと笑い私を見送る。
私は、会釈をして図書室を後にした。
なぜ、迷ってしまったのか。
…………なぜ、一条君の言葉一つ一つに心が揺れるのか。
また一つ、心のモヤモヤが増えてしまった。
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