第二二話 ダンベルとの再会
ゴールジ村の北側は良質な鉱石が採取できる岩山になっているのだが、その岩山の麓近くにドワーフの鍛冶屋が住まう工房があった。
工房の入口には《グレンストスの槌》と書かれた看板が立っている。
かつてこの世界にいたという巨人族の鍛冶屋グレンストスが携えていたという槌をその名の由来としているらしい。
「いらっしゃい! 今日はどんなご用……って、キョウスケじゃないか!」
工房の中に入ると、さっそく声をかけられる。
久々に友人知人と会うときの恒例行事だ。
声をかけて来たのは、若いドワーフの女性である。
セミロングの黒髪は前髪だけ眉毛の上で短く切りそろえられていて、この髪型は一年前から変わっていないようだ。
名をアイシャ・ライフィットという。
若いといってもやはりドワーフ族は人間より長命なので、俺の記憶が確かなら30代半ばくらいだった気がする。
ドワーフ族の男性は筋骨隆々で背が低くずんぐりむっくりな体型の者が多い一方で、女性は比較的人間族に近い見た目の者が多い印象だ。
身長も平均的な人間族の男性より少し高いくらいで、見た目はかつて俺のいた世界でいうラテン系な顔立ちの者が多いように思う。
個々人の好みもあるだろうが、エルフ族とはまた違った系統の美人ぞろいといった印象だ。
「久しぶりだな。この前ここに来たときは、しばらく裏山に籠っていると聞いていたが」
「うん、昨日戻ってきたところなんだ。新しい鉱脈が見つかったから、キャンプを張って周辺の調査をしてたんだよ。キョウスケが村に戻ってきてることは聞いてたから挨拶に行こうとは思ってたんだけど、まさかそっちから来てくれるなんてね」
「ちょっと、キョウスケ、こっちに来て」
そして、これも恒例行事だが、ラシェルに首根っこを掴まれて、店の外まで引きずり出される。
「わたしが何を言いたいのか、いい加減、あんたも分かってるわよね?」
修羅のごとき表情で俺を睨むラシェルに、俺はただ「はい」としか言えなかった。
彼女は声を発する前に思いっきり息を吸い込み、そして、俺の胸ぐらを両手でしっかりと掴むと、口を開いた。
「なんで!? なんであんたの周りに現れる新しい人物はいっつも女なの!? それも若くて美人なの!? そんでもってちょっと好感度高めなの!? なんなの!? 《転生者》ってそういうもんなの!? 騙されてる!? あたしもひょっとして惑わされてる!? あたしのこの気持ちも、何かこう《転生者》の独自スキルとか特性みたいなので捻じ曲げられてるの!?」
ぐわんぐわんと頭を揺すられる。
もうそろそろ慣れてきたが、これから俺は昔馴染みの女性と再会したり新しい女性と出会ったりするたびにこんな感じの目に合うのだろうか。いや、合うのだろう。
「はあ……はあ……」
ひとしきり言い終えたラシェルが、俺の胸ぐらから手を放して荒い息を吐く。
「よし、戻るわよ」
どうやら、言うだけ言って満足したらしい。
ラシェルもラシェルで、自分の感情のコントロールの仕方を学んだようだ。
「……ええと、何かすごい怒鳴り声が聞こえたけど、大丈夫?」
店の中に戻ると、若干引き気味にアイシャが訊いてきた。
俺とラシェルはそろって首を振る。
「いや、何でもない」
「気にしないで。あたしはラシェルっていうの。よろしくね」
冷静さを取り戻したラシェルが、アイシャに自己紹介をする。
「え、ああ! アタシはアイシャ! この工房の娘だよ! よろしくね!」
アイシャがにっこりと笑って応じる。
そう、彼女はこの工房の主であるガストン・ライフィットの一人娘である。
普段は工房で作った家具などの商品や日曜大工で使えるような備品の販売をする売り子をやっているが、客が少ないときなどは自身も工房で商品づくりを手伝ったりもしている。
また、先日のように鉱石採取のために何日か店を開けることもあるようだ。
先ほどアイシャ自身が言っていたが、この工房の裏にある北の岩山にはまだまだ未発見の鉱脈がたくさんあるらしい。
もともとこの村の者しか足を踏み入れないような場所だから、まだまだ採掘されていない鉱脈が残っているのだろう。
これから鉄製の製品をたくさん用立ててほしい俺からすると、非常にありがたい話である。
「親父さんは奥にいるのか?」
「うん、奥で作業してるんじゃないかな。用があるなら遠慮なく上がってよ」
アイシャに促されて、俺たちは売場の奥にある工房へと足を踏み入れた。
工房は広く、木と鉄のまじった不思議なにおいで満ちている。
壁にはまだ加工されていない板材が乱雑に積まれており、ところどころに作りかけの家具と思しき謎の物体や鉄くずなどが放置されていた。
ガストンは工房の一角におかれた石造りの彫像の前に立っていた。
ドワーフらしいずんぐりむっくりした体躯で、反り上げた頭に白い布を巻き、反面、伸び放題になっている髭は器用に三つ編みにしている。
これも一年前から変わらぬスタイルで、以前に髪と髭の役割が逆になってないかと訊いてみたことがあるのだが、無視された。
別にハゲているわけではないらしいのだが。
ガストンが見上げているのは、人間の彫像のようだった。
それも、かなり鍛え上げられた男性の彫像だ。
かつて俺がいた世界でも、古の時代から逞しい肉体をした男性の彫像が造られていた。
これは古代の人々の考える神々というものが、きっとこういう逞しい体をしているに違いないという認識からくるものであったらしい。
つまり、神はマッチョであるという認識が古代の人々の間には共通認識としてあったということだ。
この彫像は、ガストンが彫ったものなのだろうか。
ガストンの思い描く神もやはりマッチョであるということなのだろうか。
「これは四百年前にこの地に降り立ったとされる《転生者》アノール・コンナードの像だ」
俺たちの存在に気づいたのか、彫像を見上げたままガストンが言った。
四百年前の《転生者》――村長が言っていた、俺にとっては先代にあたる《転生者》ということか。
精悍な顔立ちで逞しい上半身には何も身に着けておらず、山のように高い上腕二頭筋を誇る左腕には盾を、馬蹄のように美しい三頭筋を誇る右腕には飾り気のない剣を構えている。
腰には獣の革で作ったような分厚い腰巻をつけ、下にはボディビルダーが穿くような丈の短いパンツを穿き、峡谷のように深い大腿四頭筋のカットをまざまざと見せつけていた。
「美しいと思わんか?」
ガストンが言った。
俺は固唾を飲みながら頷く。
「ああ。美しい。これこそが究極の肉体だ……」
しかし、これがもし本当に先代の《転生者》なのだとしたら、何という偶然だろう。
少なくとも、この体つきは何かの運動によって培われたものではない。
大きく肥大した肩に細く引き締まった腰、そして、関節の細さに対して異様なほどに太い四肢というこの特徴的なプロポーションは、意図的にそういったトレーニングをしなければ形作られないものだからだ。
つまり、先代の《転生者》もボディビルダーだった可能性がある。
「お前さんから依頼された品……ダンベルといったか。あれを作っているとき、ふと我が家に伝わる言い伝えを思い出してな」
彫像を見上げたまま、ガストンが遠い目をする。
「アノール・コンナードはこの世を去る前、我々に知己を残した。身体を鍛え、魂を鍛えればいずれまた魔王が復活したときにも対抗し得るだろうと。そのために必要な道具の製法や身体の鍛えかたを文献として残してくれたのだ」
なんと。
それはつまり、四百年前にすでにこの世界にボディビル文化が伝えられていたということだろうか。
いや、しかし、そのわりに俺はこの世界でボディビル文化に触れた記憶がない。
冒険者として一年間それなりに世界を渡り歩いてきたつもりだが、そもそもこの世界の人々は圧倒的に貧相な体つきの者が多い印象だ。
基本的に栄養状態が良くないのだろう。
「だが、魔王が倒されて四百年……平和な世はヒトの心を乱す。魔王の脅威が去ったことで今度はヒト同士が争うようになり、そんな中でアノール・コンナードの残した文献はほとんどが失われてしまったという話だ」
そんな……。
よくある話といえばそれまでかもしれない。
絶対的な悪という争いの元凶がなくなったとしても、ヒトはまた自ら争いの種を植えてしまうのだ。
それは、たとえ此度の魔王が倒されても、また同じ歴史が繰り返されてしまうかもしれないことを暗に伝えているのかもしれない。
そんなことで、はたして俺はこの世界にボディビル文化を根づかせることができるのだろうか――。
「いや、問題はそこじゃないでしょ」
ラシェルに肘で脇腹を突かれた。
まあ確かに、ボディビル文化を根づかせようというのは少し大げさであった。
そもそも俺にそこまでの野望があったわけではないし。
「いや、そうでもなくて……って、もういいけど」
げんなりと言って、しかしそれ以上は突っ込んでこなかった。少し寂しい。
「お前さんが言っていたダンベルとやらだが、ちゃんとできておるぞ」
「本当か!?」
――と、俺たちのやりとりを気にした様子もなく、ガストンが工房の一角にならべられた無数の鉄の塊を指し示す。
見やると、それらはすべて同じ大きさの鉄の球体を短い鉄の棒で繋いだような形状をしており、まさに鉄アレイ――ダンベルに他ならなかった。
小さいものから大きいものまでサイズの異なるものが二つ一組でならべられており、その数は実に十五組におよぶ。
俺達には基礎ステータスの恩恵があるので、最初からあまり軽いものは必要ないだろうと考えていた。
なので、用意してもらったのは10kgから40kgまでのものになる。
ご丁寧にならべるためのラックまで用意してくれているようで、かつて俺のいた世界にあったトレーニングジムを思い起こさせるその光景に、思わず目頭が熱くなった。
「素晴らしい出来だ! ガストン、感謝の言葉もない!」
俺はガストンお手製のダンベルラックに駆け寄ると、まずは10kgのダンベルを使ってアームカールを行った。
やはり想像以上に軽く感じる。もともと10kgはアップの重量だが、体感的には5kgのダンベルを扱っているような感覚だ。
次に一気に重量を20kgに増やしてみた。
いい塩梅だ。もう少し重量を上げてもまだストリクトに挙上することができるだろう。
ただ、この感触だと大胸筋や背中、脚を鍛えるためには40kgでは少々心許ないかもしれない。
やはり大筋群を本格的に鍛えるのであれば、より高重量を扱えるバーベルを用意する必要があるだろう。
だが、今はこれでいい。
小さな一歩だが、これで再びボディビルを再開できる。
気づいたとき、俺はひたすらアームカールを繰り返しながら涙を流していた。
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