第二一章 基礎ステータス講習会

「神からの加護?」


 ラシェルが顔に疑問符を浮かべている。


 基礎ステータスという概念については、彼女もあまりちゃんとは理解していないようだ。

 もちろん、俺もである。きっと俺も同じような顔をしている。


「はい。ラシェルさんも、冒険者になるときにリグ・デュードマ協会の神殿で神託を受けましたよね?」

「受けたわよ。冒険者登録には神託を受けて戦闘職に就かないとダメって言われたもの」


 む? そうなのか?


 リグ・デュードマ協会と神殿のことはもちろん知っている。

 戦士や魔術師といった俺たち冒険者の職業の管理をしている組織で、例えば職を変えたいときなどは各地にある協会の神殿で神託を受けなおさなければならないという話だ。


 ただ、俺は転生したときからすでに戦士という職に就いていたみたいなので、まだ一度も神殿で神託といったものを受けたことはない。

 ついでに言うと、ギルドに登録した正規の冒険者でもなかったりする。


 そもそも魔物退治のような仕事の斡旋やパーティメンバーの募集をはじめとしたギルドのバックアップを必要としないのであれば、ギルドへの登録は必須というわけではない。

 最初からパーティで活動している俺のような冒険者の場合、代表だけが冒険者登録をしているというケースも別に珍しくはないという話だ。登録料も安くはないし。


 ソフィアは自分のステータスボードを指さしながら、話を続ける。


「冒険者になるために神託が必須とされてるのは当然です。まず神託を受けて『職業』に就かないと、基礎ステータスの恩恵を受けることができませんから」

「え、そうだったの?」


 なんと。基礎ステータスは誰にでもあるものと思っていたが、そうではなかったのか。


「はい。そもそもわたしたちが『職業』と呼んでいるものは、神から与えられた加護の方向性を示すものなんです。スキルもそうですね。魔法はちょっと違うんですけど」

「言われてみれば、神託を受けるまで基礎ステータスのことなんて考えたこともなかったかも……」


 なるほど。

 俺は最初から職に就いた状態で転生していたから何の疑問も感じていなかったが、職業や基礎ステータスにそんな意味があったとは――。


 確かに、見た目的には筋骨隆々のドワーフでさえ、ごくごく普通に暮らしている一般人の力では魔物に太刀打ちできないということは俺でも知っているこの世界の常識だ。

 一方で、体格的には華奢ですらあるラシェルでさえ、低級の魔物であれば武器すら使わず討伐することが可能である。この世界では筋肉の価値がとても低い。


 いったいどういう理屈なのだろう――という疑問は常にあった。この世界ではそういうものなのだろうと勝手に納得していたが、そういった理由からだったのか。

 しかし、それだともう一つ疑問がわいてくる。


「加護の影響はヒト同士の争いでもあるのか?」


 俺の質問に、ソフィアは首を振った。


「いいえ。ヒト同士の間では加護の力は発揮されなくなります。そういえば、コーチとわたしも一度激しくぶつかり合いましたね……」


 何故かちょっと顔を赤らめながら、熱っぽい口調でいう。

 冗談なのか本気なのかは分からないが、そういうのは本当にやめてほしい。ラシェルの視線がオレイカルコスの矢のように激しく俺の横顔に突き刺さっている。


 だが、これで疑問は晴れた。

 わりと頻繁にラシェルに殴られたり蹴られたりしているが、もし基礎ステータス通りの筋力があるのだとしたら、俺の体は今頃もっとズタボロになっていたはずである。


「ワタシには、その基礎ステータスってやつはないと思うぞ」


 ――と、間に割って入るように、やや遠慮がちにシエラが申し出てくる。


「ステータスボードを開く感覚っていうのが、分からないんだ」


 そう続ける彼女の顔は、少ししょんぼりとしているように見えた。

 どうやら自分に基礎ステータスがないことに引け目のようなものを感じているらしい。


「えっ? 従魔って基礎ステータスないの?」


 ラシェルが驚いたように目を丸くする。


「そんなことはないです。魔物や魔族も我々が神から受けているのと同じように魔王の加護を受けていますから、基礎ステータスによる恩恵自体はあるはずです。従魔化した際にその加護が神のものと入れ替わるようになっているんです」


 ふーむ。魔族や魔物も魔王から加護を受けているわけか。

 となると、俺たち冒険者が魔物や魔族と戦っているのは、実は神と魔王の代理戦争のようなものでもあるのかもしれない。


 ――と、何かを思いついたようにソフィアが手を打った。


「……そうです! シエラさんはまだ幼体の頃に魔族に変異してしまっているので、そもそも本当の意味で無垢……まだ一切の加護を受けていない状態なのかもしれません!」


 なるほど。獣系の魔物は幼体の頃であればヒトに敵愾心を持たないと言っていたが、それはまだ魔王の加護を受けていないからなのかもしれない。

 魔王の加護を受けるということが、同時に魔王の支配下におかれるということ――それによってヒトに敵愾心を持つようになるのだと考えれば納得もいく。


 そのようなまだ無垢な状態のときにたまたま魔王の魔力が色濃く残る土地にでも立ち寄ってしまい、シエラの肉体は魔族のものへと変容してしまった。

 そういった様々な偶然が重なった結果、何の加護も受けていない無垢な魔族という稀有な存在が生まれてしまったのかもしれない。


「こ、こここ、これはとんでもない発見ですよ! 本来、仮に幼体だったとしても魔物が従魔化されればヒトに従属する魔物として新たに神の加護が与えられるはずなんです! それがないということは、考えられることは一つです!」


 何故か興奮したようにソフィアが捲し立てる。


「何が考えられるってのよ」


 やや呆れ気味に、ラシェルが訊いた。たぶんちょっと引いてる。

 そんなラシェルに気づいた様子もなく、ソフィアはぐっと拳を握りしめ、眼鏡の奥の瞳を宝石のように輝かせながら高らかに宣言した。


「シエルさんは、神に……『ヒト』として認識されているということです!」


 握りしめた拳を頭上に突き上げ、天を見上げて感極まっている。


 俺とラシェルはしばらく呆然とした後、互いに顔を見合わせた。


「……で、それが何なの?」

「あれ!? 一大発見ですよ!?」


 勝手に肩透かしを食らっているソフィアだが、俺にも何がなんだかよく分からない。


 ソフィアが両手をワナワナとさせながら興奮も露わに再び語りはじめた。


「これまで魔族は魔物の上位存在という認識でしかありませんでした! そもそもわたしが知るかぎりヒトに敵愾心を持つ魔族を従魔化した例は聞いたことがありませんからね!」

「そのわりにはあっさりやってたじゃない」

「従魔契約自体は難しいものじゃないんです! だから、わたしもあのときはごくごく普通に成功したものと思っていました! いえ、成功はしたんです! その結果として、シエラさんは魔族としてではなく、我々のような『ヒトの一種族としてのライカントロープ』として神に認識されるようになったのです! ああ、何という発見でしょうか……! ヒト型の魔族は魔王の加護を抜けたとき、我々のように一種族として見なされる……言うなれば、魔人! そう、魔人です! ああ! 魔術学会で発表したら何かスゴイ賞がもらえちゃうかも……!」


 饒舌に語り終えた後、両手を組み合わせながらウットリと天を見上げる。

 

「……ソフィアって時々やばいわよね」


 ラシェルがぼそぼそと小声で囁いてくる。

 シンシアの雑貨屋でも似たような件があったから、たぶん何か自分の興味関心の対象になることがあるとブレーキが効かなくなるタイプなのだろう。

 ひょっとしたら、激太りしてしまったきっかけも人間の食生活に対する興味関心からくるものだったのかもしれない。


「シエラさん! あなたのことを色々調べさせていただけませんか!? そうだ! ラシェルさん! シエラさんにしばらくわたしに従うよう命令してください!」

「うええ!? ソフィア、目が怖い! マスター、言うことを聞いちゃだめだ!」


 ソフィアが指先をにぎにぎさせながら、今にもシエラに飛びかかろうとしている。


 少し前までの鈍重なソフィアであれば、シエラが掴まるようなことはなかっただろう。

 しかし、今のシェイプアップに成功したソフィアならば、腕力だけでなく俊敏性においてもシエラに引けをとらない可能性はある。


「別にいいけど……盟主として命ずる。しばらくソフィアの言う通りにしなさい」


 やや半眼気味にラシェルがシエラを指さしながら告げる。

 その指先から青白い光が伸び、シエラの額に浮かび上がった文様に吸い込まれていく。


「うわあ! ひどいぞマスター! 毛を抜かれたり皮を剥がれたりしたらどうするんだ!」

「回復法術で癒してもらいなさいよ」

「うっふっふっふ……可愛がってあげますよぉ……」


 命令によって身動きがとれなくなっているシエラに、ソフィアがにじり寄っていく。


「でも、シエラってあんまし命令が効かないのよね、いまいち拘束力が弱いっていうか。そういうもんなのかしら」


 遠巻きに二人を眺めながら、ラシェルがぼやくように言った。


 確かに、何度かラシェルがシエラに命令している現場に立ち会っているが、その場でこそ効果を発揮しているように見えるものの、その効力はもって数分といったところだった。


「きっと神による認識が魔物ではなくヒトであることが影響しているのです! 半人半魔ゆえに従魔契約の効力も弱くなっているのかもしれません! ああ、それについてもしっかり調べてみないと!」

「や、やめろ! 変なところを触るな!」


 ソフィアがシエラを担ぎ上げてベッドの上に運び、べたべたと体中をまさぐっている。


 絵面だけ見ていると非常に危険である。

 あんまりじっと眺めていると俺の身にも危険が迫る可能性があったので、ひとまず顔は背けておく。


「エッチなこと考えてんじゃないわよ!」


 蹴られた。くそ、一歩遅かったか。


「……で、あたしたちはこれからどうする?」


 ラシェルがくんずほぐれつする二人の姿を眺めながら、溜息まじりに言った。


 ま、まさか、俺たちもこれからエッチなことしようと……!?


「ち、ちちちち、ちっがあああああう!」

「ぐおっ!?」


 今度はボディにしっかり膝蹴りが入った。ムエタイも真っ青な鋭い膝だった。


「このままボーっと待ってても仕方ないから、何処か買出しにでも行かないって、そういうことを言おうとしたのよ!」


 その場で膝をつく俺の後頭部に、ラシェルの怒鳴り声が降ってくる。


 そういえば、今日は鍛冶場に顔を出す予定だったのだ。ソフィアとシエラがあんなことやこんなことをしている間に、俺たちはそちらの用事を片づけておいてもいいだろう。


「何か作為的なほどイヤらしい言い回しをするわね……」

「たまにはサービスも必要だからな」


 誰にともなく言って、俺は立ち上がった。


 一週間ほど前、俺はこの村に昔から住んでいるドワーフの鍛冶屋にトレーニングに使うための用具の製造を頼んでいた。

 まださすがに完成はしていないだろうが、一度様子を見に行きたいとは思っていたのだ。


 ベッドの上で衣服を無理やり脱がされてすっぽんぽんにされたシエラを尻目に、俺たちは借家をあとにしてドワーフの鍛冶場へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る